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2023年9月19日

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価値観の危機:生物多様性・異常気象を招いた価値観の偏り
『Nature』誌にIPBES研究成果論文掲載

(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付)

2023年9月19日(火)
国立研究開発法人国立環境研究所
 

 生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム(IPBES)注釈1による『自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書(以下「Values Assessment」という。)』参考1の研究成果が、2023年8月24日付けで学術誌『Nature』に掲載されました。
 本プロジェクトでは、50,000点を超える文献をレビューし、生物多様性や気候変動をはじめとした自然の危機の構造について考察した上で、その根源にある「価値観の危機」について警鐘を鳴らしました。本プロジェクトには、世界各国から86名の専門家が参加し、日本からも国立環境研究所気候変動適応センターの吉田有紀氏らが参画しました。

1. 「価値観の危機」

世界各国で人々は自然に多様、そして意味深い価値を見出しています。しかし、人々のこうした自然に関する価値観の多様性は、重要な政治的・経済的な決定に適切に反映されていないのが現状です。
自然には、商品化などにより市場で売買される際の「経済的利用価値」のみならず、気候変動への適応や、文化や人間性の涵養といった「非市場価値」があります。そして、公平で持続可能な社会の実現においては、それぞれが不可欠な要素です。しかし現在、「経済的利用価値」を重視するあまりに、「非市場的価値」をないがしろにした意思決定が行われる傾向が顕著になっています。他方、保護区のネットワークを拡張して守ろうとする生物多様性保全対策においても、自然に対する狭い価値観ばかりを重視し、異なる価値観で自然と接していた先住民族や地域コミュニティが排除されることがしばしば見られます。それぞれの場面で、自然の多様な価値(図1)のうち一部分のみが優遇され、その他の価値観が軽視されています。

図1の画像
図1 自然の多様な価値の類型(『IPBES自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書 政策決定者向け要約』参考2より)。本研究における自然の様々な捉え方(ライフフレーム)を整理している。ライフフレームは相互に排他的でなく、誰もが複数のライフフレームを持ちえることを、スポットライトが自然を照らすイラストで表している。また、「価値」の次元を、最も広域な「世界観」から具体的な「価値指標」(価値の計測対象)まで4つに類型化している。この例では、淡水生態系の文脈で重要視される可能性のあるいくつかの価値を示している。

本研究は、現代の環境危機の根源は自然が十分に評価されていないことにあると示しています。また、これまでの狭い価値観に固執していては、生物多様性や気候危機などの我々が直面する喫緊の問題を解決できないことも明らかにしています。それにもかかわらず、そのような狭い価値観が依然として支配的になっている現状が、「価値観の危機」であると指摘しています。

2. 50,000点を超える文献のレビュー

Values Assessmentは、様々な専門家や各国政府による複数回の外部評価を経て、2022年7月に139のIPBES加盟国によって承認されました。執筆者は4人の共同議長をはじめとする、各国政府などの推薦を受けてIPBESに選抜された専門家です。IPBESの報告書の目的は、生物多様性と生態系サービスに関わる科学的知見の評価です。今回のValues Assessmentでは、自然の価値と評価に関する、50,000点を超える文献をレビューしています。また、学術論文における知見のみならず、IPBESが重視してきた先住民や地域社会の視点を組み込むための対話やステークホルダーワークショップ、そして政策文書や報告書などもレビューしています。

3. 研究結果と考察

短期的利益や経済成長への固着

現在、短期的な利益や経済成長が重視されるがゆえに、政治的・経済的な意思決定において、それらに直結するとみなされない自然が持つ多様な価値に対する配慮が犠牲になっています。この研究の著者らによると、より公正で持続可能な未来を実現するためには、この現状から脱却することが不可欠です。 論文筆頭著者のUnai Pascual教授(Basque Centre for Climate Change・ Ikerbasque (Basque Science Foundation)、Values Assessment共同議長)は、「昆明・モントリオール生物多様性枠組(GBF)」 や「国連の持続可能な開発目標(SDGs)」のような世界的な合意が、自然の価値を行動に取り入れる包括的で参加型のプロセスを求めていることは好ましいことだが、環境政策や開発政策の主流は、依然として自然の市場価値という狭い部分集合を優先している」と述べています。

