ガソリン自動車から駐車時および給油時に蒸発してくる揮発性有機化合物を成分ごとにリアルタイムに分析
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ同時配付)
国立研究開発法人国立環境研究所
地球環境研究センター
地球大気化学研究室
主任研究員:猪俣 敏
室長:谷本浩志
大気中に放出されたVOCは光化学オキシダントやPM2.5を含む浮遊粒子状物質といった大気汚染物質の原因物質の一つであり、これらの健康被害を未然に防止するため、その排出状況の把握が望まれています。
ガソリン自動車からは、テールパイプからの排ガスとしてVOCが排出されていますが、それ以外に、駐車時や給油時に蒸発ガス(ガソリン蒸気)としてVOCが大気に放出されています。この研究により、長期の駐車時に日本車は米国車より蒸発ガスを捕集するために取り付けられているキャニスタの破過が起こりやすく、多くのVOCを放出していること、また、駐車時や給油時に大気に放出されるVOC成分は、燃料成分のものよりもオゾン生成ポテンシャルが高く、大気汚染の度合いを強めることを見出しました。
日本で実際に走行しているガソリン自動車複数台を用いて試験を行い、駐車時および給油時の蒸発ガス排出実態について学術的な国際誌への報告は初めてとなります。本研究成果は、国際学術専門誌「Atmospheric Environment」(Elsevier Ltd.)に掲載されました。
1.背景
1-1.大気汚染とその原因物質VOC
最近、世界保健機関(WHO)が、大気汚染による死者は2012年には世界で約700万人にもおよび、死者全体の8人に1人を占め、大気汚染が環境要因で最大の健康リスクであると警告をしました(文献1)。日本において、環境省が行っている大気環境モニタリング結果によると、大気汚染物質の光化学オキシダントや微小粒子状物質(PM2.5)の大気環境基準の達成率は著しく低いことが報告されています。これらの大気汚染物質は、揮発性有機化合物(Volatile Organic Compound、VOC)の大気中での光化学反応によって生成することが知られており、工場などの固定発生源および自動車などの移動発生源の双方で、VOCの排出削減努力が続けられています。
1-2.ガソリン自動車からのVOC排出
ガソリン自動車からは、テールパイプからの排ガスとしてVOCが排出されていますが、それ以外に、駐車時や給油時に蒸発ガス(ガソリン蒸気)としてVOCが大気に放出されています。
1-3.駐車時の蒸発ガスの起源
駐車時の蒸発ガスの起源としては、①燃料配管等からの浸透による排出(パーミエーション)、②長時間の駐車時、昼夜の外気温の変化に応じたタンク内蒸発ガスの圧力変化に起因する排出(ブレークスルー)、の2つがあります。後者を防ぐためにガソリン自動車には燃料蒸発ガス回収装置が取り付けられています。これは蒸発ガスを捕集し、その捕集した蒸発ガスをエンジンの吸気管に戻し燃料として利用する装置ですが、長期間駐車をすると蒸発ガスを捕集するキャニスタ内が蒸発ガスで満たされ、新たな蒸発ガスを捕集できず大気に排出してしまう、「破過」という現象が起きます。現在、日本ではキャニスタの容量は1日の駐車を想定して設計されていますが、米国では、3日もしくは2日を想定しています。
1-4.給油時の蒸発ガスの起源
一方、給油時の排出は、給油時にタンク内の液面が上昇することによりタンク内に蒸発していたガスが燃料注入口から押し出されて起こります。この対策として、米国では自動車搭載型蒸気回収システム(Onboard Refueling Vapor Recovery (ORVR)、キャニスタで回収を行うシステム)、欧州では燃料供給機での回収システム(燃料蒸発ガスを給油ノズルから給油所の地下タンクに回収するシステム)が用いられています。
1-5.ガソリン自動車からの蒸発ガスに関する国の対応
これら駐車時蒸発ガス、給油時蒸発ガスについては中央環境審議会「今後の自動車排出ガス低減対策のあり方について(第12次答申)」において「自動車の駐車時に排出される燃料蒸発ガス対策の強化や給油時等に排出される燃料蒸発ガス対策の導入について、今後、実行可能性、技術的課題、対策による効果等について確認するとともに、VOC排出量全体に占める寄与度や他の発生源に対するVOC対策の実施状況及び欧米での状況も踏まえ、早急に検討する」とされ、早急な実態把握が求められています。
1-6.本研究での調査事項
