東アジアにおける国際的な環境問題を科学し解決するために −東アジア広域環境研究プログラムが目指すもの−
【シリーズ重点研究プログラムの紹介 : 「東アジア広域環境研究プログラム」 から】
大原 利眞
アジアは、世界で最も急速に経済成長している地域であり、それに伴って様々な形で歪みが発生しています。環境問題もその一つです。日本でも、今から半世紀前の高度経済成長期に、大気汚染や水・土壌汚染などの公害が発生し、大きな社会問題になりました。中国、インドや東南アジアでは、その頃の日本と同じような問題が現在、起こっています。しかし、全く同じ問題が起こっているかというと、必ずしも、そうではありません。大きな違いの一つは、汚染の空間的スケールが拡大し、自国のみならず、国境を越えて他国にも影響を及ぼしていることです。例えば、大気汚染の問題を見てみましょう。地上近くのオゾンは、工場や自動車などから排出された大気汚染物質から光化学反応によって生成され、人の健康や植物に悪影響を及ぼす大気汚染物質ですが、わが国の地上近くのオゾン濃度は徐々に上昇しています。このオゾン濃度の上昇は、アジア大陸からの越境汚染の増加による影響が大きいと考えられています。同様の現象は東アジアの各地で観測されていますが、オゾンは各国の国内や周辺国で生成されるだけでなく、世界各地から運ばれてきていることが明らかになっています。また、水質汚濁の問題においても、東アジアの陸域起源の汚濁負荷が増大することによって、東シナ海における赤潮発生などの広域的な海洋環境の劣化が進み、因果関係の詳細は不明ながら、エチゼンクラゲに見られるように、日本近海にも影響を及ぼしている可能性があります。
国立環境研究所では前の中期計画(2006~2010年度)において、アジア自然共生研究プログラムを実施し、アジアにおける大気・水環境と生態系の実態を把握し政策を評価するための手法の開発、それを活用した地域環境の理解、国際共同研究や研究者ネットワークへの参加を進めました。この蓄積をもとに、東アジアの広域的で国際的な環境問題の発生メカニズムを科学的に明らかにして、問題を解決するための政策や国際的な枠組み作りに科学的な情報をインプットすることを目指して、現在の中期計画(2011~2015年度)において、「東アジア広域環境研究プログラム」(図1、図2)を開始しました。このプログラムの研究対象は、一つは東アジアの大気汚染問題(プロジェクト1)、今一つは東シナ海・日本近海における水質汚濁問題(プロジェクト2)です。
前者の東アジアの大気汚染問題については、研究プロジェクト「観測とモデルの統合によるマルチスケール大気汚染の解明と評価」(谷本浩志・プロジェクトリーダー)において研究を進めています。東アジアでは、オゾンやエアロゾル(大気中の微小な粒子)の原因となる大気汚染物質の排出量が急増しており、それに伴って、都市や東アジア規模の大気汚染が発生し、その影響は北半球全体の大気質に及んでいます。このような状況の中で、日本においても、健康影響等が懸念される微小粒子状物質PM2.5の環境基準が2009年に制定されるとともに、オゾンの環境基準見直しの機運が高まっています。しかしながら、オゾンやPM2.5に関する大気汚染には、国内における生成に加えて、国外からの越境汚染も影響するため定量的に理解するのが難しい状況です。そこで、このプロジェクトでは、地上・船舶・航空機による野外観測、宇宙からの衛星観測、全球や地域を対象とした大気環境シミュレーションモデルを駆使して、半球/東アジア/日本域/国内都市のそれぞれの空間スケールで発生し、それらが重なって影響を及ぼしている大気汚染(これを「マルチスケール大気汚染」と呼んでいます)の実態と発生原因、それによる影響を明らかにする研究に取組んでいます。更に、将来の大気質の状態を予測し、汚染を減らすための東アジア規模での対策オプションを提案することによって、東アジアにおける大気環境を保全するための国際的な取組みを科学的にサポートすることを目指しています。
一方、後者の東シナ海・日本近海における水質汚濁問題については、プロジェクト「広域人為インパクトによる東シナ海・日本近海の生態系変調の解明」(越川海・プロジェクトリーダー)において研究を進めています。東アジアの経済成長によって水質汚濁が進行し、それが東シナ海の陸棚域で赤潮等の広域的な海洋汚染を引き起こして海洋環境にダメージを与え、さらに、その影響が日本近海にも及んでいる可能性があります。そこで、このプロジェクトでは、東シナ海最大の汚濁負荷源である中国の長江流域圏の負荷量を推計し、長江河口から東シナ海に流れ出た汚濁物質がどのようにして陸棚域に運ばれ、海洋生態系にどのような影響を及ぼしているのか解明する研究に取り組んでいます。また、陸域の土地利用や環境政策による汚濁負荷の変化が、海洋環境に及ぼす影響を評価するためのシミュレーションモデルを開発しています。最終的に、これらの研究成果をもとに、将来の陸域負荷削減シナリオを提案することによって、陸域と海域の広域環境を一体的に保全するための取組みに科学的根拠を与えることを目指しています。
今から約40年前、日本では公害を解決するために環境庁が、そして、国立環境研究所の前身である国立公害研究所ができました。時代が変わって、日本における環境の質も大きく変化してきました。日本ではかつての激甚な公害の多くは、様々な人々の努力によって克服されてきました。しかし、今、地球温暖化のような地球環境問題のみならず、大気汚染や水質汚濁といった地域で発生する環境問題も、越境汚染問題として国際的な取組みが必要になっています。このため、当研究所の社会環境システム研究分野の研究者や他機関の社会科学系の研究者と連携して、東アジアの広域環境問題を解決するための政策・対策を提案していきたいと考えています。更に、東アジアの広域環境問題を、地球温暖化やエネルギー問題、資源・廃棄物問題などとセットで考えること、いわゆるコベネフィット(共便益;一つの活動がさまざまな利益につながっていくこと)の考え方が重要になっています。そこで、環境研究総合推進費・戦略研究課題S-7(「東アジアにおける広域大気汚染の解明と温暖化対策との共便益を考慮した大気環境管理の推進に関する総合的研究」)において、広域大気汚染の問題解決に向けたコベネフィット・アプローチの研究に取り組んでいるところです。
約4年後の本研究プログラム終了時までに、東アジアの広域環境問題解決に向けた方向性が国際的に醸成されることを期待しつつ、それに対して科学面から貢献できるように研究を進めていきたいと考えておりますので御期待下さい。
執筆者プロフィール:
昨年3月の東日本大震災で研究環境が大きなダメージをうけ、その後は放射能汚染研究に追われ、あっと言う間に1年が過ぎました。これからは、本プログラムと放射能汚染研究の両輪をバランス良く回していきたいと思います。