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2020年6月30日

「震災による内湾底質の重油・炭化水素汚染」

特集 災害に伴う環境・健康のリスク管理戦略に関する研究
【環境問題基礎知識】

牧 秀明

1.震災により三陸沿岸内湾で何が起こったか?

 2011年3月11日に発生した東日本大震災でもたらされた大津波により、東北地方太平洋沿岸(三陸沿岸部)は甚大な被害を受けました。大津波により、三陸沿岸部の港周辺に設置されていた燃料油のタンクが流出・破壊され、内湾に油流出をもたらしました。気仙沼湾では周辺部に設置された船舶燃料用のA重油が津波で流されて破壊され、1万3千キロリットル近い重油が湾内に流出しました。また、一部の沿岸部の市街地では津波により火災が発生し、気仙沼湾では海面に流出した重油が燃え、後述するように重油成分そのものと火災により副次的に生成された様々な炭化水素による海域環境の汚染が懸念されました。大震災による被害が特に大きかった宮城県では、震災直後に公共用水域での水質測定が通常通り行うことが出来ませんでした。そのために、東北大学大学院工学研究科や宮城県保健環境センターが、震災が発生してから3か月後に気仙沼湾等で独自に緊急調査を行い、湾内の海底土砂を採取したところ非常に強い油臭が放たれ、また燃えかすのような真っ黒いススが混じっていることが分かりました。

2.三陸沿岸海域での底質の重油・炭化水素汚染

 震災から3か月後に東北大学大学院工学研究科や宮城県保健環境センターにより採取された気仙沼湾の底質が当研究所に送られ、重油に含まれる様々な炭化水素を分析しました。その結果、A重油の主成分である直鎖アルカン類が実に680,000 ng/g乾泥もの高濃度で検出されました。図1上に底質に含まれるアルカンを分析した際のガスクロマトグラムを示しますが、通常、大都市に近い港湾域等、比較的汚染されていると考えられる底質試料を分析してもこのような明確なアルカンのクロマトグラムは得られることはまずありません。言うまでもなく、水よりも比重の軽い油は通常、海面に浮遊しますが、気仙沼湾の場合、津波により巻き上げられた湾内の海底土砂の細かい粒子がタンクから流出した大量のA重油と津波のエネルギーで混合され、油成分を抱えたまま海底に沈降・堆積したと思われます。

気仙沼湾の大島北部で採取された底質中のアルカン類のガスクロマトグラム(上は震災から3か月後の2011年6月に採取したもの[各ピーク上の数字は各アルカンの炭素数を示す]図。下は2011年9月に採取したもの)
図1 気仙沼湾の大島北部で採取された底質中のアルカン類のガスクロマトグラム(上は震災から3か月後の2011年6月に採取したもの[各ピーク上の数字は各アルカンの炭素数を示す]。下は2011年9月に採取したもの)

 また同じ底質試料からアルカン以外の代表的な炭化水素である多環芳香族炭化水素(PAH)の分析も行ったところ、米国環境保護庁による指定16種物質(USEPA 16 PAH)の合計値で26,000 ng/g乾泥、A重油由来のナフタレン、フルオレン、ジベンゾチオフェン、フェナントレンとそれらにメチル基等のアルキル基が結合したものの合計値で275,000 ng/g乾泥という非常に高い濃度で検出されました(図2の2011年の棒グラフ参照)。PAHの主な起源として、重油を含む石油由来のものと燃焼由来のものがあり、上記のように気仙沼湾の底質からは両方の起源を有するものが高い濃度で検出されたことになります。また環境省でも震災の発生した2011年から「東日本大震災の被災地における環境モニタリング調査」を実施し、津波に襲われた東北地方太平洋沿岸部の広域の海域を対象にして、水深が数百メートルに及ぶ、やや沖合の地点を対象にして調査を行っています。この環境省の調査範囲は、北は青森県の八戸沖から南は福島県のいわき沖までに及び、底質中のPAHも測定していますが、前述のように津波により火災が発生した地区、あるいは気仙沼湾のように臨海部のタンクから油流出が起こった地区それぞれの海岸寄りの地点から、比較的高い濃度のPAHが気仙沼湾以外の海域からも検出されました。このように東日本大震災の津波により前例を見ない内湾底質の重油とPAH汚染がもたらされたと考えられます。

気仙沼湾の大島北部における底質中の燃焼由来と重油由来の各PAHの経年変化の図
図2 気仙沼湾の大島北部における底質中の燃焼由来と重油由来の各PAHの経年変化

3.湾内での重油・炭化水素の時間的変化と分布

 前述の東北大学と宮城県保健環境センターによる気仙沼湾での調査は震災の年の9月にも行われ、再度採取された底質試料が当研究所に送られ分析を行ったところ、6月に非常に高い高濃度で検出されたアルカン類の大部分が消失していました(図1の下)。アルカン類は微生物により比較的容易・早期に分解されることが知られており、気仙沼湾の底質環境でもアルカン類は微生物により浄化されたことが示されました。一方、PAHはアルカン類より難分解性のものが多く、特に燃焼由来の高分子のものほど分解され難く、環境中の残留性が高いことが知られています。そのために震災から半年経って採取された泥でも依然高濃度のPAHが残留していることが示されました。同じPAHでも、上記のA重油由来のアルキル基を持つナフタレン、フルオレン、ジベンゾチオフェン、フェナントレン等の比較的低分子のPAHは燃焼由来の高分子のものより消失が速いことが示されました(図2)。

