国立環境研究所における高病原性鳥インフルエンザウイルスの全国調査
【シリーズ重点研究プログラムの紹介: 「生物多様性研究プログラム」から】
大沼 学
高病原性鳥インフルエンザウイルス等の感染症が生物多様性へ与える影響
2010年に発表されたプリマックと小堀の著書で、生物多様性の減少を招く原因は、人間活動による、a.生息地の破壊、b.生息地の分断化、c.汚染を含む生息地の悪化、d.地球規模の気候変動、e.生物の乱獲、f.外来種の導入、そして、g.病気の蔓延、であるとしています。病気の中でも感染症の蔓延は野生動物の個体数を大きく減少させることがあります。人間活動は、感染症を媒介する動物を増やす場合があります。また、人間活動により、野生動物、家畜、そしてヒトが接触する機会が増え、感染症の原因であるウイルス、細菌といった病原体が三者を相互に移動しやすくなっているのです。これまで発生が無かった感染症、例えば高病原性鳥インフルエンザウイルスが、野生動物に感染すると、その病原体に対して抵抗性が無いため重症化し死亡することがあります。重症化する個体が野生動物の集団に多いときには、大量死が発生する場合があります。大量死が絶滅危惧種で発生すると、ただでさえ少ない個体数がさらに減少し、その種が絶滅する可能性が高くなります。このように人間活動による病気の蔓延、特に感染症の蔓延は、生物多様性の減少を招く重要な原因です。
高病原性鳥インフルエンザウイルスとは
インフルエンザウイルスにはA型、B型およびC型があります。この中でA型のインフルエンザウイルスが鳥類に感染します。また、インフルエンザA型ウイルスは表面にあるタンパク質の種類で、幾つかの「亜型」と呼ばれるタイプに分類することができます。鳥インフルエンザウイルスとは鳥類に感染するインフルエンザA型ウイルスのことを指します。鳥インフルエンザウイルスは、野生カモ類の腸で増えるという特徴があります。腸管の中でウイルスが増えたとしても、腸管に大きな障害を起こすことはなく、野生カモ類は渡りをすることができます。増えたウイルスは糞の中に排出されます。排出されたウイルスが他の野生のカモに感染を繰り返し、鳥インフルエンザウイルスは自然界に存在し続けることができます。つまり、通常の鳥インフルエンザウイルスは野生カモ類と共存できるようなタイプのウイルスなのです。渡りの途中で糞の中に排出された鳥インフルエンザウイルスがアヒルやニワトリに感染する場合があります。アヒルやニワトリが野外で飼育されている状況を現在の日本で見ることはほとんどありません。しかし、東南アジア等では日常的に目にすることができます。その後、特にニワトリ集団の中で感染が繰り返し起こるようになると、ニワトリの腸管ばかりではなく、全身で増えるような状態にウイルスが変化することがあります。このようにウイルスが全身で増え、ニワトリが大量に死亡するような鳥インフルエンザウイルスを「高病原性鳥インフルエンザウイルス」といいます(図1)。国際獣疫事務局が病原性の高低に関する診断基準を幾つか定義しています。例えば、最低8羽の4~8週齢のニワトリにそのウイルスを感染させて、10日以内に6~8羽のニワトリが死亡するウイルスを「高病原性鳥インフルエンザウイルス」としています。
つまり「高病原性」とはあくまでもニワトリに対して「高病原性」ということを示しているのです。しかしながら、高病原性鳥インフルエンザウイルスは、野鳥に対しても鳥類種によっては「高病原性」を示す場合があります。例えばチェンら(2006)の報告によると、2005年5月から6月にかけて中国の青海湖で死亡した野鳥6,184羽から高病原性鳥インフルエンザウイルスが見つかっています。ニワトリの病気として注目されることが多いのですが、高病原性鳥インフルエンザウイルスは野鳥にも感染し、死亡させてしまう場合があるのです。
国内における野鳥の高病原性鳥インフルエンザウイルス感染
中国の青海湖で発生したような野鳥が数千羽死亡するような大量死は起こっていないものの、国内でも2004年、2007年、2008年、2010年、2011年、2014年および2015年に死亡した野鳥から高病原性鳥インフルエンザウイルスが見つかっています。見つかったウイルスのタイプは、2004年から2011年がH5N1亜型、2014年から2015年がH5N8亜型です。2004年から2015年までを合せると野鳥83羽(19種、種不明1)から高病原性鳥インフルエンザウイルスが見つかっています。この中にはクマタカ、ハヤブサ、ナベヅル、マナヅルといった環境省第4次レッドリストに掲載されている絶滅危惧種も含まれています。
国内で野鳥からの高病原性鳥インフルエンザウイルスが見つかっている状況には幾つかの特徴があります。まず、海外で高病原性鳥インフルエンザウイルスの感染が野鳥やニワトリで発生すると同時にあるいはその後に日本国内でウイルスが見つかるようになります。また、見つかる時期が冬季から翌年の春先にかけてです。そのため、冬季に飛来する渡り鳥が、大陸側から高病原性となったウイルスを国内に持ち込んでいる可能性が高いと考えられています。
国立環境研究所の取り組み
先ほど述べたように、国内では高病原性鳥インフルエンザウイルスが絶滅危惧種からも見つかっているため、ウイルス感染による個体数減少が発生するかもしれません。そこで、国立環境研究所では環境省の依頼で2008年より野鳥を対象として鳥インフルエンザウイルスの保有状況について、各地方自治体、動物検疫所(農林水産省)、動物衛生研究所(農研機構)、北海道大学、鳥取大学、鹿児島大学にご協力いただきながら、全国調査を実施しています。この全国調査では高病原性も含めた鳥インフルエンザウイルスの全ての「亜型」を検査対象にしています。
国立環境研究所では、全国調査のために全国から2種類の検査用サンプルを集めています。まず、環境省が設定した全国52地点で採取したカモ類の糞サンプルです。また、死亡した野鳥が発見された場合は、口の中などを綿棒で拭き取り、その綿棒を研究所に送ってもらっています。これらのサンプルにウイルスの核酸が含まれているのか調べています。(図2)
このように全国規模でサンプルを集めることによって、どのような環境条件であれば国内の野鳥から鳥インフルエンザウイルスが検出されるのか傾向をつかむことができます。そこで、野鳥やニワトリから高病原性鳥インフルエンザウイルスが多く検出された2010年と2011年の全国調査データを利用して、高病原性のものを含む鳥インフルエンザウイルスが海外から侵入するリスクの高い国内地域を予測するマップを作成しました(図3)。本マップでは、マガモなど植物食のカモ類の個体数が多い地域ほど、侵入リスクが高くなるという結果が得られました。国内での発生状況から、大陸からウイルスが渡り鳥によって持ち込まれている可能性が高いと考えられていました。マガモなどの植物食のカモ類の大部分は冬季に大陸から飛来する渡り鳥です。したがって、今回のマップから得られた結果は、渡り鳥が国内へウイルスを持ち込んでいるという考えと一致するものとなっています。現在、侵入リスクの高い地域にどのような絶滅危惧種が分布しているのか調査し、高病原性鳥インフルエンザウイルスに感染するリスクが高い絶滅危惧種を選定しています。このデータを活用することで、絶滅危惧種の中で高病原性鳥インフエンザウイルスによって絶滅する確率が高くなる種が実際にいるのか評価できると考えています。
執筆者プロフィール
学生時代(かれこれ30年近く前になりますが)に受けた感染症の授業では、高病原性鳥インフルエンザがそれほど重要視されていなかったと思います。もちろん、当時は国内で発生していなかったためで、現在のような状況になるとは全く予想できませんでした。