湖沼における有機炭素の物質収支および機能・影響に関する研究(特別研究)
平成13〜15年度
国立環境研究所特別研究報告 SR-62-2004
研究の概要
課題1.湖における有機炭素収支に関する研究
[全有機炭素(TOC)ベース排出負荷量算定]
霞ヶ浦におけるTOC,DOC,難分解性DOC(RDOC)の発生源別排出負荷量を算定した(図1)。TOC排出負荷量のうち生活系は34%を占めるが,RDOC排出負荷量としては生活系は13%に過ぎず面源系からの寄与のほうが大きかった。難分解性DOMの発生源対策としては雑排水等の生活系よりも面源系対策が有効と判断された。
[モデルの構築・解析]
(1)霞ヶ浦の3次元流動モデル(500mメッシュ,鉛直10層)を構築。挙動解析の結果,高浜入りの水塊は土浦入りのそれに比べて湖盆域の水塊との交換・混合が非常に悪く、湖心付近では土浦入りから流れ込む湖水が卓越。
(2)難分解性フミン物質を対象として湖内3次元流動モデルを検証した結果,実測値と計算値は良好に一致(図2)。
(3) モデルによる難分解性DOMの物質収支算定により,霞ヶ浦湖心における河川水,下水処理水,底泥溶出および湖水柱生産による湖水難分解性DOMへの寄与は,平均で,それぞれ44%,14%,28%および15%であることがわかった。下水処理水の放流先である土浦入りでは下水処理水の寄与は特徴的に大きく年平均38%(図3)。
[湖水DOMの動態・特性]
霞ヶ浦におけるDOM,フミン物質,親水性酸および難分解性DOM,フミン物質,親水性酸の5年間(1997-2001年)に渡る動態を明らかにした(図4)。難分解性DOMは1997年には増大傾向にあったが,1998年に減少傾向を示し,さらに1999年以降は再び漸増傾向に転じた。当該期間における難分解性DOMの増減は,主に難分解性親水性酸の寄与によるものであった。霞ヶ浦湖水中の難分解性DOMとしてはフミン物質と親水性酸が大部分を占め,特に親水性酸の寄与が最も大きかった。難分解性DOMとしては親水性酸のほうがフミン物質よりも重要と言える。湖水DOMの分解率は約11%で非常に低く,その分解は主に親水性酸の分解によるものであった。
RDOM:難分解性DOM,AHS:フミン物質,RAHS:難分解性フミン物質,HiA:親水性酸,RHiA:難分解性親水性酸。
[河川水DOMの特性と分解性]
河川水DOMでも湖水と同様にフミン物質と親水性酸が卓越していた。総じて河川水と湖水のDOM分画分布に顕著な違いはなかった。河川水難分解性DOMとしてもフミン物質と親水性酸が大部分を占めた。湖水の場合とは異なり,生分解前後でフミン物質の存在比が顕著に上昇した(31%→38%)。河川水DOM分解率は平均31%で湖水DOM(同一時期で9%)に比べはるかに高かった。
課題2.湖水溶存有機物(DOM)の特性・起源と機能・影響に関する研究
[溶存鉄の存在形態と藻類増殖]
湖水等の陸水中の溶存鉄およびその存在形態を分析・定量する手法を開発。霞ヶ浦湖水中の溶存鉄の99.9%以上が有機態としてDOMに結合した形で存在することが判明(表1)。生物利用可能鉄(フリーイオン+加水分解種)濃度は非常に低く(ca.10-13M),植物プランクトンが鉄制限状態にある外洋のそれに匹敵した。霞ヶ浦のほうが外洋よりも溶存鉄濃度は10~100倍高いが,湖水DOMの鉄に対する錯化能が圧倒的に強いため,生物利用可能鉄濃度は極めて低くなることがわかった。
Microcysits属によるアオコが発生している農業用水路において,Microcysits aeruginosaを用いた藻類増殖能(AGP)試験と鉄の存在形態分析を同時に実施した。その結果,実際のフィールドで,アオコを形成するMicrocystis属の増殖・優占には,窒素,リン,溶存鉄濃度のみならず,鉄の存在形態が重要な因子であることが明らかとなった。
DFe [nM] | L [nM] | log KFeL | ?logFe' | %Organic | |
St.1 | 127.2±8.9 | 143.1±17.0 | 25.8±0.4 | 12.8 |
> 99.9 |
St.3 | 71.7±5.3 | 101.0±21.0 |
25.5±0.6 | 12.9 | > 99.9 |
St.7 | 61.2±9.3 | 90.8±16.6 | 26.1±0.6 | 13.6 | > 99.9 |
St.9 | 43.9±4.5 | 63.4±20.0 | 25.8±0.8 | 12.9 | > 99.9 |
[湖内部生産DOM量の算定:藻類由来と底泥由来]
霞ヶ浦の典型的な藍藻類(Microcystis aeruginosa, Anabaena flos-aquae, Oscillatoria agardhii)や緑藻類(Scenedesmus acuminatus)から排出される難分解性DOMとしては,親水性酸が卓越していた(図5)。DOM排出量が大きくかつ分解率も低いM.aeruinosaやA.flos-aquaeに由来する難分解性DOMでは親水性酸が圧倒的に優占した。O.agardhiiやS.acuminatus由来の難分解性DOMではフミン物質の割合が比較的高かったが(約20%),その排出DOM量はとても少なくかつ分解率は極めて高かった(90%以上)。従って,藻類に由来するフミン物質は霞ヶ浦湖水の水柱ではほとんど生成されないと示唆された。
