
ウイルス認識センサーの応答がイエネコとイリオモテヤマネコで類似
—イリオモテヤマネコも鳥インフルエンザ等感染症で重篤化の可能性—
(筑波研究学園都市記者会、環境記者会、環境省記者クラブ、沖縄県政記者クラブ、福岡市政記者クラブ、福岡金融経済記者クラブ、岩手県政記者クラブ、岩手県庁教育記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会、同時配付)
本研究の成果は、2025年9月25日付で国際学術誌『PLOS One』に掲載されました。
1. 研究の背景と目的
イリオモテヤマネコ(Prionailurus bengalensis iriomotensis)は、UNESCO(ユネスコ)の世界自然遺産に登録されている、西表島に生息する我が国の固有亜種です。イリオモテヤマネコの個体数は、約100頭と推定され、IUCNレッドリストにおいて絶滅危惧IA類に評価されています。イリオモテヤマネコは、西表島における食物連鎖の上位に位置しており、個体数の減少は、西表島の生態系に大きな影響を及ぼす可能性があります。また、少ない個体数で西表島のみに生息するイリオモテヤマネコは、独自の進化を遂げた可能性も考えられます。環境省などは、このようなイリオモテヤマネコを保護増殖事業(注2)の対象種として、モニタリングや対策を進めています。
感染症は、種や亜種の存続を脅かす要因の一つとして指摘されています。高病原性鳥インフルエンザウイルスは、イエネコなどのネコ科動物に感染すると致死的となるため、イエネコと同じくネコ科のイリオモテヤマネコにとっても脅威となる可能性が高い感染症です。すでに、韓国では近縁種であるベンガルヤマネコにおいて高病原性鳥インフルエンザウイルス感染例が報告されています。その他にも、国内ではマダニ類が媒介することで知られる「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」によってイエネコが死亡した事例も確認されており、イリオモテヤマネコにおいてもSFTSに感染した場合には、致死的である可能性があります。この様な報告から、イリオモテヤマネコにおいても現実的に感染症が個体群の存続に深刻な影響を及ぼす可能性が考えられます。
イリオモテヤマネコの感染症による死亡リスクを予想するために、イリオモテヤマネコの個体を用いて感染実験等を進めることは困難です。そこで、本研究では、細胞応答について着目しました。これまでの研究で、レチノイン酸誘導性遺伝子I(RIG-I)様受容体(RLR)ファミリーであるRIG-IおよびMDA5遺伝子(注3)由来のシグナルが、動物におけるウイルス性感染症の重症化に大きな影響を及ぼすことが示唆されています。代表的な例として、ニワトリはRIG-I遺伝子を持たず、この欠如が鳥インフルエンザウイルスに対する感受性が高まる主な原因と考えられています。また、我々のグループでは、ヤンバルクイナのMDA5遺伝子が変異して遺伝子としての機能を失っていることを明らかにし、ウイルスに対する応答性が低い可能性を示しました(注4)。さらに、近年これらのウイルス認識センサーとSFTSの重篤化との関係性に関する知見も得られています。本研究では、鳥インフルエンザをはじめ、多くのウイルス性感染症の重症化に大きな影響を及ぼすことが示唆される、RIG-IおよびMDA5遺伝子由来によるウイルスの認識および細胞レベルの応答に関して、イエネコとイリオモテヤマネコの間で比較を行いました。
2. 研究手法
本研究では、イエネコおよびイリオモテヤマネコの皮膚由来の細胞に、ウイルス類似物質(注5)をばく露して、RIG-IおよびMDA5遺伝子によるウイルス類似物質の認識および、その認識を介した応答性をゲノム情報を用いて解析しました。
国立環境研究所では、死亡した国内の絶滅危惧種から体細胞を取得し、凍結保存を行っています(https://www.nies.go.jp/biology/aboutus/facility/capsule.html)。死亡個体から取得し、培養した体細胞は増殖可能で、生理学的な応答性も示すため、個体としては死亡していても、体細胞としては生きていると考えられます。本研究では、国立環境研究所に凍結保存していたイリオモテヤマネコの体細胞を利用しました。イエネコの体細胞は、飼い主の承諾を得て、手術の際に摘出した組織から取得しました。
また、国立環境研究所では、イリオモテヤマネコの保存した体細胞から抽出したDNAを用いた、野生動物のドラフトゲノムの解読も進めています(注6)。遺伝子発現解析には、解読したドラフトゲノム情報も利用しました。
3. 研究結果と考察
ウイルス類似物質をイエネコおよびイリオモテヤマネコの皮膚由来の細胞にばく露したところ、RIG-IおよびMDA5遺伝子の発現が両種とも上昇することが確認されました(図1)。また、両種とも、RIG-IおよびMDA5遺伝子の発現上昇により発現が誘導される遺伝子である、炎症性サイトカイン遺伝子(IL6)や、抗ウイルス遺伝子(MxやOAS)においても発現の上昇が確認されました。これらの結果から、イエネコおよびイリオモテヤマネコの皮膚由来の細胞で、RIG-IおよびMDA5を介して、ウイルス類似物質を認識して、細胞内で応答していることが確認できました(図1)。
