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2014年2月28日

東シナ海における環境問題を「ミクロな」乱流の視点から考える

【シリーズ重点研究プログラムの紹介:「東アジア広域環境研究プログラム」から】

古市 尚基

 当研究所では環境に係る様々な研究が進められていますが、筆者はその中で、海を対象とした研究に取り組んでいます。海は水惑星と呼ばれる地球を最も特徴づけている存在だと言っても過言ではなく、人類は太古から海の恩恵を受けてきました。海においても、温暖化や酸性化などの全球的なスケールの問題に関するものから、各々の沿岸や港湾域における環境問題を対象とするものまで、関連する技術や経済活動なども考えれば、多様な視点からの研究が必要とされています。

 筆者は、当研究所におけるプロジェクト「広域人為インパクトによる東シナ海・日本近海の生態系変調の解明」に携わっています。東シナ海は広大な陸棚域を持ち、生物の多様性が非常に高い海域です。近年、中国の経済発展に伴う長江流域圏における水質の悪化や、それが東シナ海あるいは隣接する日本近海における生態系に及ぼす広域的な影響が懸念されており、このプロジェクトでは、中国大陸から東シナ海への水質汚濁物質の排出状況の把握、汚濁物質の排出が海洋環境へ与える影響の解明、さらには将来にわたって環境を保全していくための対策を提示することを目的として様々な研究を進めています。このような広域的な環境影響の問題に取り組むためには、現場調査に加えて、広域の数値シミュレーション(=数値模擬実験)を用いたアプローチも必要不可欠です。海の数値シミュレーションでは、現場調査では把握が困難な、海の流れや水温、塩分、密度などの分布が時々刻々どのように変化して、その結果、各々の問題で鍵となる物質がどのように輸送、拡散されて生態系に影響が及ぶのかという問題を詳しく調べていくことが可能です。本稿では、この海の数値シミュレーションと関連して、海の内部における「ミクロな」スケールにおける流れの乱れ、すなわち、乱流の視点から東シナ海における環境問題の解決に貢献していくための研究を紹介できればと思います。

概念図(クリックで拡大表示)
図1 海洋における様々な物理過程の概念図

 図1に示すように、海の中では海上を吹く風や太陽や月の引力に伴う潮汐流の変化などによって様々な物理過程が発生しており、特に海面や海底の近くでは乱流運動が活発になります。例えば、コーヒーにミルクを入れてかき回すことで、それらが混ざっていく様子を想像してみてください。海の中でもそれと同様に、例えば上層の暖かい水と下層の冷たい水が乱流運動を通じて活発に混ざり、水温の深さ方向の分布形成に寄与しています。また、乱流による混合過程は海の流れの場の形成や、微生物が必要とする栄養物質などの鉛直輸送における役割も担っており、さらには、結果として海の表層における水温や様々な物質の分布にも影響を及ぼすため、大気と海の間での熱や二酸化炭素、酸素などの交換とも密接に関連していると考えられています。東シナ海は潮汐流が強く大気海洋間の相互作用も活発な海域であると言われており、この海域における環境・生態系の評価や予測の問題に取り組む上で、乱流の効果を適切に評価することは重要な課題です。

 しかしながら、この乱流過程は大抵の場合、数10cmからせいぜい数10mのスケールの現象にすぎず、このことが海の流れの問題を時として大変難しいものにしています。近年の計算機能力の著しい向上などにより、外洋と沿岸双方のふるまいを同時に詳細に取り扱うような広域の数値シミュレーションが可能になりつつありますが、それらはもちろん地球全体から見れば大変細かいものである一方(解像度が数kmから10数km程度)、せいぜい数10mにすぎない乱流のふるまいを直接扱うには依然として粗すぎるということも事実です。そのため、この数10年来、世界中の研究者によって海の広域数値シミュレーションの中で乱流の効果を適切に表現するための「乱流パラメタリゼーション」手法の研究が行われてきました。しかしながら、従来の手法では乱流諸量を表現する定数の多くが室内実験に基づいて決定されており、また、その乱流手法の検証のための海洋観測データの多くが疎らな間隔(時間方向:数10分から数日毎、鉛直方向:数mから数100m毎)で取得された「マクロな」観点のものでした。乱流パラメタリゼーションの問題は現在においても完全には解決されておらず、従来の乱流手法を用いた広域数値シミュレーションで再現された水温や密度などの分布が観測結果と著しく異なってしまうこともしばしば報告されるなど、海洋環境の評価や予測の上で大きな不確実性をもたらしていると考えられています。

