モンゴルの草原と人々の生活を守るために
Interview研究者に聞く
モンゴルは東アジアの内陸部に広がる広大な国です。国土は日本の約4倍もあり、その大部分は草原です。広大な草原では、羊やヤギなどの遊牧がさかんに行われてきました。ところが、近年では経済成長や都市の発展に加え、気候変動の影響もあり、草原の砂漠化や、多様性の損失、生産性の低下など草原の劣化が進んできました。美しい草原がなくならないように、いつまでも人々が草原と共生できるように、地域環境保全領域の王勤学さん、中山忠暢さん、岡寺智大さんは、気候変動や都市開発などが草原の生態系に及ぼす影響について研究しています。また、今後どのようにその環境の変化に適応していくか、その対策を検討しています。
王 勤学(おう きんがく)
中山 忠暢(なかやま ただのぶ)
岡寺 智大(おかでら ともひろ)
草原と遊牧の国
Q:研究を始めたきっかけは何ですか。
王:2001年にモンゴルで行われた会議に参加したことです。どこまでも続くモンゴルの草原の風景がとてもきれいで、感激しました。ただ、その時の会議では、地球温暖化の影響や土地利用の変化によって、モンゴルの草原が砂漠化するなどの問題が起こっていることが議題になっていました。そこで、モンゴルの草原の問題について研究したいと思うようになったのです。ちょうどそのころ、地球温暖化の影響を調べるための観測ネットワークを立ち上げてモンゴルでも観測することになりました。最初は2か所の観測地点を設けて、気象要素や土壌温度プロファイルなどの項目を測定していましたが、その後、年々観測サイトを増やして、2009年までに8か所で永久凍土の観測や、さらに2015年から3か所で温室効果ガスCO2フラックスの観測も実施しています。同時に植生調査なども行っています。
Q:CO2フラックスとは何ですか。
王:単位面積当たり、単位時間当たりの移動炭素重量のことです。これらの科学的データをもとに、草原のCO2吸収排出量の評価や永久凍土の融解が草原に及ぼす影響などについて調べてきました。
Q:モンゴルとはどんな国なのですか。
王:モンゴルは世界で二番目に大きな内陸国で、面積は156万㎞2、人口は約330万人です。西には標高4000m以上の山脈がありますが、東には1000~1500mの高原が広がっています。国土の70%以上は草原です。北の方には森林があり、南にはゴビ砂漠があり、北と南ではかなり雰囲気が違います。遊牧の国で、人々は、ゲルと呼ばれる移動式の住居に住み、家畜が食べる草や水のある遊牧に適した場所を探して、家畜と一緒に移動して暮らしてきました。1990年に社会主義から資本主義に国家の体制が移行すると、定住化が加速しました。また、食糧の自給を目的に農地の開発も行われており、遊牧の仕方も変わってきました。さらに、鉱山開発もあちこちで行われています。それとともに草原が劣化し、砂漠化が進んでいます。
岡寺:現在は、首都ウランバートルに人口の半分が集まっています。2010年にウランバートルを訪れたときには、空港から首都中心部まで片側1車線の道路しかなく、日本車を見かけることも少なかったが、3年後に行ったときは道路も広くなり、日本車だらけになっている上に、ショッピングセンターができているなど、その発展の早さにはびっくりしました。
Q:どんな気候ですか。
中山:1年間の気温差が大きくて、夏は40℃にもなるのに、冬は-30℃以下になることもあります。1日の寒暖差も大きく、夏でも雪が降ることがあり、1日で30℃もの温度差になることもあるのです。雨が少なく乾燥しています。年間降水量は南部ゴビ砂漠での50㎜から北部山岳地域での400㎜の間ですが、草原地帯では200~300㎜くらいで、夏に集中して雨が降りますね。雨は少ないのですが、地下水が出るところもあり、至る所に井戸があります。現地の人はわずかな水で暮らす習慣がありますが、たくさん水を使う習慣のある日本人なら困るかもしれませんね。
