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2001年9月28日

流域環境管理に関する国際共同研究(重点共同研究)
平成8〜12年度

国立環境研究所特別研究報告 SR-44-2001

1.はじめに

表紙
SR-44-2001 [6.5MB]

 21世紀の中国の経済活動を支えるための急速な内陸開発は,環境への圧力を増大させることが予想されている.中国大陸からの環境負荷の影響は,数日(洪水)から数年~十数年(生態系経由等)と,その伝わる時間は異なるものの東シナ海を通じて日本に到来し,日本の海洋・沿岸環境の管理・保全上,看過できない問題と考えられている.この広大な中国の環境変動の広がりは東アジア規模に及ぶ可能性があり,国際的連携による環境問題への積極的な取り組みの観点から,我が国には主導的に環境と調和した成長の在り方を求めていくことが期待されている.このような背景をもとに,中国科学院地理科学与資源研究所と中国水利部長江水利委員会を海外共同研究機関の中核として,新たな水資源とエネルギーの大規模開発が進行している長江流域の環境調和型の成長を支援する調査・研究を,(1) 長江流域環境モニタリング手法と情報システム化手法の開発に関する研究,(2) 長江の河川水質と水界生態系に関する調査研究,(3) 流域環境管理モデルの開発,の3つを基本課題として推進した.

2. 研究の概要

2.1 流域環境モニタリング手法と流域地理情報システムの開発

(1)衛星画像を用いた洞庭湖・ハン陽湖周辺の洪水氾濫による被災面積の推定

 1998年7~8月の長江流域での大洪水(中国では20世紀第2番目の規模)は,中流域に位置する洞庭湖・ハン陽湖周辺に,3210km2(東京都の1.5倍,琵琶湖の4.8倍の面積)に及ぶ洪水被害をもたらした.こうした広い領域での洪水状況を高頻度で把握するためには,1日2回の観測画像が得られ,観測幅2700kmで中程度の解像度という特徴を持つNOAA/AVHRRの衛星画像データの利用が最適である.先ず,地表面の植生の繁茂状況を代表する正規化植生指標(NDVI)を用いて,地表面が水で覆われているかどうかを識別し,洪水の氾濫域を特定する.次に,地理情報ソフトを用いて,標高,土地利用の各データ上に氾濫域を重ね合わせることで,被災面積が推定される.本推定法を用いて,洪水ピーク時(8月22日)における洞庭湖・ハン陽湖周辺の氾濫による被災面積を推定した結果は,農耕地の被害面積は2076km2(水田1120km2,畑956km2),全洪水被害面積3589km2であった.この推定値は,中国が公表している被害面積である1970km2,3210km2に近く,十分に実用レベルにあると考えられる.


(2)大流域降雨流出モデルでの利用を目的とした日降水量の比較検討

 流域面積180万km2(日本の約5倍弱の面積)という長江流域全体を対象として,降雨により流域から河川に流入する水量と河川流量を推定しようとする水文モデルの精度は,入力すべき日降雨量の推定値の精度に大きく依存する.対象とする流域の面積規模からすると,地球全体を対象として,一組の推定データセットにまとめられたものの活用が望ましい.幾つかの全球規模での降水量の推定値データセットが発表されているが,中国大陸におけるデータセットの固有の特徴(長所・短所)については,これまで検討されることはほとんどなかった.ここでは,代表的なデータセットであるヨーロッパ中期予報センター(ECMWF),熱帯降雨観測ミッション(TRMM),全球降水量気候計画(GPCP)の時間的,空間的精度を1998年夏期の長江流域を対象に比較検討した(図-1).その結果,局地的な豪雨現象が十分に再現できないデータセット,現実の晴天日に相当量の降水量を推定したり,逆に実際の日降水量が多い日には過小に推定する傾向があるデータセット,といった地球規模の日降雨量データセットが抱える幾つかの重要な問題点を初めて指摘した.