 以上のように、東日本大震災による気仙沼湾の底質における重油とPAH汚染の実態が明らかになったことから、国立環境研究所では気仙沼湾と、やはり津波で流された燃料タンクからの重油による底質の汚染が起こった大船渡湾においてモニタリング調査を震災から1年後の2012年から現在まで行っており、この中で、湾内でのPAHの水平分布と底質中での鉛直分布や経時的な減衰について把握してきました。

 気仙沼湾では、タンクが流出した港に近い大島北部では重油由来のPAHが高い濃度で検出され、湾東部から湾口部にかけては燃焼由来のPAHが高い濃度で検出されました(図3)。津波で流されタンクから流出したA重油には、高分子のPAHがほとんど含まれない代わりに、上記のアルキル基を有する比較的低分子のPAHが多く含まれています。一方、燃焼により出来たPAHにはアルキル基を有するものは含まれていません。前述のように気仙沼湾では津波が襲った後に湾内の海面に流出した重油に引火して大規模な火災が発生すると共に、湾周辺の陸域でも火災が発生しました。この一連の火災により、燃焼由来とされる高分子のPAHが大量に生成され、それが燃焼灰やススと共に湾内の特に大島北部から東部、湾口部にかけて海底に沈降したと考えられます。流出した重油自体は湾東部から湾口部にかけて余り広がらなかったと推測されます。

気仙沼湾全域における底質中の燃焼由来と重油由来の各PAHの水平分布図(2012年9月時点、棒グラフの凡例は図2と同じ)
図3 気仙沼湾全域における底質中の燃焼由来と重油由来の各PAHの水平分布(2012年9月時点、棒グラフの凡例は図2と同じ)

 気仙沼湾で高いPAHが検出された地点で柱状採泥を行い、円柱状に採取した底質を深さ方向に切断して、その中のPAHの濃度を調べたところ泥深10~14cmの層で最高となることが分かりました(図4)。興味深いことに同じ地点でも、A重油由来のPAHのピークは燃焼由来のものより浅いところに在り、それぞれのPAHの海底に沈降・堆積したタイミングが同じではなく、重油由来のものの方が燃焼由来のものより遅く海底に沈降したと推測されました。これは上記の海面や湾周辺部の火災で生成した灰やススが比較的早く沈降したのに対し、津波で流された重油が津波で巻き上げられた底質粒子と混合したものは遅めに沈降したことを反映していると考えられました。

気仙沼湾の大島北部で採取された柱状採泥試料中の燃焼由来と重油由来の各PAHの鉛直分布図(2012年9月時点、棒グラフの凡例は図2と同じ)
図4 気仙沼湾の大島北部で採取された柱状採泥試料中の燃焼由来と重油由来の各PAHの鉛直分布(2012年9月時点、棒グラフの凡例は図2と同じ)

4.現在の状況

底質中のPAHのERLとERM(単位はいずれもng/g乾重)と2017年時点での気仙沼湾と大船渡湾それぞれでの全調査地点数に対する底質中のPAH濃度のERLとERM超過地点数の図

 経時的な変化では、難分解性のPAHも震災から時間が経つにつれて確実に減少しており、直近(2017年時点)では最高濃度時の2~6%まで減少していることが示されています(図2)。底質中のPAHの環境基準値は存在しませんが、PAHの中にはベンゾ(a)ピレンのように発がん性を有するものがあり、環境中に普遍的に存在する有害物質として注視されているために、米国海洋大気庁(NOAA)により「生物学的に10%、あるいは50%の確率で悪影響を及ぼしうる濃度範囲をそれぞれ “ Effect Range Law(ERL)”、あるいは “ Effect Range Median(ERM)”」として定められています。このERLとERMと直近の気仙沼湾と大船渡湾における底質中の各PAHの濃度との関係は表1のようになっています。かつては大部分の調査地点で表に指定されているほとんどのPAHの濃度がERL、あるいはERMを超過していましたが、2017年時点で大船渡湾ではERLを超過する地点が6箇所中1~3箇所でERM超過地点は無く、気仙沼湾ではERLを超過する地点が4箇所中1~3箇所でERM超過地点が4箇所中1箇所となっています。震災後の着実な環境回復が進んでいることが示されたと考えられました。

 当研究所では津波によるタンク倒壊で重油が流出した志津川湾でも2014年から同様の調査を実施してきており、気仙沼湾と大船渡湾と同様に底泥中のPAHの確実な減少を確認しています。東日本大震災により三陸沿岸部の内湾の底質にもたらされた特異な石油・炭化水素汚染からの回復を見届けるために、今後もモニタリング調査を継続するつもりです。

(まき ひであき、地域環境研究センター 海洋環境研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

執筆者の牧 秀明の写真

22年前、当研究所に入所する前は岩手県釜石市に住んでいました。東日本大震災発生50日後に現地を訪れ、かつて慣れ親しんでいた街の惨状に呆然とさせられました。仕事で三陸沿岸に赴くことになるとは思っていませんでしたが、毎年調査で被災地を訪れ、かつてお世話になった方々から復興の状況を伺っております。

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