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ダイオキシンによる生体影響−個体レベルから分子レベルまで−

研究ノート

伊藤 智彦

 ヒトに対するダイオキシン類の生体影響では,現在,微量ではあるが日常的で持続的な曝露,例えば毎日摂取する食事からの曝露による影響が議論の対象となっています。ダイオキシン類は蓄積性が高く,しかも生体内では分解されないため,たとえ微量であっても持続的に曝露され続ければ影響が現れる可能性があります。そのため,ダイオキシン類の基準値としては,一生涯摂取し続けても健康に影響が出ない一日耐容摂取量(TDI)という値により規定されています。日本においてはTDIは4 pg TEQ/kg/day(pg:ピコグラムは10-12g)と定められています。ダイオキシン類は様々な異性体の総称ですが,各異性体で毒性の強さが異なること,実際の生活では様々な異性体に複合的に曝露されることから,各異性体の量とその毒性の強さを乗じたものの総和であるTEQ(毒性等量)という単位で示されます。最近の調査では,我々の曝露量はTDIを下回っていますが,ダイオキシン類による毒性のメカニズムにいまだ不明な点も多く,現状のTDIの設定には推定の要因が含まれています。つまり,現在定められているTDIに信頼しきってしまうことは危険であると考えられます。そのため,今後の研究ではより的確なTDIを定めるための科学的根拠のデータを蓄積していくことが必要とされています。本稿では,私がこれまでに国立環境研究所にて行ってきたダイオキシン類による免疫毒性のメカニズム解明を目指した研究について,マウスを使った個体レベルでの影響から分子レベルまでの影響について,それぞれの実験の特徴や技術も交えてご紹介します。

個体レベルでのダイオキシンの影響

 免疫反応は生体に侵入した異物を排除する生体防御機構で,よく知られるものとしては生体内に異物が侵入した際に,抗体が作り出され無毒化される反応です(図1)。ダイオキシンはこうした免疫反応を抑制することが知られていますが,その詳細なメカニズムについてはいまだ明らかとなっていません。

図1.抗原に対する抗体ができるまでの流れ

 抗体を作り出すのはB細胞ですが,それにはT細胞の助けが必要です。まだ抗原と出会ったことがないT細胞は休止期の状態にあり,ナイーブT細胞と呼ばれます。もし抗原に特異的に反応する受容体をもったT細胞が抗原を認識すると,活動を始め増殖を行います。このT細胞は増殖するだけでなく,エフェクターT細胞に姿を変化することができます。エフェクターT細胞はナイーブT細胞とは異なり,免疫反応を積極的に誘導するための機能が備わっています。例えば,サイトカインと呼ばれる因子を作り出して,B細胞を刺激することにより,B細胞が抗体を作り出す働きを補助できます。

 この様な免疫反応は主にリンパ節と呼ばれる組織内で起きる現象です。この組織内では複数の細胞が構築するネットワークが決められた各区域内で行われることにより,免疫反応が進行します。そのため,動物を使った実験ではこの様な実際的な生体内で営まれる免疫反応に対する影響を調べることができます。図1に免疫反応の一連の流れを示しましたが,私は何処の段階でどの様にダイオキシンは影響するのかを明らかにするため,ダイオキシンを曝露したマウスの免疫反応を調べて検討しました。その結果,ダイオキシンは免疫反応の初期段階におけるナイーブT細胞の活性化,それに続く増殖の段階を抑制し,その結果としてエフェクターT細胞の数が十分に増えず,B細胞への刺激が不足したために抗体の量が低下したと考えられる結果を得ました。

細胞レベルでのダイオキシンの影響

 マウスを使った実験からダイオキシンはT細胞に影響を与えて免疫反応を抑制する結果が得られましたが,ではその詳細なメカニズムはどうなっているのでしょうか?まず,ダイオキシンによる毒性に深く関与するアリール炭化水素受容体(AhR)についてご説明します。

 AhRはゲノムDNA上に結合し,遺伝子のDNA配列をメッセンジャーRNAへ転写(遺伝子の発現とも言い換えられます)する機能を持つ転写因子と呼ばれるタンパクの一種です。AhRはダイオキシン類と結合することが知られており,以前はダイオキシン受容体と呼ばれたこともあります。AhRは普段,この機能が抑えられていますが,ダイオキシンと結合すると活性化されて転写因子としての機能が現れます。活性化されたAhRはゲノムDNA上のある決まった配列を認識します。この配列を生体異物応答領域(XRE)と呼んでおり,薬物代謝酵素を中心とした様々な遺伝子の発現に関与しています。つまりAhRは生体に侵入してきた異物を感知し,状況に応じて対処するための一種のセンサーのような働きをすると考えてもらえればわかりやすいかもしれません。このAhRはヒトを含めほとんどの哺乳類が持っていますが,AhRの遺伝子改変マウスが既に作成され,AhRを全く持たないマウスにダイオキシンを曝露しても免疫反応を含め多くのダイオキシンによる毒性が現れないことが証明されています。このため,上記のマウスを使った実験で見られたT細胞への影響もAhRを介していることが考えられます。そこで,AhRの活性化はT細胞において具体的にどの様な作用をもたらすのか培養細胞を使って調べてみました。

