東日本大震災及び福島原発事故後の岩手県から千葉県に至る潮間帯生物の調査結果
~福島第一原発近傍、特に南側の地点で種類数と棲息量が減少~
(Scientific Reports 掲載論文)
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、福島県政記者クラブ同時配付)
国立研究開発法人国立環境研究所
環境リスク研究センター
室長 堀口 敏宏
フェロー 白石 寛明
2011年~2013年までの調査の結果、1Fに近づくにつれて潮間帯に棲息する無脊椎動物の種類数が統計学的に有意に減少し(P<0.001)、特に1F南側の地点(大熊町と富岡町)で無脊椎動物の種類数とともに棲息量も統計学的に有意に少ない(P<0.05)ことが明らかとなりました。また、大熊町と富岡町における無脊椎動物の棲息量は1995年の同種の調査結果と比較しても少ないことがわかりました。すなわち、震災・原発事故の後、1F近傍、特に南側で潮間帯生物の棲息量が減少したとみられます。大津波を受けた他地点との比較から、1F近傍における潮間帯生物の減少が津波のみで引き起こされたとは考えにくく、原発事故による可能性がありますが、今後、詳細な原因究明が必要です。
この研究成果をまとめた論文が、2016年2月4日(日本時間19時)に英国科学誌(オープンアクセスジャーナル)「Scientific Reports」に掲載されました。
1.背景
2011年3月11日の東日本大震災に付随して起きた、東京電力福島第一原子力発電所(1F)の事故では3基の原子炉が同時にメルトダウンし、大量の放射性核種が大気中及び隣接海域に放出されました。放出された放射性核種の総量にはいくつかの推定値がありますが、希ガスを除いて、概ね、数百 ペタベクレル(PBq)とされます1。一方、1986年4月に旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で起きた事故で放出された放射性核種の総量は約5300PBq(希ガスを除く)とされるため1、福島原発事故の規模は相対的に小さかったと言われています。しかし、内陸部にあるチェルノブイリ原発と異なり、福島第一原発は海岸部に立地しているため、事故の海洋環境へのインパクトの点では留意が必要です。実際、福島原発事故では大気経由による沈着量を上回る量の放射性核種が原子炉冷却水とともに隣接海域に直接漏洩したとみられ(例えば、海洋研究開発機構によると、2011年3月21日~5月6日に1Fから漏れ出た放射性セシウム(137Cs)の総量は、海域へ直接漏洩したものが4.2–5.6 PBq、大気から海洋への沈着(フォールアウト)によるものが1.2–1.5 PBqと推定されています)2、海洋環境への放出量の点で前例がありません。
英国のWindscale(現Sellafield)使用済み核燃料再処理工場では1952年~1992年までに約41PBqの137Csが隣接海域に放出され、年間最大放出量は1975年の5.2PBqとされます3。福島原発事故では2011年3月21日~5月6日に隣接海域へ直接漏洩した137Csが4.2–5.6PBqと推定されている2ことから、Windscale(現Sellafield)での年間最大放出量(5.2PBq)3とほぼ同量の137Csが約1ヶ月半の間に1F隣接海域に漏洩したことになります。したがって、1F周辺の海産生物は137Csやその他の核種に急性あるいは亜急性被ばく(曝露)した可能性があります。
2.方法
そこで、国立環境研究所は、放射線医学総合研究所と福島県の協力のもと、2011年12月14日に1Fの半径20km圏内(警戒区域;当時)の16地点で潮間帯生物に関する予備調査を行い、それ以降も千葉県から岩手県に至る沿岸各地の潮間帯で調査を行ってきました。
①イボニシ(巻貝)等の棲息状況に関する予備調査(2011年12月)
2011年12月14日に1Fの半径20km圏内(警戒区域;当時)の16地点(高濃度の放射性核種と津波による影響を受けた可能性がある場所として選定)で実施した予備調査では、イボニシ(巻貝)の棲息状況を目視観察するとともに、その他の潮間帯生物(二枚貝、藻食性及び肉食性巻貝、甲殻類(フジツボ類やヤドカリ類等)など)の棲息状況も目視観察しました。
