世界及びアジアを対象とした持続可能シナリオの開発に関する研究
特集 アジアと世界の持続性に向けて
【研究プログラムの紹介:「統合研究プログラム」から】
高橋 潔
気候変動問題は、その影響が世界各地・幅広い分野に及ぶこと、主因となる化石燃料燃焼は人間活動・経済活動と密接な関わりを持ちその原因の除去が容易ではないことなどから、解決に向けた取り組みが重点的に議論されてきました。社会環境システム研究センターにおいても、気候変動の科学的側面の研究に取り組む地球環境研究センター他と連携し、気候変動による社会的影響の評価、顕在化しつつある気候変動影響に対する適応策の検討、気候変動自体を抑制する緩和策・緩和政策の分析などを最優先課題と認識し推進しています。
しかし、私たち人類が抱える喫緊の取り組みを要する課題は、気候変動に限りません。国立環境研究所が主たる守備範囲とする環境問題だけ見ても、資源循環、生態系・生物多様性、大気汚染等、国内外での対策検討・実施が依然として求められる課題は多岐にわたりますし、さらに視野を広げれば所得格差、高齢化、経済停滞などの社会・経済的な課題も山積みです。各々の課題が独立して存在しているわけではなく、密接な関連性を有していることから、理想的には複数課題の同時改善・解決のための対策・政策を見出していくことが求められます。
国立環境研究所第4期中長期計画(2016~2020年度)において社会環境システム研究センターが主導する「統合研究プログラム」を構成する3つのプロジェクトの1つである「世界及びアジアを対象とした持続可能シナリオの開発に関する研究(以下、PJ1と呼ぶ)」では、特に環境問題の統合、ならびに環境・経済・社会の統合に重点を置き、定量的な計算機モデルシミュレーションを主たる分析手法として、持続可能シナリオの開発に取り組んでいます。
「複数課題の同時改善・解決のための対策・政策を見出していくこと」が理想的と上で述べました。しかし、それはあくまで理想であって、課題別に縦割りに対策の検討が進められている現状を考慮すれば、全課題を同時解決する決定的な対策・政策を突然に提示することは当然期待できません。そこでPJ1では、まずは、2015年の気候変動枠組条約締約国会議で国際合意が得られた「パリ協定」が掲げる気候目標(産業革命以降の全球平均気温上昇を2℃より十分小さく抑える)に整合的な気候変動対策を実施した場合の、気候変動以外の環境問題・社会問題への波及的な影響を描き、その他開発目標との整合性に留意した対策シナリオの検討・提案に取り組むことにしました。この取り組みを通じて、より社会的に受容されやすい、いいかえると実現可能性の高い気候変動対策を提示することが可能になります。
気候変動対策は、他の環境問題・開発問題に対して、良い波及影響・副次効果(コベネフィット)をもたらす場合もあれば、逆に悪い波及影響・副次効果(トレードオフ)をもたらす場合もあります。前者のコベネフィットの典型例としては、化石燃料消費を減らす気候変動対策の副次効果としての、大気汚染物質の排出の低減が良くあげられます。国内で見た場合には、他国で産出される化石燃料への依存度を下げることによるエネルギー安全保障の観点からの改善もまたコベネフィットの一つといえます。一方でトレードオフの典型例としては、気候変動対策としての化石燃料からバイオエネルギーへの大規模転換による、森林伐採・生態系破壊の誘起や、食料生産との土地資源の競合などが懸念されます。PJ1では、従来から指摘されるコベネフィット・トレードオフの定量的評価を実施するとともに、その他の開発目標についてもなるべく広く気候変動対策の波及的な影響を描くことを試み、またそれがトレードオフ関係にある場合には、目標の両立・同時達成のための追加的方策について検討することを目指しています。
研究プログラムの開始からほぼ2年経過し、従来からの研究手法・データの蓄積の強みも活かし、いくつかの初期的な研究成果が得られつつあります。その一つは、気候変動、食料問題、生物多様性など、様々な環境・開発問題の統合分析・対策検討のための共通基盤情報といえる空間詳細な土地利用シナリオ(森林、牧草地、農地等の空間情報)です。土地利用ダウンスケールモデルAIM/PLUM(Asia-Pacific Integrated Model / integration Platform for Land-Use and environmental Modeling)を開発・活用し、IPCC第6次評価報告書に向けた気候変動研究での共通利用が見込まれる新たな社会経済シナリオSSP(Shared Socioeconomic Pathways:共通社会経済経路)について、空間詳細化を実施しました。SSPは、SSP1(持続可能)、SSP2(中庸)、SSP3(地域分析)、SSP4(格差)、SSP5(化石燃料依存発展)の5つの異なる社会経済の将来発展像について、それぞれ人口、経済発展、温室効果ガス排出量などの定量シナリオを与えます(参考:平成29年2月21日国立環境研究所報道発表資料)。