岡寺:モンゴルの高原地帯では樹齢が古い木でも幹は細いです。大きくなりすぎると蒸発散量が増えてしまい、雨の少ないモンゴルでは樹体を維持できないためです。逆に考えれば、草くらいしか育たない土地であるため、広大な草原ができたともいえます。それで、羊やヤギ、ラクダ、牛、馬などの家畜の放牧が行われています。人々は、肉が主食で、チーズなどの乳製品もたくさん食べます。馬乳酒は日本でも有名ですよね。みなさん、訪問者にはとても親切で、私たちがゲルを訪れるとどこの家庭でも必ずミルクティや自家製のチーズでもてなしてくれます。
永久凍土が融けると
Q:地球温暖化が草原にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。
王:モンゴル草原の大部分は年平均気温0℃以下の寒い気候帯に分布しているため、草原の下に永久凍土が存在しています。地球温暖化によって永久凍土が融解して、なくなる可能性があります。永久凍土とは、2年以上にわたって地下の温度が0℃よりも低い状態の土壌や地盤のことを言います。モンゴルでは国土の63%を永久凍土が占め、広く分布しています。私たちの調査では、温暖化の影響を受け、永久凍土の面積や深さが減少している傾向があることが明らかになりました。永久凍土が融けてしまうと、水資源の減少や草原の砂漠化などをもたらします。永久凍土の状態は草原の植生に大きな影響を及ぼしています。
Q:永久凍土は植生とどんな関わりがあるのですか。
王:永久凍土は水を通しにくいので、地表付近まで永久凍土があれば、降ってきた雨や融けた氷雪がその範囲内にとどまり、水を貯えることができます。もし永久凍土がなくなれば、雨が地下にしみ込んでしまいます。雨が少ないモンゴルでは、雨が地下にしみ込んでしまうとすぐに地面が乾燥して草が生えにくくなります。また、永久凍土がどの深さにあるかが重要で、地表から1~2mにあれば、雨水や凍土から溶けた水によって根層の土壌を湿らせ、森林や草原に安定的に水分を提供できますが、2~2.5m以上の深さだと、凍土から溶けた水が根層に届かず、土壌水分が少なくなり、植生の成長は変動の激しい雨水だけに依存することになります。そうすると、今まで草原だった場所でも草が生えなくなる可能性もあります。草が減れば、家畜が育てられなくなり、遊牧をする人々も生活できなくなってしまいます。さらに、土中に蓄積されてきた有機物が分解されて温室効果ガスが放出され、温暖化をさらに促進する恐れがあります(図1)。
中山:永久凍土が融解すれば、溶けた水が蒸発したり、川や湖に流れ込んだりと水の循環が変わってきます。そこで、永久凍土と水循環の関わりも調べています。
増える家畜
Q:草原はどのように劣化しているのでしょうか。
王:農地や鉱山開発などによって草原が直接破壊されるところもあれば、放牧の仕方が変わり、草が生えなくなったり、生物多様性が失われていたりしているところもあります。以前は1㎡当たり、数十種類の草が生えていたのが、数種に減ってしまったところもありました。
Q:その原因は何ですか。
王:放牧している家畜の数が増えているからだと思います。家畜の数が増えれば、当然食べる草の量も多くなります。近年ではヤギがほかの家畜に比べてかなり増えています。ヤギのカシミヤは高く売れるためです。ヤギは、羊と違って草の根まで食べてしまうので、植物は再生できないほど損傷を受けます。結局、家畜が好まない草や有毒な草ばかりが残ることになります。すると、草の種類が変わり、生物多様性が失われてしまいます。
中山:2008年から2009年は雨量が少なく乾燥しましたが、2009年から雨量が増えて、草が増えています。ただ、植生の種類が変化しているので、増えている草が必ずしも家畜の好きな種類ではないのです。
岡寺:遊牧民は非常に賢くて、草を食べつくさないように、水を枯らさないようにと季節ごとに場所を変える遊牧によって、草原と共生してきました。ヤギなどの家畜が増えて、そのバランスが崩れつつあると感じています。