次に、ウイルス類似物質をイエネコおよびイリオモテヤマネコの皮膚由来の細胞にばく露後、網羅的に遺伝子発現解析を実施しました。同解析結果を用いて、本研究ではイエネコおよびイリオモテヤマネコの両方において、ウイルス類似物質をばく露した細胞と、ばく露していない細胞の間で、特に遺伝子発現の変動が大きな遺伝子を抽出しました。その後、抽出した遺伝子を用いて、RIG-IとMDA5 を介したウイルスの認識により、大きく変化する経路を探索しました。結果、イエネコとイリオモテヤマネコの両方で、大きく変化する経路として抽出された経路の中には、インフルエンザなどの感染症によって活性化する経路が含まれていました(注7)(図2)。
インフルエンザに関する経路に関して、ウイルス類似物質をばく露後、大きく発現が変動した遺伝子の多くは、イエネコとイリオモテヤマネコで共通でした(図3)。
これらの結果から、鳥インフルエンザなどに対するRIG-IおよびMDA5によるウイルスの認識および応答は、イエネコとイリオモテヤマネコの間で概ね同様であると考えられます。
4. 今後の展望
これまで、イリオモテヤマネコはイエネコの近縁種という理由から、イエネコで致死的な感染症が個体数減少のリスクとして懸念されてきました。一方で、西表島のみに生息するイリオモテヤマネコは独自の進化を遂げており、イエネコとは感受性が異なる可能性も考えられました。
本研究では、ウイルス認識センサーであるRIG-IとMDA5の応答性が両種で類似していることを明らかにしました。これは、実験的にイリオモテヤマネコがイエネコで致死的である感染症に関して同じ様にリスクが高い可能性を示した初めての研究です。
イエネコにおいて致死的な感染症の一つである高病原性鳥インフルエンザは、これまで報告がなかった沖縄県でも、2022年にニワトリで初めて報告されました。西表島では報告はありませんが、感染拡大に備えた対策が早急に必要であると考えられます。また、イリオモテヤマネコに対するSFTSの重篤化に関しても、今後さらなる研究が望まれます。
本成果は、絶滅危惧種において細胞やゲノムを用いて保全に有用な情報を取得できることを示します。こうしたリスク予測は、効果的な対策を可能にし、種の保存に貢献することができます。今後、細胞やゲノムを用いた感染症リスク予測を他の多くの種へ応用することが期待されます。
5. 注釈
注1 固有亜種
特定の地域にのみ生息する亜種。
注2 国内希少野生動植物種に指定されている種のうち、その個体の繁殖の促進、生息地等の整備等の事業の推進をする必要がある場合は、保護増殖事業計画を策定して、保護増殖事業を実施しています。 https://www.env.go.jp/nature/kisho/hogozoushoku/index.html(外部サイトに接続します)
注3 レチノイン酸誘導性遺伝子I(RIG-I)様受容体(RLR)ファミリーであるRIG-IおよびMDA5遺伝子
RLRは細胞内に存在し、ウイルスを認識する受容体の総称。代表的な遺伝子として、RIG-IおよびMDA5が知られている。どちらも、ウイルスRNAを認識し、I型インターフェロンや炎症性サイトカイン(IL-6等)の発現を誘導します。
注4 我々のグループではヤンバルクイナのMDA5遺伝子が変異して遺伝子としての機能を失っていることを明らかにし、ウイルスに対する応答性が低い可能性を示しました。
https://www.nies.go.jp/whatsnew/2023/20231003/20231003.html
注5 ウイルス類似物質
化学的に合成され、ウイルスと同様にRLRによって認識される化学物質。具体的には、polyinosinic:polycytidylic acid。
注6 国立環境研究所では、保存した体細胞から抽出したDNAを用いた野生動物のドラフトゲノムの解読も進めています
https://www.nies.go.jp/genome/index.html
注7インフルエンザなどの感染症によって活性化する経路も含まれていました
RIG-IやMDA5を介したウイルスの認識は、鳥インフルエンザの重篤化に関連することが示唆されています。
6. 発表論文
【タイトル】
Comparison of cellular responses of cultured fibroblasts from Iriomote wild cats and domestic cats exposure to polyinosinic:polycytidylic acid
【著者】
Masafumi Katayama, Ayusa Kataoka, Tomokazu Fukuda, Manabu Onuma
【掲載誌】PLOS ONE
【URL】https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0332954(外部サイトに接続します)
【DOI】10.1371/journal.pone.0332954(外部サイトに接続します)
7. 発表者
本報道発表の発表者は以下のとおりです。
国立環境研究所
生物多様性領域生物多様性資源保全研究推進室
副領域長(室長) 大沼学
主任研究員 片山雅史
あゆとも動物病院
副院長 片岡アユサ
岩手大学農学部
教授 福田智一
8. 問合せ先
【研究に関する問合せ】
国立研究開発法人国立環境研究所 生物多様性領域
生物多様性資源保全研究推進室 主任研究員 片山雅史
【報道に関する問合せ】
国立研究開発法人国立環境研究所 企画部広報室
kouhou0(末尾に”@nies.go.jp”をつけてください)





