福島原発事故から10年、森林-河川生態系を移動する
放射性セシウムの動きを紐解く
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会、福島県政記者クラブ、郡山記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会、府中市政記者クラブ同時配付)
2021年8月24日(火) 国立研究開発法人国立環境研究所 福島地域協働研究拠点 境 優・辻 英樹・石井 弓美子・JO Jaeick・ 玉置 雅紀・林 誠二 国立大学法人東京農工大学 大学院農学研究院国際環境農学部門 五味 高志 |
国立環境研究所、東京農工大学らの研究チームは、福島原発事故から10年の間に発表された約90報の学術論文をレビューし、汚染地域の最も主要な景観である森林、そして森林と人々の生活圏を結ぶ河川での放射性セシウムの動きを網羅的に調べました。様々な生物が棲む森林の表土では生物群集内の栄養循環により放射性セシウムが循環し、水の流れがよどむ淵やダムなどでは水流により移動した放射性セシウムが集まります。これらの場所では、放射性セシウムが長期的に留まる一方、生物・水・土砂などの移動を通してじわじわと移動します。今後は、森林の表土や水のよどみに集まった放射性セシウムをどう管理するかが、森や川の恵み、下流域への影響を軽減する鍵になると考えられます。本成果は、令和3年7月7日付で環境科学分野の国際誌「Environmental Pollution」に掲載されました。 |
1.研究背景
山地の森林と河川は、生物・水・土砂などの動きが相互に影響し合う「森林-河川生態系」を形成しています。ここでの複雑なものの動きは、多様な生物に棲み家を与えながら下流の河川環境を形成し、我々人間の生活に欠かせない水資源や森・川の恵みといった生態系サービス※1をもたらしてきました。しかし、2011年3月に生じた福島第一原子力発電所の事故により放出された放射性セシウムは、地域を支える森林-河川生態系の汚染を招きました。原発事故後、人々の生活圏の居住地や農地で除染が進む一方で、人里離れた山地の森林域は汚染地域の最も主要な景観でありながら未除染のまま放置せざるを得ない状況が続いています。そのため、森林—河川生態系の放射性セシウム汚染が長期化し、これらが生み出している森・川の恵みが得られない状態が継続することが懸念されます。現在でも、森林-河川生態系を構成する野生動物・魚・山菜・キノコなどの放射性セシウム濃度が出荷制限(100 Bq/kg)を超過することが一部地域で生じています。
これまでの10年間、研究者たちは森林や河川での放射性セシウムの動きを様々な視点から明らかにしてきました。本研究では、それらの研究をレビューし、森林-河川生態系で生じている様々な物質移動に伴う放射性セシウムの挙動を明らかにし、放射性セシウムが集まりやすい場所の特定を試みました。
2.研究結果と考察
福島原発から放出された放射性セシウムは、周辺の森林・農地・居住地などを広く汚染しました。中でも森林は、放射性セシウムによって汚染された地域の最も主要な土地景観です。福島原発から放出された放射性セシウムのうちイオン態(Cs+)のものは、生物体内へ取り込まれやすく、現在でも様々な動植物体内に取り込まれては排出されるサイクルが継続しています。事故当時、落葉広葉樹林は落葉していたため放射性セシウムは主に表土へ直接降下しました。一方、枝葉を残していた常緑針葉樹林では放射性セシウムが主に枝葉に沈着しましたが、時間の経過とともに落葉などにより表土に集まりました。
表土に蓄積した放射性セシウムは、植物の根や菌類の菌糸から吸収され森林内を循環したり、動物の摂食・排出活動による食物連鎖を循環したりして長期間表土にとどまります。また、表土内の放射性セシウムの一部は、雨水浸透に伴って表層の腐葉土よりも深い土層にもゆっくり移動しています(図1)。一般に、植物内の放射性セシウム濃度が腐葉土の放射性セシウム濃度を超過することは稀であり、腐葉土から始まる食物連鎖(腐食連鎖)は、生きた植物から始まる食物連鎖(生食連鎖)より多くの放射性セシウムを移動させていると考えられます。この腐食連鎖を通した放射性セシウムの循環により、野生動物や食用植物・キノコなどの森の恵みの一部では高い放射性セシウム濃度を示し、出荷制限の基準を超過することも少なくありませんでした。
森林に蓄積した放射性セシウムは、降水や落葉に伴って森林から河川へと移動しています。森林内を流れる河川は一般に日当たりが悪く、河川内で生産される付着藻類が少ないため、森林から供給される落ち葉が食物連鎖の土台を主に支えています。そのため、汚染された落ち葉を動物が摂食し、さらに捕食者がその動物を摂食することで河川に生息する様々な動物に放射性セシウムが移行します。ところが、河川に沈んだ落ち葉は、溶脱により森林の表土に落ちた落ち葉よりも放射性セシウム濃度が低くなっていました(図2)。この傾向は、汚染直後や放射性セシウムの降下量が多かった地域で特に顕著であり、その結果、食物連鎖上位の動物の放射性セシウム濃度は、河川では森林よりも低くなっていました。原発事故から10年経った現在、放射性セシウムが直接沈着した枝葉は既に落葉しており、より放射性セシウム濃度が低い新しい枝葉に由来する落ち葉が供給されていることを考えると、このような森林と河川の違いは小さくなっていると予想されます。一方、落葉広葉樹では常緑針葉樹よりも根から放射性セシウムを吸収しやすい傾向も認められ、現在の落ち葉の放射性セシウム濃度は、同じ地域で比較したときに落葉広葉樹林で常緑針葉樹林よりも高いと考えられます。
