太平洋における秋季の酸素放出を
大気観測結果の解析により推定
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付)
本研究の成果は、2024年8月28日付でアメリカ地球物理学連合から刊行される生物地球化学分野の学術誌『Global Biogeochemical Cycles』に掲載されました。
1. 研究の背景と目的
近年、酸素(O2)濃度の精密測定法が開発され、大気中のO2濃度が観測されるようになり、O2濃度の時空間変動から地球表層における炭素循環等、様々なプロセスに関する情報が得られることが分かってきました。大気中のO2濃度の時空間変動が示す情報の一つに「大気-海洋間のガス交換」があります。海洋表層では、春-夏季に植物プランクトンによる光合成(一次生産)に伴いO2が生成され、大気に放出されます。一方、秋-冬季には海洋表層が冷却され鉛直混合が引き起こされることに伴い、表層下から酸素の少ない海水が表層に現れるため、O2が海水に吸収されます。海面水温の季節変化による溶解度の変化も、上記のO2放出・吸収の季節変化を強調しています。大気中のO2濃度の季節変化は、陸域生物圏からのO2放出・吸収の変化と上記の海洋からのO2放出・吸収の変化を反映し、夏季に極大、冬季に極小となる季節変化を示します。
ところで、上記の大気-海洋間のO2交換に加えて、秋季に海洋からO2が放出される可能性が指摘されていました。これは、春-夏季の一次生産に伴い生成したO2のうち、表層のO2は速やかに大気に放出されるのですが、表層下のO2はそのまま留まり(以下「亜表層酸素極大」という。)、秋に鉛直混合が開始されて初めて大気に放出されるためと考えられました。さらに、もう一つのメカニズムとして、秋季の一次生産によるO2放出があります。これは、一次生産に必要な栄養塩が十分に存在しない海域で、秋季の鉛直混合により表層下から栄養塩が供給されることで再び一次生産が起こるためと考えられます。これらのメカニズムによる秋季のO2放出が存在する可能性は長い間指摘されてきましたが、実際にどの海域でどの程度の規模で生じているかについては未解明でした。
そこで本研究では、国立環境研究所地球システム領域の遠嶋康徳らと気象庁気象研究所の坪井一寛の研究チーム(以下「当研究チーム」という。)がアジア・太平洋域において実施してきた大気中O2濃度の広域観測データを用いて、太平洋における大気中O2濃度の季節変動の空間分布を明らかにし、さらに既報の大気-海洋間のO2交換量と大気輸送モデルを用いたシミュレーション結果との詳細な比較から、秋季における海洋からのO2放出を検出することを目的としました。
2. 研究手法
大気中の酸素濃度の測定とAPO(大気ポテンシャル酸素)
当研究チームは、ガスクロマトグラフと熱伝導度検出器を用いた大気試料中のO2濃度を精密に測定する手法を独自に開発し、1990年代後半から大気中O2濃度の観測を実施してきました注釈1。また、本研究では大気-海洋間のガス交換に着目した解析を実施するため、大気中のO2とCO2の和として定義される「大気ポテンシャル酸素(APO; Atmospheric Potential Oxygen)」を用いました注釈2。APOは陸域生物圏によるO2とCO2の交換に対して変化しないように定義されおり、主に大気-海洋間のO2交換を反映することになります。なお、大気中の二酸化炭素(CO2)濃度の分析には非分散型赤外線分析計(NDIR)を用いました。
アジア・太平洋域における大気試料の広域フラスコサンプリング
当研究チームは、アジア・太平洋域の広い領域での大気中O2濃度の時空間変動を明らかにするため、波照間島、落石岬、南鳥島における地上ステーションに加え、日本-北米間、日本-オセアニア間、日本-東南アジア間を運航する貨物船を用いて大気試料のフラスコサンプリングを実施してきました。図1にフラスコサンプリングの採取地点の分布を示します。フラスコサンプリングは航路上で実施されるため、西太平洋および北太平洋で大気試料が採取されることになります。本研究では、APOの平均的な季節変動の詳細な空間分布を求めるため、貨物船のデータについては、緯度10º×経度10ºの区画毎にデータをまとめ、西太平洋および北太平洋における平均的な季節変動の空間分布を求めました。図1で桃色に塗りつぶされた41の区画は、実際にAPOの平均的な季節変動を求めることができた場所です。