自然の多様な価値の評価手段は十分。
欠如しているのはそれらを意思決定システムに組み込む意欲や能力。

自然の価値は多様ですが、その評価手段に事欠くことはありません。多様な学問分野や知識体系に基づいた、50以上の価値評価手法が確立されているため、自然の多様な価値を可視化し、政策や意思決定に組み込む手段は十分にあります。そして、自然の多様な価値を意思決定プロセスに組み込んだ方が、より公平で持続可能な結果に至ることも確認されています。しかしながら、価値評価研究の政策決定への取り込みを報告したのは、価値評価を行った学術論文の5%未満でした。「科学者たちは多くの評価方法を開発してきた。不足しているのは、政府やその他の主要な利害関係者が、評価プロセスに関与するさまざまな関係者の代表性、公平性、力関係を注意深く考慮する形で、これらの方法を適用し、意思決定システムに組み込む意欲や能力である」とPascual教授は指摘します。

持続可能で公平な将来に向けた社会変革

収集した知見に基づき、著者らは法制度などの社会構造を見直す必要性を訴えています。生物多様性や気候変動の危機的事態を環境汚染やパンデミック、環境問題への加担者とその被害者が異なる実態の「環境不公正」などから切り離すことはできません。自然の危機的状況を脱するためには、社会全体を変革させなくてはなりません。そして、持続可能で公平な社会を構築するためには、図2に示される様々な社会レベルでの行動の組み合わせを通じ、他者や自然との一体感、思いやり、連帯感、責任感、相反利益、そして正義といった価値観を高め、搾取的になりがちであった価値観のバランスを修正する必要があります。また、この価値観の見直しは、人間同士や人間と自然との関わり合い方や、「開発」や「幸福」の定義の見直しをも意味します。Mike Christie教授(Aberystwyth University、Values Assessment共同議長)は、「将来、より公正で持続可能な社会の実現を望むのであれば、人々が自然界と関わり、自然界に価値を見出す多様な方法を認識し、私たちが下す意思決定において自然をどのように考慮するかを再検討する必要がある」と主張しています。意思決定プロセスにおいて、その意思決定の影響を受けるすべての当事者の価値観を考慮することで、人間と環境の対立を緩和する可能性が高まります。

図2の画像
図2 価値を中心とした、より持続可能で公正な将来に向けた社会変革への介入点(『IPBES自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書 政策決定者向け要約』より)。①適切かつ頑健な価値評価を実施することで自然の価値の多様性を認識する、②意思決定に価値を組み込む、③政策改革と制度改革を促す、そして④社会レベルの規範と目標を転換し、部門を超えて持続可能性と整合した価値を支援する。政策的介入を含む行動が、より深い介入点の活性化(レバーの右方向)に焦点を当てるほど、社会変革がより起こりやすくなる。

4. 今後の展望

近年、GBFなどで、環境と開発に関連する意思決定プロセスをより参加型にし、より多くの関係者を尊重しようとする意志が表明されています。本研究は、この方向性を支持するものです。特に、これまで疎外されてきた先住民族や地域コミュニティの権利や領土を尊重し、彼(女)らの世界観や価値観を政策に取り入れていくことが、人々と自然の双方にとってより良い結果につながると報告しています。Patricia Balvanera教授(メキシコ国立自治大学、Values Assessment共同議長)は、「南半球の多くの先住民や地域コミュニティにとって、生物多様性は自分たちのアイデンティティとして欠かせない。彼(女)らは自分自身をも自然の一部と捉え、責任感をもって自然を管理してきた。しかし、このような自然観は、自然を安価な商品の工場と見なすだけの、多くの政府や有力な農業ビジネスによって虐げられてきた」と言及しています。Pascual教授は、「GBFやSDGsのようなグローバルな目標を達成するための最良の選択肢は、社会と経済のすべてのセクターにわたって自然の多様な価値を織り交ぜることであることを私たちの分析は示している」と述べています。

