ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

国立環境研究所OBとして歩んだ10年

財団法人 地球・人間環境フォーラム 大喜多 敏一

 小生の国立公害研究所での現役時代はわずか6 年足らずでしたが,その後,図らずも地球・人間環境フォーラムが設立され,つくば事務所の手伝いをしながら10 年もたとうとしている変わり種です。日頃何かとお世話になっているので,国立環境研究所の皆様に励ましの言葉と思ったのですが,研究員の方々は少ない人数でよくがんばっていらっしゃるので,特に付け加えることはありません。ただ私達が昔夢に抱きましたように,世界の研究者に伍して,特に地球環境のために努力してほしいと思います。ここでは私の過去十数年間やってきたことを省みますが,その中で皆様の参考になることがあれば幸いです。OB になってからも結構色々のことをやってきましたが,その中2 点とりあげました。

(1 )大気汚染・酸性雨研究

 私の研究歴を振り返ると,若いときには今様に言えばベンチャー的な仕事の中に独創性を見いだしたが,年をとるに従って,豊富な経験を生かし,大きな環境問題の枠組みの中で分野の異なった人々と共同して問題の解決を図るべきであり,また高齢者としてはそこに働き場があることを実感させられた。特に10 年前には酸性雨の研究者も少なかったので,今で言う臨界負荷量に相当する研究や,東アジア域の汚染物の長距離輸送問題,重慶における森林破壊の原因探求などに関する文部省の特別研究等に入れてもらえたのは有り難かった。ただ,人,金,物,さらに桜美林大学学部長となって時間も不足する中での戦いだった。

 たまたま1991 年の湾岸戦争で,サダム・フセインの軍隊がクウェートからの撤退時に油井に放火し,そのために大火災が生じ,それに伴う住民の健康被害が心配された。その状況を日本政府に提言するため,吉田克巳三重大学名誉教授を団長とする調査団がクウェートに派遣されることとなり,小生もその一員としてクウェートに赴いた。大気測定は比較的簡単なものであったが,その結果の解釈をめぐり,ある報道関係者と私達の間に見解の相違が生じた。ある報道関係者に言わせれば,我々のSO2測定濃度が低すぎるというのである。しかしこの食い違いの原因は次第に明らかとなった。まず米国の航空機観測でもSO2濃度が予想の1 /5 であるという結果が出てきた。たまたま私の親戚に製油所長をした人がいて,彼との話合いで,イオウ分の4 /5 は重油中に入っており,重油は野外燃焼では燃えないとのことであった。また油井の燃焼の現場では,炎は圧倒されるほどすごいが,ボイラー内の燃焼よりは低温であり,重油は燃えないで,後にoil rain といわれるようになった雨として降り注ぎ,私の衣服もすっかり油臭くなってしまった。これは先入観があてにならぬことを示した一例であって,この件につき専門誌Atmospheric Environment も価値を認め,論文として採用した。

 ずっと後に環境研究所の一員より“我々は油井調査は研究とは思わないので行かなかった”と言われたが,私の長年の野外調査の経験によれば,どのような場合でもよく耳をすませば,面白い発見があるものである。

 またごく最近,これは研究ではないが,1999 年9 月に環境庁を通してのJICA (国際協力事業団)の依頼で,コスタリカを訪れることができた。本当は70 歳以上は資格がないのだが,代わりがいないということで行けたのは幸運だった。私に課せられた任務はコスタリカにおける大気汚染モニタリングネットワークの設計であった。それはリポートを書いて終わったが,他方コスタリカは環境保護に熱心な国と聞いていた。しかし,現地で熱帯林はわずか15 %しかないことを知ってショックを受けた。既に森林はコーヒー,砂糖キビ,バナナ,パイナップル畑や牧場などに化けてしまっているのである。すなわち熱帯林消失の問題は嗜好品などの消費を通して我々先進国の人々の問題でもあり,したがって我々も熱帯林だけでなく,日本国内の森林保護にも力を入れねばならぬことを痛感した。

 今後の研究または勉学のテーマとして,自然科学の知識もさることながら,経済・社会のことも含めてより定量的かつ正確な予測を人々にぶっつけなければ,人々を動かすことができないのではないかと考えている。というとだんだん国立環境研究所の森田恒幸さんや原沢英夫さんの線に近づくようである。

(2 )環境情報科学・環境教育

 私が旧公害研究所を退職したとき,井上力太北海道大学名誉教授や元東京都大気保全局の菱田一雄氏のように海外に出て途上国の環境問題に取り組みたかったが,色々の事情がそれを許さなかった。次に学生を含む一般の人々に地球環境問題を含む環境についての教育をしようと思い立った。これは折角世界中の研究者が多くの研究結果をだしても,一般人を動かす力とならず,特に日本人の中に自分一人位環境保護を考えてもどうにもならないという気風を感じとったためである。幸いにも桜美林大学に採用され,環境教育のスタートを切った。若い学生と話合いを持てたことは幸いであった。その中より数名が環境関連の仕事へと育って行った。しかし,従来の環境教育学会で取り扱っていたのは,公害教育や自然観察であって,私の考えている目標とは少し異なっていた。すなわち私が考えていたのは,いわば環境情報科学の分野であって,情報を加工し,人々に伝達することであった。その意味で国立環境研究所(現慶応義塾大学教授)西岡秀三さんや原沢さんにIPCC (気候変動に関する政府間パネル)の作業の一部を分担させてもらったことは有り難かった。

 他方数年前環境庁が環境カウンセラー制度を設けたとき,早速応募した。カウンセラーの中には何をすべきか戸惑っている人もいたようだが,私は上に述べた趣旨とともに,今までの自然科学の分野だけでなく,他分野の人々と交わり,それらの人々より知識や行動を学ぼうと考えたからである。ところがはしなくも茨城環境カウンセラー協会の代表幹事となり,協会の人々の要望と自治体や教育委員会,経営者団体の間をいかにとりもつか,苦心しているこの頃である。

 この分野では試行錯誤と言って良く,何が生み出されるかは私にもよくわからない。ものになるには10 年はかかるだろう。その間に色々な人々と交わることの楽しさを教えてもらったような気がする。しかし巨大な経済・人口の圧力によって人類が自壊せぬためにも我々の努力と智恵が求められ,ぼやぼやしてもおられない。

 最後に『地球に対する個人の責任』を環境保護のキーワードの一つとして提案したい。

(おおきた としいち)

執筆者プロフィール:

東北大学の学生時代は磁石の研究をしたが,次いで地球物理教室で雲物理学を学んだ。旭川で大気汚染を知りボランティアとして調査を行った。そのうち国立公衆衛生院にヘッドハンティングされ,大気汚染が本職となった。その後北海道大学,国立公害研究所と異動した。