大気輸送モデルを用いた季節変動のシミュレーション
本研究では、海洋からのO2やCO2等の交換量と大気輸送モデル(NIES-TM)を用いてAPOをシミュレーションし注釈3、その季節変動を観測に基づく季節変動と詳細に比較しました。NIES-TMで使用する大気-海洋間のO2交換量としては、海洋表層の溶存O2濃度と海水温の間に見られる直線関係と熱交換量からの推定値(以下「GK2001交換量」という(Garcia & Keeling, 2001)。)を用いました。なお、過去の研究からGK2001交換量はAPOの季節変動をよく再現することが分かっていますが、秋季のO2交換量については明示的に考慮されていません。
観測およびシミュレーションで得られたAPOの時系列に、長期変化傾向に対応する2次式と、1年および1/2年を周期とする三角関数の和として表される関数を最小二乗法で当てはめ、平均的な季節変動を三角関数の和として求めました。
3. 研究結果と考察
貨物船を用いたフラスコサンプリングによって求められた太平洋上の10º×10º区画における代表的な季節変動の例を、図2に示します。GK2001交換量に基づきシミュレートされたAPO季節変動(オレンジ線)は、観測された季節変動(青線)をよく再現していることが分かります。しかし、詳細に比較すると、振幅や位相に若干の違いがあることが分かりました。さらに、夏から冬にかけてAPOが減少するところに着目すると、北半球の中・高緯度帯で観測されたAPOはシミュレーション結果に比べて緩やかに減少する傾向があることが分かりました。
振幅や位相の違いは、計算に用いたGK2001交換量の季節変動強度や位相が実際と違うことを反映した可能性があります。本研究では秋季のO2放出量の影響を調べることを第一目的としているため、振幅の違いについては定数を掛け合わせることで、また位相の違いは極大・極小の中間が一致するように平行移動することで、シミュレーション結果を観測結果にできるだけ一致するように補正しました。その結果が図2の水色破線で示され、観測結果をよりよく再現していることが分かります。ここで、観測結果(青線)と補正されたシミュレーション結果(水色破線)の差(観測—シミュレーション)を計算した結果が赤曲線で示されています。春季から夏季にかけては補正されたシミュレーション結果が観測結果をよく再現していることを反映してその差はほぼゼロですが、秋季から初冬にピーク状の高まりが現れることが分かります。これはGK2001交換量では表現されていない秋季のO2放出の存在を示唆するものと考えられました。
そこで、上記の見かけの秋季ピークの空間分布を調べたところ、秋季ピークは南緯20º以南および北緯20º以北で見られるようになり、特に北緯40-60ºで顕著となることが分かりました(図3)。南緯20-40º帯および北緯20-40º帯における太平洋の溶存O2濃度の鉛直プロファイルの時系列を見ると、この海域では夏季の深度60m付近に亜表層酸素極大が現れ、秋-冬季に消失することが分かりました。一方、人工衛星によるクロロフィルa濃度(植物プランクトン量の指標)の観測に基づく研究から、太平洋の北緯40-60º帯は秋季に植物プランクトンの増殖が生じる場所であることが示唆されていました。こうした事実から、南緯・北緯20-40º帯では亜表層酸素極大からの、また、北緯40-60º帯では秋季の植物プランクトンの増殖からのO2放出の可能性が示唆されました。
4. 今後の展望
本研究では、秋季のO2放出が太平洋の中・高緯度帯に存在する証拠を示すことができたが、その強度や分布の詳細を定量的に推定することはできませんでした。したがって、将来的には大気輸送モデルを用いた逆解析によって、海洋のO2交換量の高精度化を実施する必要があると考えられます。大気—海洋間のO2交換は、海洋の生物地球化学プロセスや循環と密接に関連するため、それらの知見が深まれば、大気中のO2濃度の変動の解析や、海洋の生物地球化学モデルの発展に寄与することが期待されます。また、大気-海洋間のO2交換量の定量的な把握は、化石燃料起源CO2の海洋と陸上生物圏のそれぞれの吸収量推定の高精度化や、海洋の貧酸素化の定量的な理解を深める可能性があります。
