
“スプーン1杯の砂”から
巨大巣穴に潜む干潟生物の痕跡を発見!
~ 堆積物中のDNAから生物を同定・定量する新手法への第一歩 ~
(千葉県政記者クラブ、筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会、文部科学省、科学記者会同時配付)
東邦大学、千葉大学、国立環境研究所の研究グループは、干潟に巨大な巣穴を掘るアナジャコ(図1)を対象とした環境DNA(注1)分析を行い、①「堆積物中に含まれる環境DNA(Sedimentary DNA、以下、sedDNA)の濃度がアナジャコの個体数の指標になり得ること」、②「海洋ベントス(注2)を対象としたsedDNA分析に適する地理的・季節的な条件」を発見しました。

生物の個体数調査は目視や採集調査が一般的ですが(図2)、アナジャコのような砂泥底に潜る海洋ベントスの場合は、生体を直接見ることが難しいため、定量化は困難でした。研究グループはsedDNAに着目し、sedDNA分析が海洋ベントスの個体数を推定する方法として有用かどうかを検証しました(図2)。具体的には、地形や季節差を考慮した上で、個体数とsedDNAの濃度に相関関係がある条件(分析に適した条件)を検討しました。

その結果、スプーン1杯(約1 g)の堆積物中からアナジャコのsedDNAを検出し、濃度測定に成功しました。また、静穏な環境の「袋状の内湾」に生息するアナジャコが「成長期」(注3)だった場合、アナジャコの個体数とsedDNA濃度の間に相関関係が認められました。一方、内湾であっても、高水温や産卵によってアナジャコの活動量が変化する時期は相関がみられず、強い波がある環境でも結果は同様でした。
以上のことから、sedDNA濃度は海洋ベントスの個体数の指標となるポテンシャルを持つ一方で、分析を行う場所と時期に注意が必要であることが示されました。これまで海洋ベントスの個体数をsedDNAで調査した例はなく、本研究の成果はアナジャコと同様に堆積物中に潜る他の海洋ベントスにも適用し得る新知見です。
この研究成果は2025年3月18日に科学雑誌「PLOS One」に掲載されました。
発表者名
北畠 京祐(東邦大学理学部東京湾生態系研究センター 訪問研究員、
日本学術振興会特別研究員PD、千葉大学教育学部)
泉 賢太郎(千葉大学教育学部理科教育講座 准教授)
今藤 夏子(国立環境研究所生物多様性領域 環境ゲノム研究推進室 室長)
大越 健嗣(東邦大学理学部東京湾生態系研究センター 訪問教授、
東洋食品研究所 研究主席)
発表のポイント
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sedDNA濃度がアナジャコの個体数の指標になる可能性があります。
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静穏な「袋状の内湾」と「成長期」がsedDNA分析に適する条件であることがわかりました。
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産卵期はsedDNAが高濃度となることがわかりました。
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近年の熱波はsedDNAの検出率に影響する可能性があります。
発表内容
生物の個体数を把握することは、生態学や水産学、生物多様性保全など様々な分野において重要です。中でも、干潟に生息する生物は環境浄化や物質循環に寄与するため、沿岸環境を維持していく上で貴重な存在です。しかし干潟の生物のうち、海底に潜っている生物は直接見ることが難しいため、目視や採集調査で個体数や生物量を把握することが困難です。
研究対象のアナジャコ Upogebia major は、主に東アジアの干潟に広く分布する十脚目甲殻類です。最大の特徴は深さ2mを超えるY字型の巣穴を掘り、広大な地下空間を形成することです(図3)。巣穴内には多様な共生生物が生息しており、アナジャコは宿主としても注目されています。また、食性がろ過食(注4)であることから、水質浄化にも大きく貢献します。つまり、アナジャコの存在が沿岸環境や生態系に与える影響は干潟ベントスの中で最大規模と言っても過言ではありません。