AIM/PLUMでは、世界17地域別の土地利用シナリオを、植生・作物モデルから得られる土地生産性(仮にその場所で作物を栽培した場合に期待される収量)の空間情報、初期年の土地利用分布の観測値の空間情報を考慮した収益最大化により分配し、空間解像度0.5°×0.5°の空間情報(世界を経度方向720桝×緯度方向360桝の桝目に区切った地図)に詳細化しています。図1は、開発した空間詳細化した土地利用シナリオの例であり、SSP2(中庸:中間的な社会経済発展の想定)の下で2℃目標に整合的な気候政策を取る場合の、6つの土地利用区分(森林、農地、植林、その他自然植生、牧草地、バイオ作物)の各桝目での土地利用面積割合(桝目の面積を1とした場合の同桝目内の各土地利用の面積)の、現状(2005年)から将来(21世紀末)に向けての変化量を示したものです。人口増加・一人当たりの食料消費増加に起因する食料需要増に対応し、単位面積あたり作物収量の増加で補えない分は、農地面積の拡大で対応することになります(図1「農地」地図での緑色)。また、CO2排出の大幅削減を実現するために各地で「植林」及び「バイオ作物」の拡大が予想されます(「植林」・「バイオ作物」地図の緑色)。一方で、各桝目の面積は変わらないため、「農地」や「植林」の面積割合が増える地域では、「その他の自然植生」や「牧草地」について面積割合の減少(赤色)が見られます。
複数の政策課題の統合的解決の検討に資する世界規模の新たな統合評価モデルの開発に関しては、気候政策が食料安全保障・飢餓リスク(持続可能開発目標SDGsのSDG2に関連)に及ぼす波及的効果(例:バイオエネルギー作物のシェア増加に伴う食料価格上昇・飢餓リスク増加)の評価手法を高度化し、気候目標と飢餓リスク軽減の同時達成に資する一連の追加政策(包括的緩和政策)の定量評価を可能にしました。そのうえで、2℃目標ならびに1.5℃目標と飢餓リスク増加回避を同時達成する包括的緩和政策の提案を行いました(本号の「気候変動抑制の鍵は賢明な政策にあり!?」を参照)。
さらにSDG15「緑の環境」に関連しては、AIM/PLUMによるSSP別土地利用シナリオと最新の全球気候予測であるCMIP5気候シナリオを同時考慮した、全球規模の動植物生息適域評価の取組に、森林研究・整備機構とともに取り組んでいます(森林研究・整備機構が適域評価モデル開発を担当、国立環境研究所が土地利用シナリオの作成を担当)。予備的検討の結果からは、2℃目標に整合的な気候政策は土地利用変化を通じて生息適域に影響を及ぼすものの、評価対象とした動植物の生息適域は気候政策に伴う土地利用変化よりも気候政策を取らなかった場合の気候変化からより強く影響を受けることが示されました。すなわち、2℃目標に整合的な気候政策を実施した方が生息適域の変化を抑制できる、との見通しを得ました。
政策推進の観点からは、トレードオフ関係だけでなく、コベネフィット関係についても、定量的な評価を拡げていく必要があります。PJ1では、例えば、中国におけるエアロゾル・オゾンによる健康被害評価に関して、中国省別の応用一般均衡モデル(複数の財の市場での価格および需給量を扱う経済モデル)、汚染物質の大気輸送化学モデル、健康影響モデルを統合して、健康被害のマクロ経済への影響と大気汚染対策を通じたその軽減について定量化を行いました。
以上のように、気候変動対策の他問題への波及影響の把握・分析とその解決策の検討について、一つずつ評価可能な項目を増やしてきました。それでも、まだ取り組めていない課題間の相互作用は多くあります。問題と問題を「繋ぐ」研究課題の成功は、各問題に関する所内外の専門家との人と人の「繋がり」なくしては、十全にその研究目標を達成できないことは明らかです。手探りでの取り組みが続きますが、長い目での協力・支援をよろしくお願いします。
執筆者プロフィール
研究発表や講演を少しでも気の利いたものにできないかと、最近、市立図書館でCDを借り、落語を時々聴くようになりました。聴き流す分には大変楽しいのですが、仕事にはあまり役にたたなそうです。しっかり時間をかけて発表準備しないとダメですね。
目次
- 統合研究の意義
- 気候変動抑制の鍵は賢明な政策にあり!?(2018年度 37巻1号)
- 持続可能な開発目標への道筋
- 国際応用システム分析研究所での海外研修を通して
- AIM (Asia-Pacific Integrated Model) の開発を通じた人材育成
- 第3回NIES国際フォーラム開催報告:持続可能なアジアの未来に向けて
- 「第37回地方環境研究所と国立環境研究所との協力に関する検討会」報告
- 平成29年度の地方公共団体環境研究機関等と国立環境研究所との共同研究課題について
- 「第33回全国環境研究所交流シンポジウム」報告
- 国立研究開発法人国立環境研究所 公開シンポジウム2018『水から考える環境のこれから』開催のお知らせ
- 新刊紹介
- 表彰
- 木漏れ日便り
- 人事異動
- 編集後記