5. 注釈

参考1IPBES. Methodological Assessment Report on the Diverse Values and Valuation of Nature of the Intergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services. (Balvanera, P. et al. eds) https://doi.org/10.5281/zenodo.6522522 (IPBES Secretariat, 2022).(外部サイトに接続します) 参考2『IPBES自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書 政策決定者向け要約』
原文(英語):https://zenodo.org/record/7410287(外部サイトに接続します)
和訳版:https://www.iges.or.jp/jp/pub/ipbes-values-spm-j/en(外部サイトに接続します)
注釈1IPBESはIntergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Servicesの略で、「IPCCの生物多様性版」と言われる。
環境省によるIPBESの一般向け解説ページ:
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/ipbes/index.html(外部サイトに接続します)

6. 研究助成

吉田有紀はJSPS科研費 19K13440の助成を受けて報告書の執筆会合に参加しました。

7. 発表論文

【タイトル】Diverse values of nature for sustainability 【著者】Unai Pascual, Patricia Balvanera, Christopher B. Anderson, Rebecca Chaplin-Kramer, Michael Christie, David González-Jiménez, Adrian Martin, Christopher M. Raymond, Mette Termansen, Arild Vatn, Simone Athayde, Brigitte Baptiste, David N. Barton, Sander Jacobs, Eszter Kelemen, Ritesh Kumar, Elena Lazos, Tuyeni H. Mwampamba, Barbara Nakangu, Patrick O’Farrell, Suneetha M. Subramanian, Meine van Noordwijk, SoEun Ahn, Sacha Amaruzaman, Ariane M. Amin, Paola Arias-Arévalo, Gabriela Arroyo-Robles, Mariana Cantú-Fernández, Antonio J. Castro, Victoria Contreras, Alta De Vos, Nicolas Dendoncker, Stefanie Engel, Uta Eser, Daniel P. Faith, Anna Filyushkina, Houda Ghazi, Erik Gómez-Baggethun, Rachelle K. Gould, Louise Guibrunet, Haripriya Gundimeda, Thomas Hahn, Zuzana V. Harmáčková, Marcello Hernández-Blanco, Andra-Ioana Horcea-Milcu, Mariaelena Huambachano, Natalia Lutti Hummel Wicher, Cem İskender Aydın, Mine Islar, Ann-Kathrin Koessler, Jasper O. Kenter, Marina Kosmus, Heera Lee, Beria Leimona, Sharachchandra Lele, Dominic Lenzi, Bosco Lliso, Lelani M. Mannetti, Juliana Merçon, Ana Sofía Monroy-Sais, Nibedita Mukherjee, Barbara Muraca, Roldan Muradian, Ranjini Murali, Sara H. Nelson, Gabriel R. Nemogá-Soto, Jonas Ngouhouo-Poufoun, Aidin Niamir, Emmanuel Nuesiri, Tobias O. Nyumba, Begüm Özkaynak, Ignacio Palomo, Ram Pandit, Agnieszka Pawłowska-Mainville, Luciana Porter-Bolland, Martin Quaas, Julian Rode, Ricardo Rozzi, Sonya Sachdeva, Aibek Samakov, Marije Schaafsma, Nadia Sitas, Paula Ungar, Evonne Yiu, Yuki Yoshida & Eglee Zent 【掲載誌】Nature 【URL】https://www.nature.com/articles/s41586-023-06406-9#Sec1(外部サイトに接続します) 【DOI】10.1038/s41586-023-06406-9(外部サイトに接続します)

8. 発表者

本報道発表の発表者は以下のとおりです。
国立環境研究所
気候変動適応センターアジア太平洋気候変動適応研究室
 研究員 吉田有紀

9. 問合せ先

【研究に関する問合せ】
国立研究開発法人国立環境研究所 気候変動適応センター
アジア太平洋気候変動適応研究室 研究員 吉田有紀

【報道に関する問合せ】
国立研究開発法人国立環境研究所 企画部広報室
kouhou0(末尾に”@nies.go.jp”をつけてください)

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