5. 注釈
注釈1:大気中のO2濃度の変化は大気中の窒素(N2)との比の変化として表され、次式で示されるように任意の参照空気からの偏差の百万分率をパーメグ(per meg)という単位で表示します。
δ(O2/N2)={(O2/N2)sam/(O2/N2)ref-1}×106 (1)
ここで、下付き文字samおよびrefはサンプルおよびリファレンスを表し、4.77 per megの変化が微量成分の1 ppmの変化に対応します。
注釈2:大気ポテンシャル酸素(APO; Atmospheric Potential Oxygen)は次式によって定義されています。
APO=O2+αB×CO2 (2)
ここで、定義式の中のαBは陸域生物圏におけるO2とCO2の交換比を表します。また、注釈1で示したように大気中のO2濃度変化はO2/N2比を用いて表されるので、APOは次式により計算されます。
δAPO=δ(O2 /N2)+αBXCO2 /XO2)-1850 (3)
ここでXCO2はCO2濃度(モル分率)、XO2は大気中のO2濃度(XO2=0.2094)、1850は任意に決められた参照点を表します。δAPOもδ(O2/N2)と同じようにper megという単位で表示されます。
注釈3:APOの測定値は式(3)に示されるように、δ(O2/N2)とCO2濃度の和として計算されるため、大気輸送モデルを用いて計算する場合、海洋からのO2やCO2のほかに、海洋からのN2交換量も必要になります。さらに、APOは化石燃料燃焼の影響も受けるため、化石燃料起源CO2排出量も計算に用いています。
6. 研究助成
本研究は、環境省の地球環境保全試験研究費(地球一括計上)環1951「地球表層環境への温暖化影響の監視を目指した酸素・二酸化炭素同位体の長期広域観測」およびJSPS科研費JP22H05006の支援を受けて実施されました。
7. 発表論文
【タイトル】Observed APO Seasonal Cycle in the Pacific: Estimation of Autumn O2 Oceanic Emissions 【著者】Y. Tohjima, T. Shirai, M. Ishizawa, H. Mukai, T. Machida, M. Sasakawa, Y. Terao, K. Tsuboi, S. Takao, and S. Nakaoka 【掲載誌】Global Biogeochemical Cycles 【URL】https://agupubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1029/2024GB008230(外部サイトに接続します) 【DOI】10.1029/2024GB008230(外部サイトに接続します)
8. 発表者
本報道発表の発表者は以下のとおりです。
国立環境研究所
地球システム領域 物質循環観測研究室
特命研究員 遠嶋康徳
客員研究員 向井人史
主任研究員 寺尾有希夫
地球システム領域 地球環境データ統合解析推進室
室長 白井知子
客員研究員 石澤みさ1)
地球システム領域 大気・海洋モニタリング推進室
室長 町田敏暢
主幹研究員 笹川基樹
主任研究員 高尾信太郎
主任研究員 中岡慎一郎
気象庁気象研究所 気候・環境研究部・第三研究室
室長 坪井一寛2)
1)環境・気候変動省(Environment and Climate Change Canada)
2)現 気象庁 大気海洋部 環境・海洋気象課 全球大気監視調整官
9. 問合せ先
【研究に関する問合せ】
国立研究開発法人国立環境研究所 地球システム領域
物質循環観測研究室 特命研究員 遠嶋康徳
【報道に関する問合せ】
国立研究開発法人国立環境研究所 企画部広報室
kouhou0(末尾に”@nies.go.jp”をつけてください)
気象庁気象研究所 企画室
ngmn11ts(末尾に” @mri-jma.go.jp”をつけてください)