図-1 ECMWF,TRMM,GPCP降水データセットによる月降水量と地上観測値を基にした
月降水量分布の比較(相関係数が大きいほど両者の対応がよい)

2.2長江の河川水質と水界生態系に関する調査研究

(1) 長江の河川水質に関する調査研究

 1998,99年の10~11月,長江の重慶-上海間,洞庭湖,ハン陽湖で採水を実施し(図-2),山間部~沖積低平地~河口に向かう水質変化と湖沼群の水質の特徴の把握を行った.その結果,以下のことが理解された.1) 長江の河川水質の特徴に大きく影響する要因は懸濁物質の濃度であり,上流の高濃度が洞庭湖,ハン陽等の湖沼群での沈降・堆積を経て,急激に濃度が低下する.長江の河川水質の特徴に大きく影響する要因は懸濁物質の濃度であり,上流の高濃度が洞庭湖,ハン陽等の湖沼群での沈降・堆積を経て,急激に濃度が低下する.生物生産が低いため,日本の河川に比べて窒素濃度が高い割には有機物による汚濁が低い(図-3).

図-2 中国に占める長江流域の位置付けと河川水質・水界生態系の実施区間
図-3 アンモニア態窒素、全リンの長江の重慶~上海間における濃度変化 (洞庭湖・ハン陽湖で下がり、大都市下流で上がる)

(2) 炭素安定同位体を用いた生態系炭素循環の解析

 水界生態系におけるエネルギーと有機物の流れを担う食物連鎖は,通常,光合成によって無機炭素を有機物に変換する植物プランクトンを主な生産者として,動物プランクトン,魚類等の消費者を支えていく構成となっている.しかし,長江では上流から供給される大量の土砂により河川水が濁り,植物プランクトンにとって太陽光エネルギーの利用が厳しく制限された状態となって,通常とはかなり異なった状況を呈している.ところで,水界生態系内でのエネルギーと有機物の流れの経路には,水中に溶存している有機物(エネルギー源)を細菌が取り込み,原生動物から魚類へと消費者段階が高次に移る微生物食物連鎖というもう一つの経路が存在する.ここでは,現地の河川水の一部に13C安定同位体で標識した無機炭素あるいは有機炭素を溶かして培養し,河川水中の植物プランクトンや細菌による13C安定同位体の取り込み量と光合成生産と細菌生産から動物プランクトンへの捕食を通じた炭素の移送割合を計測した.その結果,長江生態系の有機物の流れは,上流では光合成に必要な栄養は十分に供給されているにも関わらず光が強く制限されるために細菌経路が卓越し,一方,中流の湖沼群で土砂が沈降し光制限から解放される下流では,光合成経路が卓越していることが判明した.

2.3 流域環境管理モデルの開発

長江流域内での降雨による土砂輸送のシミュレーション

 長江流域全体を対象として,降雨が河川流量へ変換される過程とその過程で水によって土砂を初めとする種々の物質の輸送過程の実態を数値シミュレーションモデルを用いて視覚化し,その理解に反映させた.モデルの最大の特徴は植生被覆,土壌構造,土地利用等の地理的な不均一性が組み込み可能な点であり,広大な長江の地理環境情報がモデルに反映されている.数値シミュレーションは1987年と1988年を対象に実施した.降雨による流出の計算結果は大通(源流から5750km)での観測値とよく一致している(図-4).一方,土砂流出の計算結果は宜昌(源流から4700km下流)での観測値と比較すると,洪水期の大規模な土砂流出現象を十分に再現できなかった.これは2.1(2)で指摘したように,計算に用いた日降水量の推定データの精度の低さが原因と考えられた.地球規模の日降水量の推定データセットではなく,地上観測値を用いて,宜昌より上流に位置する嘉陵江流域を対象にしたシミュレーション結果は,開発したモデルが長江流域の降雨流出・土砂輸送を十分に再現できることを示している(図-5).

図-4 長江流域の水・土砂動態の数値シミュレーション
図-5 嘉陵江における水・土砂動態の数値シミュレーション(地点:北碚)

3. 今後の検討課題

 本研究の現地調査は秋期の2回に過ぎず,長江という大河を理解する上で,まだまだ知見が不足している.今後は,特に長江の水界生態系の構造への理解を深めるため,観測時期を変えるとともに,さらにダム湖・湖沼群での詳細な水質・生態系の調査を課題と考えている.

