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2020年12月28日

侵入生物駆除のシミュレーション

特集 自然共生社会構築 生物多様性の危機に対処する
【研究ノート】

吉田 勝彦

1.背景

小笠原諸島媒島の図。2012年6月 撮影:吉田勝彦
図1 小笠原諸島媒島。2012年6月。撮影:吉田勝彦

 侵入生物は重要な環境問題の一つであり、生物絶滅の3大要因の一つにも挙げられています。特に小笠原諸島のように、他の場所から隔離されて進化し、独特の生態系を持つような海洋島は侵入生物の影響を受けやすく、大きな被害を受けたことが世界中で報告されています。小笠原諸島でも侵入したヤギ・ネズミなどによる食害の影響はすさまじく、一部の島では植生が崩壊して表土がむき出しになってしまうほどでした(図1)。そのため、小笠原諸島が世界自然遺産に登録される時には侵入生物対策が宿題として課せられることになりました。その後各種侵入生物の駆除が進められ、ヤギについては父島を除いて駆除が完了しました。

 ここで一つ大きな問題があります。侵入生物を駆除すれば、生態系は回復するのでしょうか?例えば小笠原諸島を構成する島の一つ、媒島(なこうどじま)の生態系は図2のような形をしており、たくさんの種類の生物が相互作用しあっています。木や草、草食の虫など、いくつかの種をひとまとめにして表してもこれだけごちゃごちゃしています。そのため、例えばここからヤギを駆除したとき、どの種の個体数が増えてどの種が減るのかをこの図から予測することは大変困難です。駆除した結果、保護すべき固有種が絶滅してしまう危険もあり得ます。できれば実際に駆除する前に結果を知っておきたいところです。このような時、コンピュータシミュレーションがよく使われます。つまり、現実の世界でできないことをコンピュータの中でやってみるわけです。これなら何回も“失敗”できますので、トライアンドエラーを繰り返すことでより良い方法を見つけ出すのに適しています。そのため、コンピュータシミュレーションは天気予報、地球の気候変動の予測、感染症の流行予測など、幅広い分野で使われています。

媒島の生態系の模式図
図2 媒島の生態系の模式図。それぞれの要素には複数の種が含まれている。
相互作用がある要素どうしは矢印で結ばれている。相互作用の種類は凡例を参照。

2.小笠原諸島媒島の生態系を再現するシミュレーションモデル

 そこで私たちは小笠原諸島の媒島の物質循環を再現した生態系のシミュレーションモデルを作成しました。生態系の物質循環は、植物が土の中の栄養分を吸収して成長するところから始まります。小笠原諸島では、生態系に必要な栄養分の大部分は、海鳥が海で魚を食べ、島に帰って排泄することでもたらされます。栄養分を吸収して成長した植物を草食動物が食べ、さらにそれを肉食動物が食べます。食べると動物は糞をします。また、死んでしまうこともあるので遺骸も発生します。植物も同様で、日常的に枯葉が発生しますし、台風などで倒れて枯れてしまうこともあります。これら排泄物や遺骸をひとまとめにしてデトリタスと呼びます。生態系の中にはデトリタスを食べる動物もいます。デトリタス食の動物はまた肉食動物に食べられます。再利用されないデトリタスは、一部は風化して流れ去っていきますが、一部は分解され、また植物が利用可能な栄養分になって土の中に戻ります。媒島には侵入生物のヤギとネズミもいますが、両種とも広食性であり、ヤギはほとんど全ての植物を、そしてネズミはヤギ以外のほとんど全ての動植物を食べます。ところで、生態系には食う-食われるの関係以外の相互作用も含まれています。例えば植物同士は生える場所や光、栄養分などをめぐって競争します。ヤギはあちこちを踏み荒らすことで植物の生長や海鳥の営巣を妨害します。海鳥も巣の周りを歩き回ったり、巣穴を掘ったりすることで植物の生長を妨害します。また、多様性も生態系の重要な要素です。図2では、見やすさを重視して、植物、草食の虫などのようにひとまとめにして表されていますが、植物にもたくさんの種類があり、それぞれ多様な性質を持っています。栄養分が豊富ならば早く成長するもの、裸地があると早く成長できるもの、栄養分が少なくても日陰でも耐えられるものなどがあります。虫にも多様性があります。大きさはもちろん、餌の好みも様々で、特定のものしか食べないものや幅広く何でも食べるものもいます。今回私たちが作成した生態系モデルは、これらの全ての要素をまるごと取り込んで、なるべく現実に近いものになるように媒島の生態系をコンピュータの中に再現したのです。

