人口減少時代の里山の管理のあり方とは
Interview研究者に聞く
山地と集落の間に広がる里山は、農地やため池、草原、人が管理する森林などで構成されています。さまざまな環境があることで多くの種類の生物が生存し、豊かな生物多様性を支える場所になっています。このような里山の豊かな生態系は、人が利用目的に応じて、手を加えることで生まれ、維持されてきました。しかし、近年の人口減少や少子高齢化にともない、人が住まなくなった地域が増え、里山の生態系に変化が現れています。このまま、里山が管理されなくなると、豊かな生物多様性が失われてしまうと懸念されています。
生物多様性領域主任研究員の深澤圭太さんは、人の活動が里山の生態系にどのような影響を与えたか、管理されなくなった里山がどのような影響を受けているかを調べています。この調査をもとに、将来の人口減少時代にむけた管理のあり方について検討しています。
主任研究員 深澤 圭太(ふかさわ けいた)
里山を維持する
Q:どんな研究をしていますか。
深澤:里山の生態系の管理や保全について、おもに二つのことを研究しています。ひとつは歴史をひもとき、人類の営みが里山の生態系にどのような影響を与えたかということ、それから人口の減少や一極集中によって人が移動し、長期間、人が住まなくなった里山の生態系の変化を調べています。それらをもとに、生物多様性を保全するための管理のあり方について検討しています。
Q:なぜ、里山を対象にしたのですか。
深澤:里山は農業を中心とした歴史的な人間活動によって成立した生態系であり、草原性の動植物を中心に豊かな生物多様性を支える場となっています。しかし、高度経済成長以降の産業構造の変化によって樹木の伐採や採草などの利用が少なくなり、植生遷移の進行などによって危機にさらされています。今後、人口減少によって生物多様性の危機が進行すると考えられるため、広域評価に基づく保全戦略の立案が必要とされています。これらのことから、里山を研究対象にしました。
Q:里山はどのようにしてできたのでしょうか。
深澤:里山は火入れや樹木の伐採、農耕など歴史的に続いてきた人間活動によって成立してきたと考えられています。中でも、里山の要素である半自然草地、すなわち刈り取りや火入れにより維持されてきた草地の起源は最終氷期(7万年前〜1万年前)に遡ると考えられています。当時は今よりも寒冷・乾燥した気候の下で、自然草原が広がっていました。1万年前くらいに最終氷期が終わると温暖化して森林が発達しましたが、縄文人が野焼きや焼き畑などにより植生管理を行うことで、草原の状態が維持されました。弥生時代以降、牧畜や水稲栽培が行われるようになり、古墳時代以降は製鉄や製陶などエネルギー集約的な生産活動も行われるようになりました。周辺の草地や雑木林は飼料、燃料や肥料などを採取する場として維持され、多くの生物が生息する里山が成立していったと考えられています。
Q:里山は人の手を加えることで維持されてきたのですね。
深澤:はい。人の活動が里山の生態系に大きな影響を与えていますし、里山の自然環境を守るためには、人が適切に管理することが必要なのです。人の活動の中で、製鉄に関心を持ち、製鉄が里山の生態系にどのような影響を与えてきたのかを調べました。
製鉄は地形を変えた
Q:「たたら製鉄」とは何ですか。
深澤:たたら製鉄は、日本の古い製鉄技術で、たたら場は今でいう製鉄所です。ふいごで風を送りながら木炭を燃やし、その熱によって、砂鉄を還元し、鉄を得る方法です。その原型は古墳時代から始まったと考えられ、日本の地形や植生に影響を与えてきました。
Q:どんな影響を与えたのでしょうか。
深澤:原料にはおもに花崗岩に含まれる砂鉄を使います。風化した花崗岩を削っては、削った土砂を川に流し、比重の違いを利用して砂鉄を集めました。これを「鉄穴(かんな)流し」といいます。砂鉄は一般的な鉄鉱石よりも母岩に含まれている割合がとても低いので、大量の花崗岩を削る必要があります。山を削れば、地形は変わります。また、砂鉄を集めるために鉄穴流しを行うと、川や河口に土砂が堆積し、平地が広がりました。その跡地や土砂を水田の開発に利用できたのはよかったのですが、一方で、土砂によって川底が上昇し洪水の原因になりました。
