宍道湖、網走湖などの汽水湖でアオコが出現するメカニズムを解明
(筑波研究学園都市記者会、環境記者会、環境省記者クラブ、京都大学記者会同時配付)
平成30年5月31日(木) 筑波大学 藻類バイオマス・エネルギーシステム開発研究センター 主任研究員 田辺雄彦 京都大学 生態学研究センター 特定准教授 程木義邦 国立研究開発法人 国立環境研究所 環境計測研究センター 主任研究員 佐野友春 |
筑波大学 藻類バイオマス・エネルギーシステム開発研究センター 田辺雄彦主任研究員らの研究グループは、京都大学生態学研究センター 程木義邦特定准教授、国立環境研究所 佐野友春主任研究員との共同研究により、宍道湖(島根県)と濤沸湖(北海道)から分離されたアオコを形成するラン藻類ミクロシスティス・エルギノーザ(Microcystis aeruginosa)(以下、ミクロシスティスという)2株のゲノム配列の解読を行いました。
ミクロシスティスは富栄養化した淡水の湖沼で見られるアオコの原因藻類として知られています。アオコはアオコ毒素ミクロシスチンの産生や悪臭などの水環境問題を引き起こします。日本でも琵琶湖(滋賀県)や霞ヶ浦(茨城県)など多くの湖沼で初夏から秋にかけて出現して問題になっています。ミクロシスティスは塩分に弱いため、通常は淡水にしか出現しませんが、ときに宍道湖や網走湖(北海道)のような塩分の高い汽水湖でも出現することが知られていました。本研究では、ゲノム解読、分子生物学・生理学的実験、フィールド調査等により、これら汽水湖でアオコが出現するようになった謎を解明しました。
本研究の成果は、2018年6月5日(日本時間午後1時)付「Frontiers in Microbiology」で公開される予定です。
1.発表のポイント
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*本研究は、科学研究費基金(課題番号15K07523)、科学研究費基金(課題番号16H02943)、及び環境省地球環境研究総合推進費(課題番号D-0905)によって実施されました。
2.研究の背景
アオコとは世界中の淡水湖沼などで見られるラン藻類(シアノバクテリア)の大量増殖現象です。日本でも主に夏季から秋季にかけて霞ヶ浦や琵琶湖のような大きな湖沼から小さなため池まで、多くの淡水域でアオコが見られます。アオコは農業・生活排水などに含まれる栄養塩が湖沼に過剰に流入する、いわゆる「富栄養化」によって起こるため、人間の活動と密接に関係していると考えられています。アオコの形成は、アオコ毒の放出やアオコが死滅して腐敗するときに生じる悪臭などの問題を引き起こすため、水環境問題の一つとしてとらえられています。
アオコは様々な種類のラン藻類の大量増殖によって起こりますが、日本を含む世界の温帯域でもっとも報告例が多いのは、ミクロシスティス(図1)(注1)という種が原因となるアオコです。この種がつくるアオコは霞ヶ浦、琵琶湖、諏訪湖(長野県)などの淡水湖沼でしばしば出現しています。通常、ミクロシスティスは、塩分がほとんどない淡水の湖沼でアオコを形成するのですが、ときに塩分の高い汽水域で出現することがあります。日本では宍道湖(島根県)や網走湖(北海道)(図2)などがアオコの報告されている汽水湖として有名です。2010年に宍道湖でアオコが大問題になったことは記憶に新しいところです。
ほとんどのミクロシスティスは塩分に弱く、汽水湖のような塩分の高い環境では生育することができず、塩分の高い水に入れると速やかに死滅してしまいます。宍道湖のアオコの原因となったミクロシスティスは、通常のミクロシスティスにない塩分に対する耐性を持っていることがわかっていました。しかしながら、このミクロシスティスがどのようにして塩分に耐えているのか、また、どのようなメカニズムで塩分耐性を持つようになったのか、これらの塩分耐性を持つアオコが日本にどのぐらい分布しているのかなどについては、全くわかっていませんでした。
3.研究内容と成果
汽水湖として知られる宍道湖、濤沸湖から採取された塩分耐性を持つミクロシスティス2株の全ゲノム解析を行いました。その結果、バクテリアの細胞に塩分耐性を与える抗浸透圧分子として知られている糖の一種、スクロース(ショ糖)を合成する遺伝子を持つことがわかりました。この遺伝子は塩分が高いときにより多く合成され、その結果として細胞内にスクロースが多く蓄積され、塩分1%まで増殖可能なこともわかりました。その一方で、淡水でしか増殖できないミクロシスティスのゲノムはスクロースの合成遺伝子を持っておらず、塩分0.25%を超えると増殖できないことがわかりました。これらの結果は、スクロースがミクロシスティスに塩分耐性を与えていることを示唆しています(図3)。
