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2013年12月28日

ダム貯水池は「湖」か? -食物網解析による検証-

特集 メコン流域ダム貯水池の生態系機能評価
【シリーズ先導研究プログラムの紹介:「流域圏生態系研究プログラム」から】

福島 路生

はじめに

 インドシナ半島の6か国を流れるメコン川は、その流域面積が日本の国土の2倍もある大河川です。この川には、アマゾン川に次いで2番目に多い900種近い淡水魚が生息し、同時にひとつの河川流域としては世界最大の漁獲量(260万トン/年)が流域にすむ数千万人の食と生計を支えています。

 多種多様な魚類がメコン流域を広く自由に回遊し、成長、産卵してまた子孫を残すサイクルが綿々と繰り返されてきたことで、この豊かな“自然の恵み(生態系サービス)”を、当たり前のものとして人々が安定して享受することができるのです。ところが今、この地域では経済発展にともない電力需要が急増し、ダム建設による水力発電が人々の暮らしを豊かにするという考えが台頭してきています。しかし、ダムで回遊魚の回遊経路は分断され、また生息環境が改変されることで漁獲量は確実に低下するでしょうし、種によっては地域的に絶滅するものが出てくることも、これまで世界のダム開発で得られた教訓のはずです。水力発電も広い意味で生態系サービスかもしれませんが、食べるものを犠牲にして国が豊かになるとは到底考えられません。

 一方で、ダム建設は、メコン流域のように平坦な地形では特にそうですが、巨大で水深の浅い、適度に富栄養なダム湖(貯水池)を生みます。一見、自然湖沼とも見間違えるメコン流域のダム貯水池では、古くからティラピアなどの外来魚を、最近ではその地域の在来魚を大量に放流した養殖が盛んに行われています。その養殖魚の漁獲量がダムで失われた野生魚の漁獲量を埋め合わせる、という主張をよく耳にするようになりました。ダム開発で得られる生態系サービスは、失われるサービスをはたして上回るのでしょうか。

 この疑問に答えるためには、ダム貯水池の生物生産がどの程度見込まれるか、また生産された有機物が食物連鎖を通じてどのように高次捕食者である魚類に伝わるかを解明する必要があります。この2点について明らかにするため、メコン流域の複数のダム貯水池と比較対象地としてカンボジアのトンレサップ湖で定期的に現地調査を行い、データの収集とその解析を行っています。前者については研究ノートをご覧いただくとして、ここでは後者の食物網構造について先に紹介します。

 因みに、このような観点でダム開発の環境影響評価を行った例は過去になく、計画中のダム建設の位置や規模を決定する段階から、戦略的に事業の環境影響や費用便益を評価する手法を開発するのが、今取り組んでいるプロジェクト「戦略的環境アセスメント技術の開発と自然再生の評価」の目的です。

炭素・窒素安定同位体比による食物網解析

 筋肉などに含まれる窒素の安定同位体比(δ15N)は、捕食者によって捕食され、分解吸収される生化学的プロセスの中で同位体分別という現象が生じて濃縮されます。その濃縮の割合、つまり「食うもの」と「食われるもの」の窒素安定同位体比の差は、常にほぼ一定の値(3.4‰)をとることが知られています。そのため生物種ごとのδ15N値から、その生物の栄養段階を知ることができます。一方、炭素安定同位体比(δ13C)は捕食によって濃縮されることはほとんどなく(< 1‰)、餌の起源となる一次生産者のδ13C値が食物連鎖を通じて高次の捕食者に引き継がれます。河川や湖沼では、一次生産者となる植物プランクトン、付着藻類、水草、あるいは水域に取り込まれる陸上植物(落ち葉など)はそれぞれに異なるδ13Cを持つため、高次捕食者のδ13C値から、その生物の餌の起源を推測することができるのです。これら2つの元素の同位体比の特徴を理解すると、ある生物群集の食う-食われるという食物連鎖、さらにその連鎖が複雑に絡み合った食物網の構造をひもとくことができ、目に見えない水の中でのエネルギーの流れが見えてきます。

ダム貯水池と自然湖沼の食物網

 淡水魚類をはじめ、生物の採集を行ったダム貯水池は、北から南にラオスのナムグム(NN)、タイのフェイロン(HU)、ウボンラット(UB)、ランパオ(LA)、またシリントーン(SI)という全部で5つの貯水池で、いずれも60-70年代に発電または灌漑を目的とした建設されました(図1)。その表面積は、HUを除いていずれも日本の霞ヶ浦(約220km2)を上回ります。比較対象地のトンレサップ湖はさらに大きな水界であるため、上流と下流の2地点(TS1、TS2)で生物の採集を行いました。

図1
図1 調査対象としたダム貯水池と湖沼
NN = ナムグム貯水池、HU = フェイロン貯水池、UB = ウボンラット貯水
池、LA = ランパオ貯水池、SI = シリントーン貯水池、TS = トンレサップ湖。
カッコ内は湖面面積を示す。

 2012-2013年に上記6つの水界(7地点)から採集した淡水魚はのべ53種(444尾)を数えました。これらの魚種を、文献から調べた食性に基づいて3つのタイプ(藻類食魚、雑食魚、肉食魚)に分類し、水界ごとに炭素・窒素安定同位体比をプロットしてみました(図2)。ここで、3つの食性タイプから多くの水界に共通してみられた淡水魚を1-3種選び、マップ上のどの位置にプロットされるかを水界間で比較するため、種ごとに色を違えて表示しました。