②潮間帯の無脊椎動物の種類数と肉食性巻貝の棲息密度に関する詳細調査(2012年4月~8月)
2012年4月、7月及び8月に千葉県、茨城県、福島県、宮城県及び岩手県の43地点(このうち、1Fの半径20km圏内(警戒区域;当時)は10地点;その他の33地点は低濃度あるいはごく低濃度の放射性核種と津波による影響を受けた可能性がある場所として選定)で実施した詳細調査では、潮間帯に棲息する無脊椎動物の種名を記録するとともに、イボニシとチヂミボラ(肉食性巻貝)は観察された全個体を採集しました(採集に要した時間も記録)。これにより、各地点の種類数と肉食性巻貝の棲息密度(1分間当りの採集個体数)を算出しました。
③潮間帯の無脊椎動物の種類数と個体数密度等に関する定量調査(2013年5月~6月)
2013年5月及び6月に茨城県(神栖市、日立市)、福島県(富岡町、大熊町、双葉町、南相馬市(いずれも1Fの半径20km圏内(旧 警戒区域)))及び宮城県(石巻市)の7地点(2012年の詳細調査を実施した地点のうち、1Fからの距離並びに同様の基質(テトラポッドなどの消波堤)であることを考慮した代表地点)において実施した潮間帯の付着生物(無脊椎動物)の定量調査では、水深帯別(潮間帯下部、潮間帯及び潮間帯上部)に50cm方形枠内の全ての付着生物を掻き取り、10%中性ホルマリンで固定した後、種別の個体数と重量を調べました。これにより、各地点の種類数と、水深帯別に種別の1m2当り個体数と重量(それぞれ、個体数密度及び重量密度という)を算出しました。
以上により得られたデータについて、回帰分析や分散分析、クラスター解析などにより、統計学的な有意性を検定しました。
3.結果
①イボニシ(巻貝)等の棲息状況に関する予備調査(2011年12月)
2011年12月14日の警戒区域内の16地点における予備調査でイボニシ(巻貝)を採集できたのは楢葉町の1地点(1個体)のみでした。また、その他の潮間帯生物(二枚貝、藻食性及び肉食性巻貝、甲殻類(フジツボ類やヤドカリ類等)など)の棲息量も少なく、観察されても少数あるいは小型個体でした。
②潮間帯の無脊椎動物の種類数と肉食性巻貝の棲息密度に関する詳細調査(2012年4月~8月)
2012年4月~8月の千葉県から岩手県までの43地点での詳細調査により、潮間帯に棲息していた無脊椎動物の種類数が1Fに近づくほど統計学的に有意に減少(P<0.001)することが明らかとなり(図1左)、そのうち、イボニシは広野町から双葉町までの約30kmの範囲で全く採集されませんでした(図1右)。大津波の被害を受けた岩手県、宮城県及び福島県北部の多くの地点でイボニシが採集されたことから、1F近傍(広野町から双葉町までの約30kmの範囲)でイボニシが採集されなかったことを津波による影響として説明することはできず、原発事故によって引き起こされた可能性があります。
③潮間帯の無脊椎動物の種類数と個体数密度等に関する定量調査(2013年5月~6月)
2013年5月~6月に茨城県(神栖市、日立市)、福島県(富岡町、大熊町、双葉町、南相馬市)及び宮城県(石巻市)の7地点において実施した50cm方形枠による潮間帯の付着生物(無脊椎動物)に関する定量的な採集調査の結果、潮間帯に棲息する無脊椎動物の種類数と棲息量が1F近傍、特に南側の地点(大熊町と富岡町)で他の地点よりも統計学的に有意に少なく(P<0.05;図2~図4)、また、1995年の東京電力による同種調査の結果4と比較しても少ないことが明らかになりました(図3)。この傾向は、フジツボ類などの節足動物で顕著でした(図3;富岡や大熊に加えて、特に久保谷地(双葉町))。
L: 潮間帯下部、M: 潮間帯、U: 潮間帯上部
1995年5月に東京電力によって福島県沿岸の20地点で30cm方形枠により実施された付着生物(無脊椎動物)の枠取り調査の結果、付着生物の平均個体数密度は7158 個体/m2であり、その内訳は、節足動物 (4593個体, 64.2%), 環形動物 (179個体, 2.5%), 軟体動物 (2348個体, 32.8%) 及びその他 (38個体, 0.5%) でした4。震災前(1995年)には福島県沿岸の潮間帯にさまざまな無脊椎動物が棲息しており、節足動物(特にフジツボ類)が優占していたことがわかります。したがって、2011年3月の震災・原発事故以降、1F近傍、特に南側の地点で、潮間帯の無脊椎動物の種類数と棲息量(個体数密度)が減少したとみられます(図3)。その原因は現時点では不明ですが、大津波を受けた他地点での観察結果との比較から、1F近傍(特に南側)における潮間帯生物の減少が津波のみで引き起こされたとは考えにくく、原発事故による可能性があります。
