中国における流域環境管理
特集 東シナ海環境の将来予測に向けて
【環境問題基礎知識】
水落元之
中国では1978年に開始された改革開放政策により市場経済へ移行し、その後に急激な経済成長を遂げます。移行直後に経済成長を支えたのが、蘇南モデルと言われた地方から芽生えた郷鎮企業の隆盛でした。これらの企業の経営規模は比較的小規模であり、利潤追求が優先され、環境への配慮が軽んじられた結果として、1980年代の後半から多くの水質汚濁問題が発生しています。一部では公害病の発生が報道されたこともありました。このような状況を受けて、中国では水質汚濁が深刻だった淮河に対して、1994年に河川と流域の汚染に関する最初の法制度(淮河流域水汚染防治暫行条例)が試行的に示されました。これを受けて1996年から開始された「国家環境保護第9次5ヶ年計画」において、重点的に水環境改善が必要な水域として三河三湖が指定されました。三河三湖とは、水質汚濁の進行が深刻であった淮河、遼河、海河の三河川および太湖、滇池、巣湖の三湖沼です。この指定を受け、上記の5ヶ年計画に相当する「国家重点流域水質汚濁防止計画」が立案され、水環境改善に対する本格的な取り組みが開始されました。それぞれの重点流域には、上位の計画を受けた個別の流域管理計画が存在します。三河三湖の中で中国政府が最も対策に力を入れたのが太湖でした。その理由として、太湖流域が経済成長の著しい長江デルタ地帯にほぼ全域が含まれ、汚濁物質の流入量が多いのに湖水の滞留時間は1年以上と推定され、湖水の交換が遅い、つまり閉鎖性が強く、水質汚濁の影響を受けやすいことが考えられます。また、太湖が水道水源などの水利用ばかりでなく、歴史的な背景から非常に有名な湖であり、国民の関心が高いことが考えられます。したがって、中国では太湖の流域管理に対する考え方が、その他の流域の考え方を先導しているとも考えられ、ここでは太湖を事例として中国の流域環境管理の考え方を見ていきます。
図1に国土地理院の地図「500万分の1日本とその周辺」から太湖の周辺部分を抜き出して示しました。太湖は上海市から100km程度西方に位置し、南北の長さが68.5km、東西の長さが34km、水面面積は2,338km2と大きく、平坦地にできた浅く広大な水たまりを想像させる中国第三の大きさの湖です。流域面積は36,900km2と広大で、約50%が平野で、霞ヶ浦と比較すると水面面積で約10倍、流域面積で約30倍となります。平均水深は1.9mであり、最深部でも2.7mと非常に浅いのも特徴です。流域には0.5km2以上の湖沼が189ヶ所存在する水郷地帯でもあり、「魚米の郷」と呼ばれています。
図2は昨年11月に撮影した太湖湖岸の夕景です。この場所は人工的に湿地を造成して、陸側からの汚濁負荷の低減を図るとともに、湿地公園として親水空間を提供することを目標としています。
一方、太湖流域管理局等から公表されている「2012年太湖健康状況報告(2013年)」によると、2012年の流域総人口は5,920万人と全国の人口の4.4%ですが、GDPの流域総額は54,188億元と全国の10.4%を占める経済活動が非常に活発な地域であり、経済開発区と言われる大規模な工業団地が多く存在しています。したがって、水質保全に関する総合的な対策がなければ深刻な水質汚濁問題に直面することは容易に想像できます。
太湖に限らず、流域における汚濁物質は排水として排出されますが、その排出源は下水を主とする生活系、工業活動による事業場系および農業活動による農業系に大別されます。ここで、生活系と事業場系は排水口から排出されるイメージなので点源と呼ばれ、農業系は森林、畑や水田などの広い面域から排出されるイメージなので面源と呼ばれます。水質保全が主体となる流域環境管理は、これらの排出源をコントロールして、技術的にも経済的にも、効率的に排出量を削減することが主な目的となります。それには単に厳しい排出基準を設けるだけではなく、各排出源からの排出メカニズムを理解した上での対応が必要となります。