図2
図2 メコン川流域の5つのダム貯水池と湖沼(トレンサップ湖の2地点)の淡水魚の炭素・窒素安定同位体比マップ
肉食魚(×)、雑食魚(△)、藻類食魚(○)からそれぞれ代表種を選び、固有色でハイライトした。水界の記号は図1を参照。エラーバーは種ごとに複数個体の同位体比の標準偏差(±1SD)を示す。

 これら同位体比マップ上に出現した食物網からまず言えることは、食性から予想した栄養段階(藻類食、雑食、肉食)が、窒素安定同位体比の大小とよく一致し、肉食性の強い高次捕食者ほどδ15N値が高い位置にプロットされていることです。これは高次捕食者に至るまでに「食う-食われる」が繰り返されたことで重たい窒素がより多く体に残された、つまり同位体分別の度合いが増したことを反映します。また高次捕食者ほど、栄養段階の低い餌の炭素安定同位体比を順繰りに平均化していくため、種内(個体間)でのδ13Cのバラつき(SD)は次第に小さくなり、全体としてピラミッドの形をした食物網構造を示します。ここで肉食魚の代表として取り上げた2種はギギ科とナギナタナマズ科に属し、他の肉食魚も多くはナマズの仲間です。雑食魚と藻類食魚は、図2の代表的な種も含めてほとんどがコイ科の魚です(図3)。

図3
図3 貯水池で採取された代表的な肉食魚2種(1、2)、雑食魚(3)、藻類食魚(4、5、6)

 貯水池の中ではHUのδ13Cのバラつき(種間・種内とも)が他の水界と比べてはるかに小さいことが注目されます。採集した種数が少ないせいもありますが、もっとも小さい水界でエネルギー流路が単純になるのは納得できます。水界サイズが巨大なNN、UB、LAはピラミッド型の食物網を呈し、いくつかタイプの異なる生産者を起源とする複数のエネルギー流路の存在が示唆されます

 さてトンレサップ湖(TS)の食物網はどうでしょうか。貯水池と比べてみると、δ13Cの変動幅が大きいことが分かります。よく見るとTS1では種内の個体間の変動が大きく、下流にあるTS2では種間の違いが大きいようです。また、貯水池ではδ15N値に応じて食性タイプが比較的きれいに分かれたのに対し、TSでは3つの食性タイプは縦軸方向に入りまじり、δ15Nがきわめて低い(< 10‰)肉食魚が存在し、雑食魚の変動幅もとても大きいです(>5‰)。しかしTS2では、肉食魚のH. spilopterusと藻類食魚のB. gonionotusのδ15Nの開き(5.2‰)が、UBの3.2‰またSIの2.6‰と比べはるかに大きいことから、トンレサップ湖では貯水池より長い食物連鎖が存在するようにも見て取れます。

おわりに

 以上のように、低次の捕食者から高次のそれへと移行するにつれエネルギー流路が収束していくという教科書にありそうな食物網構造は、自然湖沼ではなくむしろ人為的に作り出された貯水池の生態系に見ることができます。

 食物連鎖の出発点である藻類やそれを直接捕食する貝類のサンプルの分析がまだ終わっていないので確実なことは分かりませんが、トンレサップ湖の食物網構造がきわめて複雑であることは間違いありません。同位体比の異なる複数の生産者を起源とする幾筋かの食物連鎖がこの水界にはあるようです。この湖は、雨季にメコン川本流から水が逆流して数メートル以上も水位が上昇し、表面積も5倍に膨れ上がります。そのため餌となる有機物が湖の中で生産されるもの以外に、周囲の氾濫原やひょっとするとメコン川本流からも供給されているのかもしれません。そもそも多くの魚たちが自ら本流と湖との間を季節的に大移動することが知られています。湖に生息する魚種の数も200近くに上り、多くても数十種の魚類しかいない貯水池を大幅に上回ります。食物網が複雑になるのは当然かもしれません。

 複雑な食物網を持つ生物群集は一般に安定していると考えられます。何かの原因で、その中のひとつの食物連鎖が仮に途切れたとしても、高次捕食者は代わりの連鎖に餌を切り替えることができるかもしれないからです。逆に、貯水池に見られたピラミッド型食物網は不安定と言えるかもしれません。まだできて半世紀ほどの生態系ですから、今後安定して生態系サービスを供給し続けられるかどうかは何とも言えません。しかし、貯水池と湖沼は似て非なるもの、特に水の中で繰り広げられる、食う-食われるという関係はかなり異質なものであることは確かなようです。

(ふくしま みちお、生物・生態系環境研究センター生態系機能評価研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール

福島 路生

熱帯であるメコンの魚と、北海道の、しかも稚内近くをフィールドにイトウという日本最大の淡水魚を同時に研究しています。親父は「魚の研究者」としか子供らからは認識されていません(ひょっとして職場でも?)。それが環境研究につながるということを、いずれは分かってもらえるのでしょうか。サッカーを観戦&プレーすることが趣味です。

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