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なぜ意識調査をするか

経常研究の紹介

大井 紘

 連想法と銘うって,「住みよさ」,「住みやすさ」について思い浮かぶことを自由にことばで書いてもらうという意識調査をはじめてから,はや6年。アンケート調査としては風変わりでもあり,「言葉を計算機で処理します。」いうこちらの触れこみに,「ホンマかいな?」と思いつつお答えいただいているからか,回答者の方々からの調査票の回収率も高く,その計算機によるところの分析結果もよろしく(手前味噌その1),いまや連想にとどまらず,感想,意見,苦情などなど普通に文章でお書き願ってそれの分析もすすめているところです。この方法とそこから見つけだした環境意識については,多くの方々の注目と支持をいただいております(手前味噌その2)。

 しかし,回答者の方に書いていただいた調査への感想には,相当に手きびしいものがあります。「調査だけしてもしょうがない。」というのがその代表的なものです。なるほど,研究所は政策を立案・実行するところではありませんから,こういうことが分かった,こうしたらいいだろうということを発表するところで,さしあたりは終わってしまいます。

 もう一方の批判として,そもそも環境意識調査など無用で,行政機関は自分の思っているとおりの政策を打ち出して実行すればよいのだ,というものがあります。この批判をまるまる暴論と決めつけることもないと思います。行政機関は行政機関の責任と権限をもっているのだから,「ああして欲しい,こうして欲しい。」という,そのときそのときの声に引きずられることなく,確乎とした判断でやればよいのだともいえます。

 われわれは,始めから意識調査で望まれるとおりに政策を立てればよい,などとは思っていません。それを専門の仕事にしていろいろ調べた上でやっているのですから,行政機関にはそれなりの構想と志があるはずです。しかし,その構想や志がどうやって形づくられていくのかというと,人々がなにを望んでいるか,なにを感じているかを知らなければならないはずです。それに,専門家といえども見落としはありえますし,この変化の速い多様性の時代に,思い込みは禁物でしょう。広くみんなの意見をたずねてみる必要はあるわけです。
 
 「調査をしただけではしょうがない。」という意見も,右から左へすぐなにかが実行されなくても,少しお待ちいただきたいと思います。

 それに,環境をどうやってよくして行くかということは,しょせんは社会思潮にしたがうことになるわけです。健全な思潮を形成するためには,意識調査を行って,その分析結果を広く世に伝えるということも役に立つはずです。

 残念ながら,世の中には意識調査をしたという跡を残すことだけが目的としか思えないものもあります。なかには跡が残らなければ実施者の恥も残らないのにと,思うものさえあります。こういう調査は,回答者にとっても,まじめな意識調査屋にとっても,まさに公害です。

 連想調査法,自由記述調査法に対する不満ないしは不安として,それが数字で結果を示さない,ということがあるようです。しかし,何の構想も志もなしに,ただ「どうしよう」というので調査をするのでないかぎり,調査結果から十分にくみ取れるものがあるはずです(手前味噌その3)。それに,いまさら数値信仰におぼれている時代でもないでしょう。

 最後に,調査への感想からの一言。「現実を認識することが解決への一歩である。」

(おおい こう,環境情報部情報システム室長)