河川へ流入した放射性セシウムは、水の流れに乗って移動しています。そのため、水の流れが遅い場所では、放射性セシウムが蓄積しやすいことが示されてきました(図2)。例えば、流れの速い瀬よりも流れの遅い淵で河床に放射性セシウムが多く蓄積し、同じ種類の昆虫を比較すると、淵に棲む昆虫の放射性セシウム濃度が高いことも報告されています。また、貯水ダムなど極端に流速が遅くなる河川区間では、放射性セシウムがより多く蓄積しています。このような場所は、放射性セシウムを貯める効果がある一方、貯まった放射性セシウムの一部が湖底堆積物から溶け出して下流へ流出しています(図2)。このように、流れの遅い場所は、放射性セシウムを溜めながらも下流域へじわじわと放射性セシウムを供給することが懸念されます。
以上のように、森林-河川生態系では、特に森林の表土や流れの遅い河川区間に放射性セシウムが集まり、放射性セシウムの貯留場所となると同時に供給源となることがわかりました。これらの場所からそこに生息・生育する動植物へ放射性セシウムが長期的に移行すると予想されます。したがって、これらの放射性セシウムをどのように管理するのかが、森と川の恵みの汚染を軽減する上で重要であると考えられます。
3.今後の展望
最近の研究では、森林の表土に蓄積する放射性セシウムが山菜などの有用植物に移行することを抑えるための応用研究が展開されつつあります。例えば、表土そのものを除去する除染を行う事例のほか、セシウムと類似した化学的性質をもつカリウムを施肥したり放射性セシウムを強固に吸着する粘土鉱物を添加したりする事例もあります。これらの対策の有効性を確認することが必要となる一方、これらの対策に伴う人為的な環境改変が森林生態系に及ぼす影響も同時に評価していく必要があります。すなわち、なるべく本来の生態系が持つ機能を損なわずに、森の恵みの汚染低減をめざす応用研究の展開が期待されます。
河川内では、貯水ダムなどに蓄積した放射性セシウムがどのくらい溶け出し、どの程度水生生物の汚染や下流への放射性セシウムの拡散に寄与するのか、その動態を明らかにする研究が展開しつつあります。今後は、これらの動態研究の成果にもとづいて放射性セシウムが溶け出す量を抑えるような管理手法(例えば、浚渫など)の提案につながる研究の展開が望まれます。
地球上で400を超える原子力発電所が稼働し、気候危機※2対策としての原子力への期待もみられる中、福島原発事故は、ひとたび環境が放射能汚染に見舞われたときの汚染管理の困難さを明示しました。研究者は、これからも環境中の放射性セシウムの動態を解明しながら放射性セシウムが集積する場所をどのように管理する必要があるのかを明らかにしていかなくてはなりません。それによって得られた知見を様々な主体と共有しながら、真の復興へ向けて協働関係を構築することが求められています。
4.注釈
※1生態系サービス:生物や生態系が生み出す人間の利益となるものを指します。大きく4つに分類され、食料や水資源などをもたらす「供給サービス」、気候調整や水質浄化などを担う「調整サービス」、生き物の棲み家をもたらす「生息・生育地サービス」、文化やレクリエーションの場をもたらす「文化的サービス」があります。本研究ではこれらのうち「供給サービス」について主に取り上げています。
※2気候危機:人為的な温室効果ガス排出などによる異常気象やそれに伴う気象災害の多発を含む危機を指し、随所で「気候変動(climate change)」から「気候危機(climate crisis)」への表現の置換がなされています。
5.研究助成
本研究の一部は、(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(ZD-1202)により実施されました。
6.論文
【タイトル】
Untangling radiocesium dynamics of forest-stream ecosystems: A review of Fukushima studies in the decade after the accident
【著者】
Masaru Sakai, Hideki Tsuji, Yumiko Ishii, Hirokazu Ozaki, Seiichi Takechi, Jaeick Jo, Masanori Tamaoki, Seiji Hayashi, Takashi Gomi
【雑誌】
Environmental Pollution
【DOI】
https://doi.org/10.1016/j.envpol.2021.117744【外部サイトに接続します】
7.問い合わせ先
【研究に関する問い合わせ】
国立研究開発法人国立環境研究所 福島地域協働研究拠点
環境影響評価研究室 主任研究員 境 優
【報道に関する問い合わせ】
国立研究開発法人国立環境研究所 企画部広報室
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