これらの遺伝子を持つミクロシスティスは、宍道湖、濤沸湖のみならず、東郷湖(鳥取県)、湖山池(鳥取県)、網走湖などの汽水湖にも分布していることがわかりました(図4)。さらに宍道湖産、濤沸湖産のミクロシスティスのゲノムを比較したところ、スクロースの合成遺伝子の配列にほとんど違いがないことがわかりました。このことは、スクロースの遺伝子がごく最近に遺伝子水平伝播(注2)によってミクロシスティスに取り込まれ、その遺伝子を取り込んだミクロシスティスが塩分耐性を獲得したことを示唆しています。
汽水湖の富栄養化が起こったのは、人間の産業活動が盛んになった最近であるという説があります。ミクロシスティスは富栄養環境を好むラン藻類なので、汽水湖の富栄養化が、汽水で大量発生することができる塩分耐性を持つミクロシスティスの進化を誘発した可能性も考えられます。
4.今後の展開
日本には、今回ゲノムを解読したアオコの分離源である宍道湖、濤沸湖以外からも多くのアオコが報告されている汽水湖があります。これらの汽水湖のアオコを形成するラン藻類のゲノム解読を進めることにより、塩分耐性とその獲得メカニズムの普遍性と多様性が明らかになると考えられます。これらについての理解は、汽水でのアオコの対策に必要な基盤情報を提供することが期待されます。
汽水湖はシジミ漁に代表される水産業の盛んな湖であり、そこでのアオコの形成はこれら産業に関わる人々にとって大きな問題です。汽水湖の塩分は気象条件によって大きく変動することが知られています。本研究により、アオコは塩分1%以上では増殖できないため、塩分からアオコの出現をある程度予測することが可能になると考えられます。小さな汽水湖においては、海水の導入によって塩分を上昇させることでアオコを抑えるという手法が採用されていますが、上記の数値はそのような制御上の一つの目安となるかもしれません。今回の研究から、非常に短期間でミクロシスティスが塩分耐性を持つようになることが示唆されました。汽水湖でも、塩分が低い時期には、塩分耐性を持たないミクロシスティスでもアオコを形成することがあります。しかし、このミクロシスティスが塩分耐性を持つようになると、汽水湖におけるアオコの問題はますますひどくなる可能性があります。汽水湖の富栄養化には特に注意を払う必要があると考えられます。
5. 参考図
6.用語解説
ラン藻類(シアノバクテリア)の一種。直径数マイクロメートルの球形の細胞が集まって群体(コロニー)をつくるという特徴がある。一部の個体はアオコ毒素ミクロシスチンをつくることで知られる。ミクロシスチンは誤飲すると急性肝炎を引き起こし、また慢性暴露では肝臓がんを引き起こしうることがわかっている。WHO(世界保健機関)は1995年に飲料水におけるミクロシスチンの暫定ガイドライン(1μg以下)を設けており、世界中の飲料水源においてミクロシスチンの監視が行われている。
通常、遺伝子は親から子にのみ伝わり、この場合を遺伝子垂直伝播という。一方、ウイルスのようなベクター(媒介者)を介して親子関係のない個体間で遺伝子が移動する場合がある。これを遺伝子水平伝播という。同じ種間でも起こるが、異なる種の間で起こることもある。遺伝子水平伝播は、その種がそれまで持っていなかった性質を付与することがあり、微生物においては、その微生物がそれまで住めなかった新しい環境への進出に大きな役割を果たしていることがわかっている。本研究の事例では、それが塩分耐性であった。
7.掲載論文
(淡水性のアオコ形成ラン藻類ミクロシスティスの汽水適応はスクロース遺伝子の遺伝子水平伝播により最近起こった)
¹田辺雄彦、筑波大学 藻類バイオマス・エネルギーシステム開発研究センター
²程木義邦、京都大学生態学研究センター
³佐野友春、国立環境研究所
⁴多田清志、筑波大学 藻類バイオマス・エネルギーシステム開発研究センター
⁵渡邉信、筑波大学 藻類バイオマス・エネルギーシステム開発研究センター
DOI: 10.3389/fmicb.2018.01150
8. お問い合わせ先
筑波大学 藻類バイオマス・エネルギーシステム開発研究センター
主任研究員 田辺 雄彦(たなべ ゆうひこ)
〒305-8572 茨城県つくば市天王台1-1-1
電話: 029-853-8812
E-mail: tanabe.yuuhiko.fn(末尾に@u.tsukuba.ac.jpをつけて下さい)