このような背景から、ガソリン自動車から駐車時および給油時に蒸発してくるアルカン、アルケン及び芳香族炭化水素に分類されるVOCの成分についてリアルタイムで分析を行い、日本におけるこれらの発生源からの排出実態を捉えるとともに、光化学オゾン生成の観点から大気環境への影響について調べました。
2.試験
試験は、独立行政法人交通安全環境研究所保有の蒸発ガス測定施設(Sealed Housing Evaporative Determination, SHED)で行いました。本施設は、自動車一台駐車できる密閉可能な部屋で、室内温度を制御できるようになっています(図1)。
SHED内の中の空気をサンプリングできるポート(試料採取口)を設け、全炭化水素計を用いて全炭化水素量を、オンライン化学イオン化質量分析計(*1)を用いてアルカン、アルケン及び芳香族炭化水素に分類されるVOCの成分についてリアルタイムに計測を行いました。
駐車時の試験では、パーミエーション(*2)とブレークスルー(*3)の両方について調べました。試験では国土交通省で定められている終日保管時排出(Diurnal Breathing Loss, DBL)試験法(文献2)を用い、キャニスタの破過の実態を調べるため、3日間連続したDBL試験を行いました。一方、給油時の試験では、給油ノズルとホースを入れられるだけ窓を開け、そこから給油ノズルを挿入して試験を行いました。
3.結果
3.1.駐車時の蒸発ガス
3日間の連続したDBL試験において、一日ごとに排出される全炭化水素量(g/day)を示しています。本試験では、7台の日本車と2台の外国車について調べました。日本車6を除き(*4)、全ての自動車で1日目の排出量は日本の規則の2g/day以下であることが確認されましたが、自動車によって、2日目、3日目には、1日目のパーミエーションによると思われる排出量を超える排出があったことから、キャニスタの破過が起こっていることが考えられました。キャニスタの破過が起こっていると考えられる自動車は日本のもので、米国車(外国車2)では、3日間、蒸発ガスの排出量が2g/day以下に抑えられていることがわかります。(図2)。
(b) DBL試験で用いられた一日の温度変化の様子
また、駐車時の蒸発ガスに含まれる芳香族炭化水素、アルカン及びアルケンの割合と、各成分の割合とオゾン生成ポテンシャル(*5)から求められた平均オゾン生成ポテンシャルを燃料のものと比較して示しています(図3)。
(b) 各成分の割合とオゾン生成ポテンシャルから求められた平均オゾン生成ポテンシャル
本研究で計測したVOCのうち、パーミエーションによって排出される蒸発ガスの成分は、燃料成分に含まれている芳香族炭化水素、アルカン、アルケンが検出され、その成分比も燃料成分とほぼ同じでした。しかし、ブレークスルーによって排出される蒸発ガスには、芳香族炭化水素の成分の排出が抑えられ(蒸気圧がアルカンやアルケンに比べ低いためと考えられる)、オゾン生成ポテンシャルが大きいアルケンの排出割合が多くなることがわかりました。この結果、ブレークスルーによって排出される蒸発ガスの平均オゾン生成ポテンシャルが燃料成分のものより大きくなったことで、より大気汚染の度合いを強めると考えられます。
3.2.給油時の蒸発ガス
20℃で日本車8台について給油時の蒸発ガスの排出量(g/L)、1リットル燃料給油時に排出される蒸発ガスの量)を調べた結果を示しています(図4)。
米国の規制値の0.05g/L(26.7℃条件で)に比べかなり排出量が多いことがわかる。
また、給油時の蒸発ガスに含まれる芳香族炭化水素、アルカン、アルケン及びジアルケンの割合と、各成分の割合とオゾン生成ポテンシャルから求められた平均オゾン生成ポテンシャルを燃料のものと比較しました(図5)。
(b) 各成分の割合とオゾン生成ポテンシャルから求められた平均オゾン生成ポテンシャル
給油時に排出される蒸発ガスには、燃料成分と比較すると、芳香族炭化水素の成分の排出が抑えられ、アルケンの排出割合が多くなっています。この傾向は、ブレークスルーによって排出される蒸発ガスと同じです。結果、ブレークスルーによって排出される蒸発ガスの結果と同様に、給油時に蒸発ガスの平均オゾン生成ポテンシャルが燃料成分のものより大きくなることで、より大気汚染の度合いを強めるということがわかりました。
4.本研究の意義と今後の展開
