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環境汚染のリスクアセスメント − 健康リスク評価の問題点を中心として −

環境リスクシリーズ(3)

三浦 卓

 現在、地球上の人間環境と自然生態系には、人間活動に起因する化学的、物理的、生物的な汚染が浸透しており、環境の汚染は全体として量質ともに今後も増大していくと予想される。このように多様な負荷を地球環境が背負うようになったのは産業革命以後のことであり、ここ四半世紀は特に著しい。環境汚染の場合、環境中から汚染を完全に無くするのは極めて困難なので、環境汚染を有害な影響を及ぼさない程度に抑制することが要求される。このためには、汚染がどこまでなら安全なのかを統一的に評価することが不可欠となる。このようにどこまでなら安全なのかを評価するために、リスクの概念が発展して来た。この概念は、もともと発がん物質の安全性を評価するために考えられたものであり、有害な影響とその発生する確率を予測するものである。現在では、リスクアセスメントが食品・飼料添加物や放射線などの安全性を評価するのに我が国も含め多くの国で受け入れられている。本シリ−ズで前回説明されたように、米国では環境汚染について行政レベルでもこの方法が使用されている。また、生態系へのリスクアセスメントについてもOECDなどからガイドラインが出されている。ここでは、環境化学物質の健康障害に対するリスクアセスメントの問題点を中心に考えてみたい。

 環境化学物質による健康障害にリスクアセスメントを適用する場合、いくつかの問題が生じる。地域における汚染量と健康障害の程度を明らかにする疫学研究は価値が高いが、用量と生体反応関係を求めるのには、多大な労力と時間を要する。そこで、化学物質によるリスクの予測は、多くの場合動物実験の結果にたよらざるをえない。動物実験によって化学物質の用量と反応との関係を求める場合、地域環境における実際の暴露状態と異なる条件で実験を行わざるをえない。特に、限られた数の動物を用いて実際より高い濃度で効率よく有害な影響を検出するために、統計上の不確実さを生じるとともに低濃度に外挿してリスクを評価することが必要となる。動物の種間及びヒトとの間に化学物質に対する感受性も種差が大きい。現在ヒトとの種差による過小評価をさけるために10-1の安全係数が用いられているが、科学的裏付けは充分でない。また、現実の汚染は、多種類の汚染物質が多様な媒体を通して起こっているが、環境汚染のリスクを総体として評価する方法は現在開発されていない。これらの問題点があるにも拘らず、環境汚染による健康障害を予測し安全性を判定する方法として、リスクアセスメントは現在最も科学的な方法であり、問題点を一歩ずつ克服しより正確に環境汚染のリスクを評価していくことが必要である。

 リスクアセスメントは、有害性の確認から始まる。疫学研究や動物実験によって有害性が明らかになった場合、化学物質と生体反応との用量−反応関係を求める。いき値がある可逆的毒性については、作用がないと考えられる最大無作用量(NOAEL)を数理モデルを用いて算出する。発がん性や遺伝毒性のようないき値がないと考えられる不可逆的毒性については実質的に安全な濃度(VSD)が算出される。これは環境汚染のように負荷を零にできない場合、有害性が或る程度以下の確率なら実質的に安全と見なしうる値であり、発がん性の場合生涯において許容できる発がんの危険率として10-5〜10-8までいろいろな考え方があり、国民的合意の下に判断されるべきものである。化学物質に対するNOELやVSDと人への現在または将来予測される暴露量のアセスメントの結果を基に健康リスクの判定が行われる。

 有害性が明らかで法的に規制されている化学物質の場合でも、リスクアセスメントを行えるだけの用量−反応関係は不明な場合が多い。ヒトへの暴露を制御することが困難な大気汚染物質の場合、リスクの判定がとりわけ重要である。我々は、特別研究「粒子状物質を主体とした大気汚染物質の生体影響評価に関する実験的研究」の一環として、二酸化窒素等代表的な大気汚染物質の呼吸器疾患との関連性についてリスクアセスメントを行うための予備的な実験を行っている。ここでは、実際の汚染に近い濃度で有害性を鋭敏に検出できる手法の開発が必要であり、この手法はまたデータの信頼性を高めるためにより多くの動物について測定できるものでなければならない。これらの手法によって測定される用量-反応関係を基にして安全性の判定を行えば、大気環境をどこまで改善すべきかという一つの目標を提供できる。

 化学物質による環境汚染は、現在新たな局面を迎えている。従来の重篤な健康被害を招いた特定の原因物質による汚染から、ゴミ焼却場や先端技術産業など多様な媒体からの多種類の化学物質による汚染となって来ている。これらの物質は微量で混在しており、その有害性について低濃度領域では用量−反応関係が殆ど明らかにされていない。したがって、安全性を判断するためには、多種類の化学物質について迅速に有害性の順位づけを行い、次いで有害性の高い物質について低濃度領域での用量−反応関係を近似的に求める検索法の開発が必要である。我々は、経常研究「未規制化学物質の健康への影響評価法の開発に関する基礎的研究」においてこれらの問題点を検討してきた。アルデヒド類や塩素化エチレン類を対象として、鼻粘膜刺激性や気道反応性を迅速鋭敏に測定する方法を開発すると共に、培養細胞による毒性評価を開発し毒性の順位付けを試みた。いずれの方法で測定してもアルデヒドの有害性の順位は同じであることが判明した。今後、生理的変調や不快感といったより鋭敏に有害性の用量−反応関係を求める方法の開発が必要であろう。

 現在環境汚染は国際的な広がりを示している。各国の風土習慣により汚染の媒体のみならず、量も質も異っている。我が国はこれに合致した独自のリスクアセスメントの体系を組み立てることが必要であり、これはとりもなおさず国際的な分担研究となるであろう。これらの研究を各国間の協力関係の下に推進することが、地球環境を有害な汚染から守るための基本となるであろう。

(みうら たかし、環境生理部環境生化学研究室長)