製鉄の里山への影響
Q:土砂で地形が変わってしまうのですね。
深澤:はい。たとえば、島根県の宍道湖周辺の地形は、製鉄の影響を受けてできたものです。鉄穴流しの際に堆積した土砂の上に水田ができたことで、農業が発展しました。また、木炭を得るために森の木の伐採が進むとともに、木炭や砂鉄を運ぶ牛馬の餌場として草原ができました。たたら製鉄は、里山を維持するにはよい影響を与えたといえます。一方、原生林に生息するような生物のすみかは失われてしまい、それらの生物にとってはマイナスの影響だったと考えられます。そこで、製鉄が哺乳類の分布に与える影響を調べてみたのです。
Q:どうやって調べたのですか。
深澤:哺乳類の分布のデータベースと遺跡のデータベースを使い、それらに気候や地形などのデータを加えて、統計解析しました。私は歴史が好きなので、歴史博物館に行くことがあります。そのときに偶然遺跡データベースの存在を知り、データベースを構築した奈良文化財研究所のご協力をいただいてこの研究を行うことができました。このデータベースには、40万件以上の全国の遺跡の情報があります。その遺跡データから、たたら製鉄、焼き物(製陶)、集落の3種類の土地利用を示す遺跡を抽出し、時代ごとに哺乳類の分布への影響を調べました。すると、29属の哺乳類のうち21属で製鉄の影響が検出され、哺乳類の分布には製鉄の影響が一番大きいことがわかりました。
Q:哺乳類にはどんな影響がありましたか。
深澤:イタチ、タヌキ、キツネやイノシシなどの中型の哺乳類は製鉄を行っていた場所で多様性の高いことが示されました。これらの生物は、草原や二次林のような環境を好み、製鉄によってそのような環境が増えたと考えられます。一方、ネズミ目のモモンガやヤマネなど小型の哺乳類はそのような場所ではほとんど確認されませんでした。森林性の小型動物については現在でも多様性が低く、製鉄がマイナスの影響を与えたと考えられます。これらの哺乳類は、繁殖や休息などに樹洞があるような老木を使うため、定期的に伐採を受けるような二次林では暮らしにくいのだと思います。とはいえ、たたら製鉄は中国山地や阿武隈山地が中心地であり、それ以外の地域では生き残ることができました。このような人の活動の歴史の地域差によって、日本全体として多様な生物の生息地が維持され、生物相の地域らしさを生み出したと考えています。私は、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示区域でも哺乳類の調査をしていますが、この地域も昔たたら製鉄で栄えた地域です。最近、偶然にも哺乳類を調査している場所でたたら製鉄のときにできる残りかす(ノロ)を見つけました。このあたりも草原や二次林が多い地域で、人間の歴史と生態系の関係を実感しました。
増える無居住地区
Q:人が住まなくなった里山は増えているのですか。
深澤:はい。人口の減少や都市への人口の集中などで人が住まなくなった地域が増えています。その結果、管理されなくなったり、放棄されたりする農地や山地が増えてしまうのです。2050年までには全国の総人口が1億人を下回ると予想されており、今人が住んでいる土地の3〜5割の面積の住民がいなくなると危惧されています。先にお話ししたように里山は1万年以上、人が関与することで維持されてきましたが、人がいなくなれば、生物多様性にも影響を与えると考えられます。実際、福島第一原発事故で住民が避難し、無人になった地域では、今までいなかったイノシシが増えるなどの影響が出ています。狩猟をする人がいなくなり、餌場が増えたためでしょうね。そこで、廃村を対象に人が住まなくなり、長期にわたって管理されなくなった土地の景観や生物の種類の変化などを調査し、人が住まなくなった影響を把握しています。
Q:どのようにして廃村を調査しているのですか。
深澤:日本全国の廃村を回っている人のブログをインターネットでみつけ、その人に協力してもらっています。これまで1000カ所もの廃村を訪れている人で、私も一緒に各地を回り、30数カ所の廃村に行きました。東京大学の学生にも協力してもらい、季節ごとに生物の種類や状況などを調べるモニタリング調査も続けています。
Q:人が住まなくなるとどうなるのですか。