 培養細胞を用いた細胞レベルや後述する分子レベルでの解析では,個体レベルでは検討できないような単一の細胞集団への直接的な影響をより詳細に解析することができます。逆に,細胞同士の複雑なネットワークを再構成するには限度があります。私はダイオキシンがT細胞に直接与える影響について調べるため,株化T細胞を用いた細胞レベルでの検討を行いました。実験的には遺伝子工学的な手法によりAhRの配列を変えることで活性化された状態になる変異体を作成し,これを株化T細胞に発現させて擬似的なダイオキシン曝露モデルのT細胞を作成しました。この細胞を使って活性化AhRがT細胞に与える影響を調べてみたところ,活性化AhRはT細胞の増殖を完全に抑制し,その際,細胞死の一種であるアポトーシスの増加や細胞周期の停止が誘導されることがわかりました(写真参照)。

ダイオキシンによってT細胞でアポトーシスが誘導された写真。写真はT細胞の核を蛍光色素で染めたもの。ダイオキシン曝露モデルのT細胞において,アポトーシスの特徴である核の断片化(矢頭)が見られる。

分子レベルでのダイオキシンの影響

 細胞レベルの実験から,活性化されたAhRはT細胞の増殖を抑制することがわかりましたが,では実際にどうやって増殖を止めているのでしょうか?転写因子であるAhRの活性化は様々な遺伝子の発現を誘導することをお話しましたが,この中に細胞の機能を変化させた原因となる遺伝子が含まれていることが当然,予想されます。しかしながら,遺伝子の数は非常に多く(現在のところ,ヒトにおいて25,000個ほどであると推定されています),一つ一つ調べるわけにはいきません。そのため,多くの遺伝子の発現量を同時に測定することが可能な網羅的な解析法が開発されています。この代表格であるジーンチップ法は近年では再現性や感度の向上などにより,より信頼性の高い実験手法の一つとなっています。ジーンチップではわずか1.28 cm2の基板上に各遺伝子と特異的に結合できるプローブが50万個以上も高密度に並んでおり(Affymetrix社製),各プローブに結合した遺伝子の数を蛍光ラベルにより同時に定量することが可能です。活性化されたAhRによってT細胞でどの様な遺伝子の発現量が増加しているか,ジーンチップ法により検索してみたところ,非常に多くの遺伝子の発現が活性化AhRによって変動していました。この様々な遺伝子には,誘導されたものの毒性には直接関係ない遺伝子もかなり含まれているため,文献情報により遺伝子の役割を調べてアポトーシスや細胞周期の停止に関係あるか否かを調べ,毒性に関連があると思われる遺伝子を絞り込みました。また,ゲノムDNA配列上のXREの有無や各遺伝子間の関係を整理し,推定ではありますが,ダイオキシンがAhRを活性化し,T細胞の増殖を抑制するにいたるまでのパスウェイを作成しました(図2)。現在は,さらにこの推定メカニズムを証明するために,遺伝子発現の抑制法であるRNA干渉(RNAi)法を利用して遺伝子発現変動と増殖抑制の因果関係を検証しています。RNAi法は近年,主流となっている遺伝子の発現を抑制する手法であり,ジーンチップ法と共に今後の環境毒性学の分野において,重要な技術となってくると考えています。

図
図2.ダイオキシンによる増殖抑制のパスウェイ

さいごに

以上,個体レベルでのから細胞および分子レベルにいたるまでのダイオキシンの影響についてご紹介しましたが,それぞれのレベルでの実験には長所,短所があるため,この様な実験結果を総合して論じられるべきだと思います。今回,ご紹介したダイオキシンによる免疫抑制の研究紹介を通じて,それぞれの実験の特徴に興味を持っていただけたら幸いです。


(いとう ともひろ,環境健康研究領域)

執筆者プロフィール:

千葉県出身。静岡県立大学大学院で学位取得(博士(環境科学))。名字は普通だが,名前の読み方が特殊なので注意。生活は不健康そのものだが,どこも悪くないことが逆に不安。今年は色々と遠出をしたいと考え中。