本研究では、日本で実際に走行しているガソリン自動車複数台を用いて試験を行いましたので、実環境の実態を把握するための貴重なデータで、日本におけるガソリン自動車からの駐車時及び給油時の蒸発ガス排出実態についてこれまで学術的な国際誌への報告例はなく、本研究が初めてです。本研究では、実環境の実態を把握できるように、年式の異なるもの、コンパクトな自動車からミドルサイズの自動車など、なるべくばらつきを把握できるように複数台での試験を行いました。また、光化学オゾン生成の観点から大気環境への影響の評価に、本研究で用いたオンライン化学イオン化質量分析法が有効であることを示しました。本研究で得られた知見はこれから行われる駐車時および給油時蒸発ガス対策に関する議論に重要と考えられます。また、蒸発ガスの排出量は、気温差等に依存しますので、そのような観点からのVOC排出インベントリの推計が必要であり、本研究はその基礎データとしても重要と考えられます。
5.補足説明
Reaction plus Switchable Reagent Ion-Mass Spectrometer, PTR+SRI-MS)を
用いました(文献3)。化学イオン化の試薬イオンには、主にNO+を用いました。
本手法では、ガスクロマトグラフィーカラムのような分離技術は用いていないため、
異性体(例えば、ノルマルブタンとイソブタン)は区別できません。
*2 パーミエーションとは、燃料配管等からの浸透によるVOCの排出のこと。
*3 ブレークスルーとは、長時間の駐車時、昼夜の外気温の変化に応じたタンク内蒸発ガス
の体積変化に起因するVOCの排出のこと。
*4 本試験の後、燃料タンクとキャニスタの間のパイプで欠陥があったことが確認されまし
た。蒸発ガスが正常にキャニスタに送られず、パイプから漏れ出したため、排出量が高
かったと考えられます。
*5 本研究では、オゾン生成ポテンシャルの指標として、最大増加反応性(Maximum
Incremental Reactivity, MIR)を用いました(文献4)。
6.問い合わせ先
国立研究開発法人国立環境研究所
地球環境研究センター 地球大気反応研究室 主任研究員 猪俣 敏
Tel: 029-850-2403 E-mail: ino@nies.go.jp
7.発表論文(下線は国立環境研究所の研究者を示す)
・Hiroyuki Yamada, Satoshi Inomata, Hiroshi Tanimoto, Evaporative emissions in three-day diurnal breathing loss tests on passenger cars for the Japanese market, Atmospheric Environment, 107, 166-173, 2015.
【関連論文】
・Satoshi Inomata, Hiroshi Tanimoto, Hiroyuki Yamada, Mass spectrometric detection of alkanes using NO+ chemical ionization in proton-transfer-reaction plus switchable reagent ion mass spectrometry, Chemistry Letters, 43, 538-540, 2014.
8.関連イベント
シンポジウム「蒸発ガス・給油時蒸発ガスを考える—環境影響と対策—」
日時:11月16日(月) 10:30~16:30
会場:東京大学本郷キャンパス山上会館大会議室
詳細ホームページ:http://www.jsae-net.org/event/2015/JSAE_gus-symp-info_151116.pdf
9.参考文献
1. WHOのプレスリリース(http://www.who.int/mediacentre/news/releases/2014/air-pollution/en/)
2. 国土交通省、道路運送車両の保安基準、別添49 燃料蒸発ガスの測定方法(http://www.mlit.go.jp/common/000190467.pdf)
3. 猪俣 敏、大気汚染物質の先端的分析法、ぶんせき、通巻第490号、459‒463、2015
4. California Environmental Protection Agency, Tables of Maximum Incremental Reactivity (MIR) Values (http://www.arb.ca.gov/regact/2009/mir2009/mir2009.htm)
10.共同研究者
独立行政法人交通安全環境研究所 環境研究領域 山田裕之(主席研究員)