王:これまでの研究で、草原の劣化には永久凍土の融解と過放牧が大きく影響していることが示されてきました。地球温暖化の影響で永久凍土の表層部が融けて回復しない上に、家畜が増えると草原の植生被覆率が低くなります。すると、地表の熱が地下に伝わりやすくなり、永久凍土がさらに融解し、まさに悪循環です。この研究の成果がNHK、日本経済新聞など多くのメディアほか、日・モンゴル環境政策対話でも取り上げられたことがきっかけで、モンゴルの研究者や政策決定者と危機意識を共有することができました。ただ、この問題を解決するためには、モンゴルだけではどうしようもないので国際協力が必要です。また、家畜の増えすぎについても、対策が必要です。つまり、牧養力の範囲で放牧できるように、家畜頭数の適正管理が必要なのです。
中山:家畜を管理するといっても家畜の頭数や種類などのデータが少なく、正確な評価の阻害要因になっています。なにしろ、モンゴルの土地には持ち主はなく、だれでも自由に移動して、住むことができます。住所などがないので、家畜の頭数などを正確に把握することがとても難しいのです。
進む都市化
Q:家畜の増えすぎは草原の生態系に大きな影響を与えているのですね。
王:はい。それだけではありません。市場を求めて遊牧民がウランバートル周辺に集まってきています。遊牧民の多くは、市街地の近くにゲルを立てて住んでいます。ゲルの集まっている地域では、インフラが整備されていないので、皆が石炭などを燃やすストーブを使っています。これが深刻な大気汚染を引き起こしています。
中山:家畜の放牧が増えること以外にも、人々が定住化したり、新たな産業を始めたりすると水の利用が変わります。水の循環も大きく変化し、水資源の枯渇も深刻化していますし、水質汚染の問題もでてきました。水の循環への影響が大きいのは鉱山開発です。モンゴルでは、金や銅などの鉱物資源が豊富で鉱山開発が各地で盛んに進められています。鉱山開発では、深い井戸をどんどん掘って、水を使ってしまうのです。水がなくなるとまた新しい井戸を掘るという具合で、さらに水資源の枯渇を引き起こし、深刻な問題になっています。一方、鉱山がごみ処理や下水などのインフラ整備をしている面があり、雇用も生み出しています。水の循環や水資源をうまく管理できるようなよいモデルを作ることができるといいのですが。
王:モンゴルでは、さまざまな環境問題や社会問題が起こり、それが草原の生態系を脅かしているのです。経済発展と環境の両立を維持できるような適応策を考えることが重要です。すでに、社会的な実験も始まっています。モンゴルは太陽光が豊富なので、それを利用して再生可能エネルギーをつくり、最新技術で管理することでスマートな放牧システムを構築できればと考えています。これらの技術が将来につながるとよいと思います。
草原は大事な資源
Q:今後、どうすればいいのでしょうか。
王:実際、モンゴルでは遊牧人口が減りつつあり、都市化が進んでいますが、今ある有限な資源を人と社会がどう使うかが重要です。
中山:バランスが大事ですね。
王:そのためには、人や物がどれくらいあって、水などの資源がどれくらいあるかを把握し、また、生活や産業に必要な量がどれくらいかを求めなければなりません。モンゴルの首都には、いま火力発電所が4か所ありますが、電気の需要が増えています。でも、発電量を増やすには、水も必要ですし、大気汚染についても考えなければならないのです。環境容量や環境復元力の範囲内で都市化などの計画が進むようにする必要があります。
岡寺:首都機能の一部を移転する計画もあるようですので、遊牧文化のある国ではそれも有効な手段かもしれません。
王:私たちは、開発活動や気候変動の影響を評価するモデルをつくりました。今後の変化を推測するとともに、このモデルにあてはめて、家畜の管理をどうするか、飼料をどうするか、地下水をどうするかといった適応策をモンゴルの科学者などとも協力して検討しています。モンゴル人にとって草原は大事な資源ですから、草原を破壊することなく、持続的に利用できるようにこれからも取り組んでいきたいです。