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2013年4月30日

国立環境研究所における放射性物質・災害環境研究の始まり

特集 震災放射線研究

住 明正

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、当研究所が担ってきた環境研究にも大きな影響をもたらしました。一つは、環境基本法の改正に見られるように、放射性物質も環境中に存在する物質として環境行政の対象とされたことです。もう一つは、東日本大震災に見られるような災害に伴う環境問題を扱う災害環境研究の始まりです。

 放射性物質に関しては、化学反応などを用いて放射能をなくすることが原理的に非常に困難であることに加え、半減期の長い物質が存在しますので、一度環境中に放出されると長い期間影響が続く可能性があることが特徴です。しかも、環境中に拡散された放射性物質は、種々のプロセスを経て、環境中を移動しながら、濃縮されたり希釈されたりします。結果として、放射性物質の空間分布には、濃度の濃淡ができることになります。関東の一部の地域でホットスポットと呼ばれる高濃度の放射性物質が観測された地域の存在がマスコミを賑やかにしましたが、このことは、環境中の放射性物質の動態をきめ細かに把握しない限り、人々の心配は尽きぬことになります。したがって、ある瞬間のモニタリングで安全な値が観測されたとしても、今後とも安全という保証はありません。人々の安心のためにも、このような環境中の放射性物質の動態のモニタリングを、合理的な費用の中でどのように展開・維持してゆくかは新たな問題ですし、国立環境研究所としても今後とも挑戦してゆく課題なのです。

 今回の震災では、「正確な情報を知りたい」という国民の声が多く新聞などで報道されました。その一方、不確かな情報に伴う「風評被害」が存在したことも確かです。特に、放射線による健康リスクに関しては、わかっていないことも多くあり、また、個体差によって影響も違いますので、世の中に発表する時には、確率的な表現を使うことになります。どのような表現を用いた発表を行えば国民の皆さんが納得できるのか、社会に対する情報伝達の在り方を考えることも重要なテーマの一つです。現代社会では、様々なリスクが存在しますので、これらのリスクの程度を斟酌しながら如何に総合的に、かつ、合理的に対応してゆくかが重要な社会的な課題となります。

 特に、環境中に広く散布された放射性物質の生体影響については、事故に伴う高濃度の被曝というよりは、長期間低濃度の被曝という新しい事態を考えなければなりません。過去の環境中の放射性物質の人体影響については、多くの場合、軍事的な出来事や核施設に関連して起きており、データの不足や知見の不足が否定できません。今回の震災を契機として、このような課題にも積極的に取り組んでいく必要があります。

 震災により環境中に拡散した放射性物質や様々の化学物質の多くは、人間の手や自然の循環に伴い廃棄物処理施設や下水処理場に運び込まれることになります。したがって、ここで社会にとって害のないような対処をしない限り社会の不安は解消されないことになります。その意味でも、廃棄物処理プロセスは、有害物質を無害にして自然の中に戻すという物質循環の社会における最終のプロセスです。災害時における廃棄物の研究の重要性はいやがおうにも高まっています。

 今回の東日本大震災は、今までに考えてこなかったような「想定外の事態が起きた」とされました。しかし、本当にそうなのでしょうか?もう一度よく考え直してみる必要があります。本当のところは、「起きるかもしれないが、起きないことにしておこう」と我々が考えたところにあると思われます。「確かに、千年に一度の大津波があるとしても、来年、再来年に来るわけでもないし、それに対し大きな費用を割くのは経済合理性に欠ける」という主張に黙ってしまったところにあると思います。周りの状況に自分を合わせるという日本の文化にも原因がある、という指摘もありました。

 しかし、今回の大震災は、科学的な知見に基づいて合理的な判断を行うことの重要性を明らかにしたといってよいと思います。天が落ちてくることを憂いた「杞憂」という言葉は愚かな考えのたとえですが、最近の隕石の衝突のように確率は低いものの大きな被害をもたらす現象は存在します。いたずらに被害の可能性におびえることなく、確率は少ないものの起きたら甚大な被害をもたらす事象に対する合理的な対応を考える態度が重要となります。このことは、「想定しなかったようなことが起きることがある」、言い換えれば、「想定外の事態が起こりうる」として対策を考えておく必要性を示唆しています。そもそも「想定外」のことを想定するのは不可能ですから、要点は、「想定外」と思い込む思考の枠を外すこと、その訓練をすることから始めなければならないということです。このことは、「成功体験の罠」とか、「既成事実の罠」などとビジネスの世界で繰り返し語られています。身に沁み込んだ既存の知識を取り去ることをアンラーニングと言いますが、なかなかと難しいとされています。既存の知識を取り去った後に新しい知識が身につく保証がないから、人は逡巡します。生物でも、硬い殻を持つものは成長するためには、殻を脱ぎ捨て新しい殻を身につけなければなりません。そして、この脱皮の時が、身を守るすべもなく、最も危険な時となります。大きく飛躍する時には、必ず、危険を伴います。したがって、その危険を引き受け、次の段階にすすむ覚悟が求められています。

 国立環境研究所としては、今回の大震災として始まった災害研究を本務の中に位置づけ、継続して行うことを決めました。そのため、独立行政法人としての中期目標・中期計画を変更し、災害環境研究を正式に位置づけました。現在行われている多媒体中の放射性物質の動態研究と災害廃棄物の研究を中核として新たな研究体制を構築することになります。

 さらに、今回の大震災を契機にして、福島県に「環境創造センター(仮)」と呼ばれる機関が発足する予定ですので、当研究所もそこに軸足を置いて研究を展開する予定です。ここでの新たなキーワードは、環境創造です。災害環境研究というと、非常時に対して対応するという受け身のイメージを持ちがちですが、受け身の中にも、次の時代の環境を創造するという攻めの姿勢が重要なのです。その意味で、現在展開されている一つ一つの災害環境研究が、次の時代の福島、次の時代の日本を形作る道につながっていることを意識することが重要です。その意味でも、福島のみならず、今回の被災地の復興計画、地域開発計画などに積極的に参加し、低炭素社会・循環型社会・自然共生社会の具体的な姿を明らかにしてゆくことを追求してゆきます。

(すみ あきまさ、理事長)

執筆者プロフィール

住明正の写真

1948年岐阜市で生まれる。岐阜高、東大を経て71年気象庁東京管区気象台に入庁。ハワイ大での勤務を経て、75年東大理学部助教授。91年気候システム研究センター教授などを経て、2013年国立環境研究所理事長に就任。

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