巣穴を断面から見た状態。
このようなアナジャコを保全していくためには、個体数を正確に把握することが重要ですが、アナジャコは採集が困難なため、これまで個体数調査はほとんど実施されてきませんでした。しかし近年は、環境DNAの分析技術が発達し、環境DNA濃度が、その環境に生息する生物の個体数の指標になることが徐々にわかってきました。
そこで本研究は、sedDNA分析がアナジャコの個体数を推定する方法として有用かどうかを検証しました。具体的には、地形や季節差を考慮した上で、個体数とsedDNA濃度に相関関係がある条件(分析に適した条件)を検討しました。2023年の4~11月にかけて、静穏な環境の袋状の内湾である北海道・厚岸湖と宮城県・万石浦人工干潟(以下、万石浦)、強い波が打ち寄せる前浜干潟の千葉県・三番瀬で調査を行いました。同じ干潟内で巣穴数(個体数の指標)が多いエリアと巣穴がないエリアにおいて、スプーン1杯(約1 g)ほどの堆積物を複数採取しました。また、研究で開発したアナジャコのDNAのみを検出できる種特異的な分析法(注5)を活用し、堆積物中に含まれる本種のsedDNA濃度(単位はcopies/g sediment)を測定しました。
・sedDNA分析に適した条件とは?
袋状の内湾かつアナジャコの成長期において、巣穴数が多いエリアほど高濃度なsedDNAが検出され、個体数とsedDNA濃度の間に相関関係が認められました(図4)。強い波がない袋状の内湾では、巣穴近くに放出されたsedDNAが遠くに運ばれにくいことが予想されます(図5)。また、成長期は活動量が多い時期であり、sedDNAの蓄積量も多かったことが想定されます。つまり、sedDNAが “蓄積されやすく、運ばれにくい” 状況でした。これが相関関係を生んだ要因であり、この条件がアナジャコを対象としたsedDNA分析に適していると言えます。
・個体数とsedDNA濃度に相関関係が認められなかった条件は?
産卵期の場合、卵から孵出した幼生などが広域に移動したことで、巣穴がないエリアでも高濃度なsedDNAが検出されました(図4)。また、平均気温が観測史上最高となった2023年の7月は、万石浦ではsedDNAが全く検出されませんでした。高水温によってアナジャコの活動量が低下したことにより、sedDNAの生成量が大きく減少した可能性があります。さらに、強い波もsedDNAの検出に影響を及ぼすことが示唆されました。三番瀬では、いずれの時期でも干潟の広域で同程度の濃度のsedDNAが検出されました。これは波浪によってsedDNAが広域に運ばれたことを示唆しています(図5)。

*:有意差あり、n.s.:有意差なし。なお、産卵期の調査では、巣穴がないエリアは2地点のみでサンプリングを実施した。

以上の成果から、sedDNA濃度はアナジャコの個体数の指標となるポテンシャルがありますが、分析の場所と時期には注意が必要であることが示されました。本研究は、海洋ベントスの個体数推定におけるsedDNA分析の有用性を検討した初めての研究です。この方法が確立されれば多くの海洋ベントスに適用できることが期待され、水産物の資源管理にも活用できる可能性があります。本研究は、海洋ベントスを対象とした個体数調査の新たな定量調査法を開発するための第一歩です。
発表雑誌
雑誌名:「PLOS One」(2025年3月18日) 論文タイトル:Sedimentary DNA is a promising indicator of the abundance of marine benthos: Insights from the burrowing decapod Upogebia major 著者:Kyosuke Kitabatake, Kentaro Izumi, Natsuko Ito- Kondo, Kenji Okoshi DOI番号:10.1371/journal.pone.0318235(外部サイトに接続します) 論文URL:https://doi.org/10.1371/journal.pone.0318235(外部サイトに接続します)
用語解説
(注1)環境DNA
水や堆積物中などの環境中に含まれるDNAの総称。生物の組織片や糞、粘液などが主なソース。堆積物中に含まれる環境DNAはSedimentary DNA(sedDNA)と表す。
(注2)海洋ベントス
海洋底生生物のこと。海底や岩場などに棲む海洋生物の総称。
(注3)成長期
甲殻類の生活サイクルには、活発に活動する時期である成長期および産卵期と、活動量が著しく低下する冬眠(休眠)がある。
(注4)ろ過食
採餌方法の一つであり、海水中のプランクトンなどをこし取って捕食する方法のこと。
(注5)種特異的な分析
環境DNA分析には、特定の生物種のDNAのみを分析する「種特異的な分析」と、試料中に含まれる様々な種のDNAを網羅的に分析する「網羅的な分析」がある。
4. お問い合わせ先
【研究に関わるお問い合わせ】
東邦大学理学部東京湾生態系研究センター
訪問研究員 北畠 京祐
【報道に関わるお問い合わせ】
学校法人東邦大学 法人本部経営企画部
〒143-8540 東京都大田区大森西5-21-16
E-mail: press(末尾に”@toho-u.ac.jp”をつけてください)
URL: https://www.toho-u.ac.jp
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