国家発展改革委員会等から2013年に公表された「太湖流域水環境総合治理総体方案(2013年修編)」では、2010年において流域から太湖に流入した汚濁物質のうち、化学的酸素要求量(COD)、全窒素(T-N)および全リン(T-P)は年間でそれぞれ、約63万トン、13.5万トンおよび0.8万トンであり、COD、T-Nの約50%、T-Pの約70%が農業系から排出されていました。ちなみに同様に公表されている2005年の流入量と比べると、CODとT-Pで約25%、T-Nで約5%の減少、つまり削減となりました。
太湖では1996年に重点流域としての指定を受け、1997年~2000年に「太湖水汚染防治「九五」計画(九五計画)」が実施され、流域環境管理に対する本格的な取り組みが開始されました。ここで、流域環境管理の基本方針は「点源汚染、面源汚染の制御および生態系修復による自浄能力の強化」であり、現在まで変更はありません。
2001年からは引き続き、「太湖水汚染防治「十五」計画(十五計画)」が2005年までの5ヶ年で実施されました。十五計画は九五計画の計画フレームに沿って、各発生源からの排出量を削減する対策を強化する形で取り組まれています。続いて、2006年を開始とする同様の考え方の十一五計画が実施されるはずでしたが、太湖を水道水源とする無錫市で2007年6月にアオコの異常増殖による飲用水供給危機が起きました。九五・十五計画では、排出削減に関する主要な対策事業を流域環境管理の柱として10年もの間に多額な予算が投入されました。しかし、その努力をあざ笑うような危機が起きたことで、単に対策事業を推進するだけではなく、これらの効果を高めるための方策の導入が必要不可欠であることが示されました。このような背景から、5ヶ年計画の途中にもかかわらず、2008年から十一五計画を強化した形で「太湖流域水環境総合治理総体方案(総体方案)」が開始され、現在も継続されています。
総体方案に示された流域環境管理の構造を図3に示します。これまで述べてきたように管理の主要な目的は流域および湖のような集水域(ここでは太湖)の水質保全や修復になるので、現状の汚濁負荷の削減が重要となります。したがって、生活系では下水道整備、事業場系では工場排水処理、農業系では化学肥料使用量の適正化による削減や畜産廃棄物のような農業副産物の循環利用が重要な対策となります。しかし、上述したような背景から、対策事業の効果を高めるための方策の必要性が認識されてきました。これを受けて総体方案では、これまでの計画になかった産業構造調整が計画の上位に置かれるなど、対策事業の実効性や効率性を確保するための政策が示されています。流域環境管理として10ヶ年の事業実施経験を経て、基本方針に変化はありませんが、総体方案では事業の実効性を確保する「管理・監督責任」や「検証」についての考え方が中心に示されています。特に重要な点は、(1)総量規制を徹底するための「濃度審査」、(2)事業実施に対して上位から下位の行政単位(省・市・県)それぞれの責任を明確化し、審査および問責制度に言及していること、(3)排出権取引などの市場原理および公衆参加を促し、世論による監督機能を活用することが明示されたことです。
中国の流域環境管理は重点流域で1996年に開始されましたが、先導的な取り組みが行われた太湖流域の取り組みを見ると以下のことが分かります。当初は手探り状態で点源対策を主体として行いましたが、10年程度で研究開発を含めて主要な対策事業の技術的な知見が大きく蓄積され、どのような事業が技術的に実施可能かという点に一定の目処がたったものと考えられます。次にそれらを効果的に運用する行政施策や利害関係者の円滑な合意形成に向けた取り組みの重要性が示され、現在に至っていると考えられます。もう一つの特徴は事業の評価軸としてだけではなく、対策として生態系修復が位置づけられていることで、大規模な事業が展開されています。
最後に、中国における将来の汚濁負荷排出量を検討する上では対策技術や対策オプションに関する検討はもちろん重要です。しかし、中国のような計画経済を基本とした国では、国の5ヶ年計画が様々な施策に与える影響を考慮して、例えば畜産業の大規模工業化などに代表される産業構造調整に関する政策なども理解する必要があります。
執筆者プロフィール
太湖とのつきあいも十数年となりました。日本でも同じですが、水環境改善の難しさを実感しています。同様に自分自身も体重管理の難しさを実感していて、なんだかよく似ています。