3.シミュレーションによる生態系変化の予測

 このモデルを用いて侵入種を駆除するシミュレーションを行いました。その結果、ヤギを駆除すると図3aの状態から図3bの状態への変化が起こることがわかりました。ヤギを駆除すると植物は食べられなくなります。ネズミは植物性の餌を独占できるようになるので、ネズミの数が増えます。その結果ネズミが食べている虫の数が減るのでこれも植物が食べられなくなる効果をもたらします。そのため、木と草の競争を邪魔するものが少なくなります。草は木よりも背が低く、木との競争には勝てません。その結果全島森林に覆われることになります。ネズミを駆除した場合は図3aから図3cへの変化が起こります。ネズミを駆除すると虫の数が増えますし、ヤギは相変わらず残っているので、その結果植物はもっと激しく食べられるようになります。この場合、成長の早い草の方が被害を受けにくいので、全島草原化することになります。

生態系を構成する要素間の相関関係の図
図3 生態系を構成する要素間の相関関係
a: 駆除前の状態、b: ヤギ駆除後の変化、c: ネズミ駆除後の変化。矢印(→)は相手の個体数を減らす効果があることを表す。矢印の太さはその効果の強さを表す。bとcの中で、赤で大きく表示された要素は駆除後に個体数が増加したこと、赤矢印は駆除後に影響が強まったことを表す。点線の矢印は、駆除の結果その効果が弱まったことを表す。灰色で表示された文字・矢印は駆除されてこれらが消滅したことを表す。

 それでは、この予測は当たるのでしょうか?実際の媒島では、2003年にヤギだけ駆除が完了しています。その後はシミュレーションの予測の通り、森林の面積が増加しつつあることが大澤剛士博士らによって確認されています。しかし、森林面積増加のスピードはシミュレーションの予測よりもかなり遅く、駆除後17年経過しても森林に覆われるどころか、まだ裸地が残されています。

 植物の回復が遅れている原因の一つとして土壌侵食の影響が畑憲二博士らの研究によって指摘されています。土壌侵食によって植物が芽を出してもすぐに流されてしまうことと、栄養分の少ない下層土で覆われて植物が育たないためです。また、海鳥の回復が遅れていることも影響しています。生物は1, 2, 4, 8, 16・・・というように、時間の経過と共に急激に数を増やしていく性質がありますが、小笠原諸島での海鳥の個体数は、1, 2, 3, 4, 5というような、一定の割合のゆっくりとしたペースでしか増加しないことが鈴木創博士らによって確認されています。小笠原諸島では、植物の生育に必要な栄養分は海鳥によって供給されるので、海鳥の回復が遅いと植物の回復も遅れることになります。小笠原諸島の生態系を回復させるためには、土壌浸食対策に加えて、土の中の栄養分不足対策が必要となるでしょう。

4.今後の研究の方向性

 今回私たちが作成したモデルは、生態系変化の傾向は当てられましたが、実際の変化の速度までピタリと当てられるほどにはまだ完成しておりませんでした。しかしシミュレーションをやってみて、その結果を現実と比較することで新たにわかることもあります。例えば今回の結果から、生態系を回復させるためには土壌侵食や栄養分の不足に対する対策が必要なことを提示できましたし、海鳥の繁殖の仕方についてさらに研究を進めることが必要なことも明らかとなりました。そして、これらの要素を取り込むことがモデルの改良のために必要なことも明らかとなりました。つまり、生態系の保全を効率良く進めるための方法、野外での生態学的な調査のポイント、モデルの改良の方向性が明らかになったのです。このような野外調査とシミュレーションが有機的に結びついて効率良く研究を進めていくようなサイクルを今後も続けていくことが必要です。

(よしだ かつひこ、生物・生態系環境研究センター 生物多様性保全計画研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の吉田 勝彦の写真

この世界の時間と空間を自由自在に操ることを可能にする究極の生態系モデルを構築することが私の夢です。その道のりはまだまだ長く、たどりつけるかどうかもわかりませんが、それを目指してこれからも歩き続けます。

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