 海の広域数値シミュレーションのさらなる高精度化へ向けて、筆者らは2種類のアプローチによって、広域数値シミュレーションでは到底解像できない、海の中の「ミクロな」乱流に関するパラメタリゼーション手法の研究に取り組んでいます。ひとつは海の流れや水温場を深さ方向に数mm毎に計測可能な微細構造観測機器を用いた現場観測(図2、図3)、もうひとつは乱流の発達過程を直接に扱うことのできるLarge Eddy Simulation(LES)と呼ばれる数値シミュレーションです(図4)。

 本研究で使用している微細構造観測機器(図2)の先端には、海の中の微細な構造を測るためのセンサーが取り付けられており、船上から投下され海中を降下する中で、そのセンサーで数mm毎の流速や水温の変化を計測します。得られたデータを乱流の理論を使用しながら詳しく解析することで、海の中の乱流強度の情報を得ることができます。当研究所では東シナ海における現場調査を継続的に実施していますが、2008年以来、その一環として乱流強度の現場調査も開始され、国際的に見ても大変貴重なデータが蓄積されつつあると考えています(図3)。この乱流情報と、多くの調査船に装備されている水温・塩分・深度計測装置や音響流速計測装置からのデータとを比較してそれらの関連性を明らかにすることで、乱流強度の時空間分布像や、ひいては、その乱流に伴う海洋内の微生物への栄養の供給過程を明らかにしていきたいと考えています。

機器の写真(クリックで拡大表示)
図2 微細構造観測機器
(a)全体写真、(b)先端部分、(c)同機器を用いた東シナ海での調査航海中の観測風景
乱流郷土の空間分布図(クリックで拡大表示)
図3 2012年夏季における東シナ海の調査航海(水産総合研究センター 陽光丸)から得られた乱流強度の空間分布
灰色の陰影は海底地形を示しており、水深100m以浅の陸棚域上の観測地点では海底付近で乱流が特に強く、水深がそれより深い観測地点では表層付近を除いて乱流が概ね弱い様子がわかります。
シミュレーション結果の図(クリックで拡大表示)
図4 潮汐流に伴う海底混合層の発達過程に関する数値シミュレーションの一例
陰影及び等値線は海水温分布を(等値線の間隔は0.25℃)、図中の白矢印は流れの乱流成分のおおまかな方向を表しています。海底付近で発生した乱流に伴い、上層の暖かい水と下層の冷たい水が活発に混ざっていく様子が示されています。

 一方で、現場調査のみで時々刻々変化する乱流の様子を完全に把握することは大変困難であるため、筆者らは、このようにして観測された乱流のふるまいをLESの手法を用いて数値的に再現するための研究も進めています(図4)。LESとは乱流の数値シミュレーションのための手法の一つで、1960年代以来、気象学などの分野で利用されてきましたが、海に対する利用は世界的に見ても1990年代以降であり、我が国での利用も大変限られてきました。このLES手法が対象とする計算領域は水平・鉛直ともにせいぜい数100mであり、流れを計算するための空間間隔も数10cm程度です。広域数値シミュレーションにおける流れの計算の間隔が細かい場合でも数km程度であることと比べれば、非常に細かいスケールで計算を行っていることがわかります。また、先に紹介した乱流の観測情報と比較することでこの数値シミュレーション手法の信頼性を高めることが可能であることが本研究の強みです。このようにしてLESから得られたきわめてユニークな高解像度の海洋乱流データベースを用いることで、乱流諸量のふるまいを直接検証するという、従来のデータでは困難だった「ミクロな」観点まで踏み込んだ乱流パラメタリゼーション手法の高精度化の研究を進めています。

 乱流は海の中のあらゆる箇所で発生しており、本研究で得られた成果は、東シナ海における環境問題解決への貢献のみならず、例えば外洋域における台風に対する海洋応答や広域の海洋循環変動から、沿岸や港湾域における水質・生態系過程に至るまで、様々な問題へ応用が可能であるだろうと考えています。このようにして、多様な海域、多様な研究分野への貢献も視野に入れつつ、東シナ海における「ミクロな」乱流の研究に日々取り組んでいます。

(ふるいち なおき、地域環境研究センター海洋環境研究室)

執筆者プロフィール

古市尚基の写真

本稿の執筆の時点で、筆者が当研究所に来て1年と9ヶ月程度が経とうとしています。筆者の専門は海洋物理学ですが、乱流の問題は海洋環境における化学、生物学、土木工学などの問題とも関連するため、専門的背景の異なる様々なメンバーとの共同作業に刺激を感じつつ、研究を進めています。

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