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ディーゼル油の水溶性画分がプランクトン食物連鎖に与える影響について−中国長江河口域でのメゾコズム実験−

研究ノ−ト

越川 海

  海域での油汚染というと,ナホトカ号重油流出事故が記憶に新しい。この事故では,流出油は海上を漂流し,ついには海水と混合してムース状になった油が海岸に漂着して被害を大きくした。羽が油で覆われてしまった水鳥や海岸に漂着した油の中でうごめく蟹の姿を見ると,流出事故が生態系に及ぼす被害の甚大さを再認識させられる。

 しかしながら,こうした目に見える生物への影響は油流出事故がもたらす被害のほんの一部であることは言うまでもない。例えば,重油や原油などの精製度の低い油には極性が高く水溶性の成分(水溶性画分)が多く含まれ,流出時にはこれが海水中に溶け出してしまう。組成によって大きく異なるが,1mg/l 程度の油分濃度であれば,目視では油が含まれているか否かわからない。既往の報告によれば,藻類,動物プランクトン,魚類等の増殖・生理活性などはこうした水溶性画分によって著しく阻害されるという。また流出油が分解を受けて水溶性成分に変質すると,より毒性が高まるという報告もある。

 このように油水溶性画分が生物個体群に及ぼす影響に関する研究は過去に数多くなされてきた。しかしながら,各々の生物に影響が及んだ結果として「生態系あるいは食物連鎖がどのような遷移を示すのか」を実際に示した研究は少ない。

 現在,筆者は,中国長江河口域における海洋汚染とその生態系への影響に関する研究プロジェクトに携わっている。共同研究機関である中国国家海洋局によれば,近年,長江河口域での油濁汚染は深刻さを増しており,その主な汚染はタンカー事故よりもむしろ船舶からの半ば恒常的な燃料油漏洩などに原因があるという。

 そこで筆者らの研究グループは,長江河口崢泗列島海域に設置した隔離生態系(メゾコズム-写真—)において油水溶性画分が食物連鎖を通じた生態系物質循環に及ぼす影響の評価を試みた。このメゾコズムは約25 トンの現場海水を強化ビニールバックで隔離したものである。細菌から大型動物プランクトンまで含む生態系を自然に近い状態で捕獲した系であり,試験管や水槽での小規模な実験では把握が難しい有害物質の生態系への影響評価実験に適している。

長江河口域に浮かぶ双子のメゾコズム(1998 年5 月30 日,筆者撮影)
写真 長江河口域に浮かぶ双子のメゾコズム(1998 年5 月30 日,筆者撮影)

  実験は1998 年5 月末から1 週間にわたって2 つのメゾコズムを用いて行った。まず,ほぼ同じ生態系を含む海水を各々のメゾコズムに隔離し,油添加系および対照系とした。初期状態を2 日間観察した後,油添加系メゾコズムに油水溶性画分を添加した(拡散濃度=約1 mg/l )。水溶性画分は,中国で船舶用として用られるディーゼル油と現場海水をあらかじめ調査船上の1 トンの水槽で混合・静置し調製した。毎朝,2 つのメゾコズムから採水し,プランクトン現存量・種,水質等の分析を行った。採取したメゾコズム海水を5 l 透明ボトルに移し,これに炭素安定同位体(13C)で標識した無機炭素あるいはグルコースを添加して培養実験を行った。培養瓶中のプランクトンへの13C 取り込み量から,光合成速度や細菌活性を測定し,さらにプランクトンをサイズ基準で分画して,植物プランクトンならびに細菌から動物プランクトン(体長100 μm 以上)への捕食を通じた炭素の伝達量を評価した。

 油添加後,動物プランクトン(優占種-カイアシ類,夜光虫,繊毛虫など)は軒並み減少傾向を示した(図)。特に小型の繊毛虫は急激な減少を示し,油添加前の10 個体/ml から添加翌日には0.5 個体/ml 以下となった。繊毛虫は微小藻類や細菌の捕食者であり,かつカイアシ類などの動物プランクトンの餌として重要な生物である。一方,一次生産者として重要な植物プランクトン(優占種-プロロセントラムなど)の現存量は油添加系・対照系で大きな差が見られなかった。この結果は優占した植物プランクトンが動物プランクトンに比べて油に対する耐性が高いことを意味しているように思われたが,平行して船上で行った培養実験(油添加後のメゾコズム海水に栄養塩と13C 無機炭素を添加)では,光合成活性が著しく低下していることが示された。油添加系・対照系で植物プランクトンの現存量に差が認められなかったのは,油添加系の動物プランクトン衰退に伴って,植物プランクトンの捕食除去が進まなかったことが一因であろうと考えられた。またグルコース取り込み速度で評価した油添加系での細菌活性は対照系の約2 倍に達したが,一方で細菌生産を出発点とする微生物食物連鎖(microbial loop )を介した大型動物プランクトンへの炭素伝達は対照系の半分以下に留まった。つまり,油水溶性画分は細菌生産を増大させたが,同時に細菌生産を利用する食物連鎖を衰退させたと考えられた。

メゾコズム中の主なプランクトン食物連鎖と油水溶性画分が生態系に及ぼした影響のまとめ
図 メゾコズム中の主なプランクトン食物連鎖と油水溶性画分が生態系に及ぼした影響のまとめ

 この実験によって,油水溶性画分が個々の生物に対して影響を与え(光合成阻害,捕食者個体数の減少),またその結果として食物連鎖を流れる炭素量(エネルギー)が減衰すること,生態系のバランスが急激に変化することが示された。

 油流出事故が生じると,しばしば分散剤を散布する処理方法がとられる。海上を漂流する油をミセル化し海水中に分散させる。海水中では小さな油滴となり,生分解を受けやすくなるだろう。一方で分散あるいは生分解過程で水溶性画分が生み出されるのではないだろうか。分散剤そのものの毒性・安全性は比較的検討されているが,分散処理された油あるいはその水溶性画分が生物,生態系に及ぼす影響はどれほど検討されているのだろうか。筆者の杞憂(勉強不足)であることを願う。

(こしかわ ひろし,水土壌圏環境部水環境質研究室)

執筆者プロフィール:

1968 年北海道生まれ,東京理科大学大学院工学研究科修了,工学博士,1997 年国立環境研究所入所研究員<専門分野>微生物生態系における物質循環<休日>土いじり,テニス(下手!)

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