4.今後の展望
本研究による観察結果(1F近傍、特に南側における潮間帯生物の減少)は、震災・原発事故から9ヶ月~2年余りが経過した時点(2011年12月~2013年6月)のものであり、震災・原発事故直後の潮間帯生物の生残状況を反映していると考えられます。1F近傍、特に南側における潮間帯生物の減少は津波を主たる原因として説明することができず、原発事故による影響の可能性がありますが、現時点では明らかでありません。また、原発事故、とりわけ、原子炉冷却水の直接漏洩により海洋環境中に漏れ出た恐れのある有害物質等には、多種の放射性核種のみならず、ホウ酸やヒドラジンなどの化学物質も含まれていた可能性があり5,6、これらが親潮の流れで南下した可能性があります。1Fの南側の地点で影響がより大きかったとみられるのはそのため、とも考えられます。これらの有害物質等に対する急性あるいは亜急性曝露が事故当時に1F近傍に棲息していた潮間帯生物個体の斃死をもたらした可能性があり、既往知見も参考にしながら、今後、室内実験による検証を行う必要があります。
また、新規加入個体が1F近傍で観察されない事例(例えば、イボニシ)もあることから、こうした有害物質等あるいは1F近傍におけるその他の環境因子に対する慢性曝露の影響も詳細に調べる必要があります。さらに、有害物質等に対する感受性の種差だけでなく、生物間相互作用(餌生物や繁殖相手などを巡る種内競争や、被食-捕食などの種間関係)を通じた影響も含めた総体として、1F近傍における潮間帯生物の減少が生じた可能性もあるため、今後の原因究明に際して、多角的な視点で検証を進める必要があります。
また、1F近傍における潮間帯生物の個体群の時空間変動を明らかにするため、現地調査を継続し、個体数密度の増大(回復過程)のほか、繁殖・産卵行動や幼稚仔の出現と新規加入について明らかにする必要があります。
5.謝辞
本研究の一部は、環境省委託業務「平成24年度及び平成25年度環境中の放射性物質の動態解明及び放射性物質に汚染された廃棄物等の効率的な処理処分等に関する研究」により実施されました。
6.発表論文
Decline in intertidal biota after the 2011 Great East Japan Earthquake and Tsunami and the Fukushima nuclear disaster: field observations. Scientific Reports 6, 20416;
doi: 10.1038/srep20416 (2016).
URL: www.nature.com/articles/srep20416
(Open accessですので、無料で入手できます)
7.参考文献
注)2012年4月~8月の千葉県から岩手県までの43地点での詳細調査の結果、イボニシが広野町から双葉町までの約30kmの範囲で全く採集されなかったことは、2013年3月27日に日本水産学会春季大会において口頭発表され、朝日新聞、東京新聞並びに共同通信によって報道されました。一方、同調査の結果、潮間帯の無脊椎動物の種類数が1Fに近づくにつれて有意に減少する(P<0.001)ことや、2013年5月~6月の定量調査の結果、潮間帯に棲息する無脊椎動物の種類数と棲息量が1F近傍、特に南側の地点(大熊町と富岡町)で他の地点よりも有意に少なく(P<0.05)、また、1995年の同種調査の結果と比較しても少ないことが明らかになったことについては、これまで報道されていません。
【お問い合わせ先】
国立研究開発法人 国立環境研究所
環境リスク研究センター 生態系影響評価研究室
室長 :堀口 敏宏
Tel: 029-850-2522
E-mail: thorigu@nies.go.jp