表-1 炭素安定同位体13Cを用いた光合成経路と細菌経路に関する培養実験結果(1999年11月)

Chl-a
(μg/L)
DOC
(μM)
Free living
Bacteria
光合成度
P*μg/L/h
Glucose
摂取速度
μg13C/L/h
無機
経路
PLT
有機
経路
PLT
水温 SS
(mg/L)
NO3-N
(μM)
NO2-N
(μM)
NH4-N
(μM)
PO4-P
(μM)
Si
(μM)
重慶 1.60 134.4 1.9×106 1.26 4.06     18.9 322.5 60.55 1.23 4.59 0.68 125.2
忠県 0.96 141.7 1.5×106 0.69 6.21 2.08% 2.26%   318.8 64.18 1.47 3.34 0.66 116.5
宣都 0.98 117.5   0.39 3.99     19.4 379.6 70.99 2.45 0.29 0.71 121.4
洞庭湖 1.03 132.5 1.6×106 3.68 0.93     18.9 70.4 62.27 1.84 6.70 0.51 117.1
洪湖 0.77 94.4 1.0×106 1.79 2.61 0.53% 4.91% 19.6 296.8 68.73 1.25 1.37 0.53 126.2
ハン陽湖 0.97 133.7 1.1×106 5.73 1.36 6.76% 3.37% 19.6 8.6 14.59 0.28 3.33 0.38 108.4
安慶 1.81 114.3 0.76×106 3.89 2.52 3.28% 1.72% 19.5 205.6 61.71 0.06 0.17 0.48 110.7
馬鞍山 1.14 122.4 0.84×106 3.23 2.93     19.4 180.0 63.40 0.08 0.22 0.49 118.7
南京 1.04 113.3 1.1×106 2.30 2.61     19.3 174.0 63.14 0.12 0.53 0.59 116.5
劉河 0.62 150.8 1.2×106 1.25 6.75 3.94% 11.61% 19.3 240.0 60.24 0.14 0.69 0.46 112.3

〔担当者連絡先〕
国立環境研究所
水土壌圏環境研究領域
渡辺 正孝
Tel:0298-50-2338,Fax:0298-50-2576

用語解説

  • 正規化植生指標(NDVI)
     植物に含まれるクロロフィルは,青と赤 (R) の光を効率良く吸収し,同時に近赤外域の光(NIR)を強く反射する.この植物の分光反射特性を利用し,衛星データから地表の植生被覆状態を推定するための指標を植生指標と呼ぶ.観測条件の相違による影響を小さくし,反射特性を強調するために,(NIR-R)/(NIR+R)と正規化したものが正規化植生指標(NDVI)である.
  • NOAA/AVHRR
     衛星モニタリングにおいては,対象とする地上での現象の時間・空間規模に応じて,時間分解能(観測頻度),空間分解能,観測波長帯の衛星機体とセンサによって決まる3要素にもとづいて,使用する衛星データを選択する.地球観測衛星NOAAに搭載されたセンサAVHRRは,高い時間・空間分解能と,可視~熱赤外領域という観測波長帯を有しており,洪水,広域的な植生監視,広域的な農作物の作物面積推定・収量予測,土地利用変化監視等,広範囲な諸現象のモニタリングに有効に使用されている.
  • 地理情報システム(Geographic Information System)
     地域に関わる種々の情報を図形に結びつけて管理し,図形の相互関係,図形の属性情報等を利用して加工し,出力するシステム.
  • 炭素安定同位体トレーサー法
     自然界では,炭素は質量12のもの(12C)が約99%占めているが,質量13の炭素13Cがごくわずか存在している.13Cは重さだけが異なり,化学的な挙動は12Cとほとんど同じであるという性質を持っている.従って,このわずかな質量差を持つの炭素13Cを標識・目印(ラベル)にすると,食物連鎖中で,どれくらいの有機物が,どのように,より高次の消費者に伝達されているを追跡(トレース)することができる.
  • 光合成食物連鎖と微生物食物連鎖
     一次生産者から消費者レベルを経て最高次捕食者レベルまで,食物に含まれるエネルギーと有機物の転送を表すのが食物連鎖である.水界生態系においては,(1)光合成経路:溶存無機炭素→植物プランクトン→動物プランクトンに至る経路,(2)微生物(細菌)経路:溶存有機炭素→バクテリア→原生動物→動物プランクトンに至る経路,という2つ食物連鎖(経路)を通じて,炭素・エネルギーが高次栄養段階に輸送される.
光合成経路の図

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