Microcystis:Microcystis aeruginosa,Anabeana:Anabeana flos-aquae,Oscillatoria:Oscillatoria(新名 Planktothirix)agardhii,Scenedesmus:Scenedesmus Acuminatus.霞ヶ浦湖心における溶存有機物(DOM),フミン物質,親水性酸および難分解性DOM,難分解性フミン物質,難分解性親水性酸の動態(1997~1998年)
RDOM:難分解性DOM,AHS:フミン物質,RAHS:難分解性フミン物質,HiA:親水性酸,RHiA:難分解性親水性酸。
底泥間隙水中のDOM濃度鉛直プロファイルからDOMの底泥溶出フラックスを求めた。DOM溶出フラックスは経年的および季節的に大きく変動した(図6)。溶出フラックスは1997年にとても大きな値を示したが,1998年には減少に転じ,1999年には再び上昇し,2000年には調査期間中で最低レベルを記録した。溶出フラックスに共通した季節的変動パターンが認められた。春季(5月)と夏季-秋季(8,9,10月)に溶出フラックスのピークが観察されたが,全ての調査年で春季のほうが夏季よりも大きな値を示した。
[微生物群集構造の解析]
霞ヶ浦湖水での微生物群集構造を明らかにするために,変成剤濃度勾配ゲル電気泳動(DGGE)法を用いて,湖水における細菌群集(藍藻類を含む)の種組成,季節変動および地点間の差異について検討・解析した。その結果,細菌群集構造は地点による変化はあまり示さず,季節的により大きく変動することが明らかとなった。
[藻類の現場増殖速度の測定]
実際の湖沼での特定藻類種の増殖速度を定量する目的で,特定藻類種のリボ核酸含量(RNA/DNA比等)に基づく藻類の増殖速度測定手法を開発した。
Microcystis属藍藻に対する特異的なプライマーを作成し,その特異性を検証した(図7)。次に,Microcystis属によるアオコが発生している用水路において,RNA/cell比と既存手法から求めた増殖速度(in-situ増殖速度とケモスタット増殖速度)。結果,新しく開発した核酸含有量に基づく増殖速度指標は,現場における特定種の生理状態を正確に反映した増殖速度の測定と,その制限要因の解析に有効であることがわかった。
[DOMの特性・起源の評価]
(1)河川懸濁物質(POM)の難分解性DOMへの寄与:霞ヶ浦主要4河川(恋瀬川、桜川、花室川、小野川)のサンプル(懸濁粒子含む)とろ過サンプルを長期間生分解試験に供した後に樹脂吸着分画を行い、両サンプルの難分解性DOM濃度とDOM分画分布について比較・検討した。その結果、全ての河川において、顕著な差は認められなかった(図8)。従って,河川水中のPOMからの湖水難分解性DOMへの寄与は無視できると示唆された。
RDOM:難分解性DOM,未ろ過RDOM:ろ過せずに分解試験を実施した後のRDOM、RAHS:難分解性フミン物質、未ろ過:ろ過せずに分解試験を実施した後のRAHS,RHiA:難分解性親水性酸,未ろ過RHiA:ろ過せずに分解試験を実施した後のHiA.DOC:溶存有機炭素。
(2)水田におけるDOM収支:灌漑水量・排水量・浸透量・蒸発散量が定量可能な水田を対象として、灌漑開始から最終落水まで、DOMおよび各分画成分の水田における収支を調査した。対象水田におけるDOMおよび難分解性DOM収支は排出型で,DOMや難分解性DOMとして親水性酸が最も多く排出された。全期間を通じて排出されたDOMは非常に難分解性であった。年間収支からみると,難分解性フミン物質は水田から排出されないことがわかった。(表2)
RAHS | RHoN | RHiA | RBaS | RHiN | RDOM | |
4月 | -1.6 | 0.0 | -1.8 | -0.1 | -0.3 | -3.8 |
5月 | 0.3 | 1.0 | 0.8 | 0.0 | 0.0 | 2.1 |
6月 | 2.1 | 1.6 | 4.0 | 0.2 | 0.4 | 8.3 |
7月 | -2.3 | -1.1 | -2.0 | 0.2 | -0.1 | -5.3 |
8月 | 1.5 | 0.1 | 1.1 | 0.1 | 0.3 | 3.0 |
全期間 | 0.0 | 1.6 | 2.1 | 0.2 | 0.3 | 4.2 |
(3)浄水処理場におけるDOMの特性:霞ヶ浦湖水を原水とする浄水処理場の処理プロセス(生物膜→凝集沈殿→砂ろ過→活性炭吸着)において,湖水DOMは32%除去され,その除去のほとんどは凝集沈殿プロセスで達成されていることがわかった。DOMは活性炭吸着プロセスではほとんど除去されなかった。浄水処理の進行と伴い,フミン物質は選択的に除去され,DOMはより親水性に変性されていることがわかった。
(4)溶存有機炭素(DOC)と溶存態COD(D-COD)の関係:霞ヶ浦湖心における長期間に渡るモニタリング(1988~2001年)によって蓄積されたDOC濃度とD-COD濃度のデータを比較検討したところ,1995年前後で,DOC濃度とD-COD濃度の間に明白な乖離現象が認められた(図9)。この乖離現象は,湖水DOMの分解率の変化に対応していた。DOC濃度とD-COD濃度の関係が1995年前後で顕著に変化したのは,霞ヶ浦湖水DOMが急激に難分解性化したために,過マンガン酸CODでは酸化しにくいDOMの割合が増えたためと示唆された。
独立行政法人国立環境研究所
水土壌圏環境研究領域 今井 章雄
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