日本でも河川・湖沼の酸性化が起こるのか
酸性雨シリーズ(6)
河合 崇欣
環境庁の調査結果等によれば,酸性降下物の量や雨水のpHでは欧米とあまり違わないのに日本では酸性降下物による陸水域の酸性化は確認されていない。しかし,既に硫安の大量施肥によって畑地土壌が酸性化した経験を持っているし,実験室レベルでは擬似酸性雨によって土壌の中和能力が無くなっていくことも確認されている。また,もしも河川や湖沼が酸性化すれば水界生態系に甚大な被害が出ることは北欧,北米を中心とした今までの調査や研究結果などから容易に予想される。最近アメリカで,酸の負荷量は減っているにもかかわらずアルカリ度が減り続け,調査開始当初20μeq/L程あったものが半分以下となり,このままいけば数年以内に酸性化すると予測される湖の例が報告された。この調査例の湖の酸性化に対する抵抗力は既に酸性化した湖よりは強く,陸水域の酸性化は今も広がっていることが示唆された。そこで,「本当に日本では酸性化しないのか,もし,酸性化するとすれば何処でいつ頃から始まり,どの程度のものになるのか」と言う問題への関心が高まりつつある。
さて,「酸性化とはpH<5.6」について一言。これが雨水の基準であることは言うまでもない。陸水や海水には一般にアルカリ度があり,それは主に炭酸水素イオン濃度で決まっているので溶けている炭酸の解離が抑えられ,大気中炭酸ガスと平衡の時のpHは5.6よりかなり高いのである(20℃の例:pH/alkl(meq/l)=5.7/0.0,6.4/0.01,7.4/0.1,8.3/1.0)。他方,生物の呼吸や分解によって水中の炭酸ガス分圧は大気との平衡時よりもはるかに高くなることがしばしばあるので,pHが下がっても酸性降下物の負荷を意味するとは限らない。すなわち,陸水域ではpH測定だけでは極端な場合を除いて酸性化しているのかどうかは分からない。より直接的に水の酸中和容量を表す指標はアルカリ度である。
奥日光の湯の湖から北の方に山道を1時間ほど歩くと切込湖刈込湖という双子の小さな堰止湖がある。唯一の流入河川ドビン沢のアルカリ度は100μeq/l位,湖水のアルカリ度は表層で150μeq/l位で酸性化に対する抵抗力が弱そうである。ここでなら河川・湖沼の酸性化の兆しが捉えられるかもしれない。奥日光には中禅寺湖の奥に1987年完成した環境観測の施設もあり気象や降雨量のデータが得られるだけでなく,酸性降下物,雨水,河川水(外山沢)の自動採取装置も準備されたので比較調査も可能である。
さて,フィールドの調査で避けて通れないのは,この現象を理解または評価するために測定する指標項目が酸性降下物以外の原因でも変化するので,それを見つけ出して処理しなければならないということである。特に,今回のように通常の調査では兆しすら見えないような小さな変化をトレンドとして評価しようというような場合には,調査の成否はすべてここにかかっていると言ってもよい。それには(1)酸性降下物の影響を受けやすく他の影響の少ないフィールドと指標項目を選ぶ,(2)自然の変動を追いかけられるくらい高い頻度の測定をする,(3)小さな変化傾向を短期間でつかむために高い精度の測定をする...などが要求される。(2)を満たすために湖水用自動採取装置(図)を作成し,(3)を満たすために,基本指標であるアルカリ度の高精度高速測定法の確立を試みている。ともあれ,日本では調査者が苦しむほど変化(酸性降下物の影響)が小さいと言うこと自体は喜ぶべき偶然であろう。