深澤:生物の多様性は失われますね。廃村では、ススキやササだらけになっていたり、竹が繁殖して集落を埋め尽くしていた例もありました。人がいなくなって、環境が変わることは生物の種類によって、プラスにもマイナスにもなります。マイナスの状態が長く続けばその生物は失われてしまいます。人が管理しなくなることで今までいた生物種が失われる現象は、全国各地で起こっています。
Q:他の生物への影響はどうですか。
深澤:人がいなくなり、管理が放棄された影響を受けやすい生物の1つはチョウだと考えられます。チョウには開放地を好むものもいれば、森林を好むものもいます。里山では、田の畔に生える草丈の低い草花にいろいろな種類のチョウがやってきて、卵を産み、成虫は花の蜜を吸います。人がいなくなりススキが増えると、ススキを食べるチョウは増えるかもしれませんが、その種類は限られるでしょう。ススキは風に吹かれて受粉する風媒花で花びらも蜜もないので、成虫の餌はなくなってしまいます。人がいなくなると、植物の種類が限られてしまうため、チョウも限られた種類しかいなくなることがわかりました。生物の多様性を維持するためには、人がいなくなっても、今までの環境を維持することが重要だとわかりました。
人がいなくなると、草地と森林に分かれる
Q:調査して印象に残ったところはありますか。
深澤:福島県の会津若松市にある無居住化集落は印象的でした。会津若松市の市街から離れた山奥にあるので、およそ40年以上もの間、人が住んでいません。春先に訪れると、水田の跡などもあり、水芭蕉が咲いていて、とてもおだやかでした。以前そこに住んでいた人に偶然に会って話をうかがうことができ、残っていた詳細な記録を見ることもできました。夏に再訪するとススキだらけで、あたり一面がススキに乗っ取られているみたいでした。春先はとても見通しがよかったのに、夏は歩くのも大変で、ハチに刺される始末でした。深い藪が広がっている場所もあり、まるで別の場所みたいに感じました。
Q:廃村を回ってどんなことがわかりましたか。
深澤:会津を中心に廃村を回って、放置した後の里山の変化をみると地域によって変わっており、40年ほどたっても草地のまま維持される場所と、高木の森林になるところの2つに分かれることがわかりました。放置された後の変化は、そこの地形によって変わってきますし、以前住んでいた人がその土地をどのように利用していたのかなど、人と土地のつながりも関わっていると考えています。今後も、モニタリングを長期間続け、このメカニズムの解明を進めたいと思っています。また、長く使われなくなった農地を再び管理したときに、植物の種類がどのように変化するのかを検証しています。
Q:その実験をしているのですか。
深澤:はい。使われなくなった農地をお借りして、草刈りをするなどしたときに、どのように新しい植物の加入が変わるかを調べています。それによって生態系の変化に関わるメカニズムを明らかにしています。
効率的に管理する
Q:里山があるからこそ、野生動物と共存できたのですね。
深澤:そういう面はあると思います。里山は、山と里の境界にあり、人の生活するところと動物が生活するところを分けるバッファーゾーン(緩衝地帯)の役割を果たしていると思います。草刈りが行われた開放地には動物も出てきづらいですが、管理放棄によって藪が増えてしまうと、人の生活圏に動物が侵入しやすくなってしまいます。
Q:すでに問題は起こっていますね。
深澤:はい。クマなどの山の野生動物が人里におりてきて、人身被害を起こすことはすでに発生しています。そのための対策をするなど、具体的に問題を解決していかないといけません。
Q:今後、どのように研究を進めていきたいですか。
深澤:生物の多様性を維持するためにも、里山を保全し、管理することが必要です。そこで、まずは里山の動植物がどこから入って、去っていくのか、生物の種類や数はどれくらいあるのかを把握しておくことが必要です。把握したうえで、生態系を維持するためにはどうすればいいのか、その管理方法を提案したいです。将来を見据えて、里山の管理に重点を置かなければならないのですが、人口が減っているので、労力を割くことができないことも明らかです。今後も引き続き、効率的に里山を管理し、生態系を保全するための方法を考えていきたいです。