生態系は壊れやすいか?
特別研究活動の紹介
安野 正之
有害汚染物質が生態系に混入した時,生物相に影響を与える濃度はどの程度か? どの生物種が最も影響を受けるのか? 汚染物質が残留し長期に暴露された場合の生態系はどのような影響を受けるのであろうか? もちろん化学物質の種類によってちがってくるが,なんらかの法則性があるはずである。これまでも個々の水生生物種に及ぼす有害汚染物質の影響についてかなり研究がなされ,ミジンコやヒメダカ,コイ等による影響評価法が用いられてきている。しかしこれら限られた種類で単一の生物種ごとに,しかもガラスビーカーの中でとられたデータが自然の生態系への影響評価に代わり得ることはありえない。この特別研究では汚染化学物質の生態系影響の過程について解明し,その生態系影響を全体的に評価する方法の開発を目指した。
1.重金属汚染
有害汚染物質のうち重金属については全国の延べ111地点の調査結果がまとめられた。銅鉱山からの排水の流入がほとんどであるが,カドミウム,亜鉛など他の金属も当然混入しており複合したかたちで生態系へ影響を与えている。銅の存在は生体内においてカドミウムの取り込みを抑制するなどの重金属間の干渉作用があること等が明らかにされた。汚染の程度により生物の種類数も個体数も減少するが例外もあり,耐性種はむしろ増加することが特徴的である。これらの研究結果から汚染河川の底生動物,底生藻類への影響予測も,また生物の種組成から逆に汚染の程度を予測することも可能となった。重金属汚染に耐性のある生物種の耐性機構についてもかなり研究が進んだ。すなわち個々の藻類の種類について耐性を調べると,ラン藻類はかならずしも耐性は高くないが,重金属に暴露しつづけると耐性を獲得していくことなども明らかとなった。また,重金属汚染河川に出現するケイ藻における取り込みの阻止機構,シロハラコカゲロウにおける取り込んだ重金属の結合蛋白による無毒化機構は近縁の非耐性種は持っていないなどが明らかとなった。
2.河川における農薬の動態とその影響
野外において農薬は混合して用いられることが多いこと,かりに単体の薬剤として用いても,散布地域によって別々の薬剤を使用することもあり,水系には混在することが多いと考えられる。カラムを用いた試水の前処理及び濃縮法の開発により,このような混在する農薬の分析が容易になった。これにより河川,河口,湖沼における農薬の動態が明らかになった。
河川中の農薬が散布時期に検出されることは当然期待されるが,その流達過程に農薬の種類による違いがみられる。水田に散布される農薬のうち,CNP,オキサジアゾン,ベンチオカーブ,イソプロチオラン等は底質への残留性が高かった。いっぽうシメトリン,IBP,BPMC等は比較的流出しやすく,河口から湖へかけて検出されている。湖の河口域の野生のハスにこれらの農薬がどのように取り込まれるかを追跡したが,その大部分は葉や葉柄に蓄積され,食用になる根茎にはほとんど検出されなかった。
農薬の流出する河川における生物相はきわめて貧弱でユスリカ類とコカゲロウ,イトミミズが優占する。これらも農薬がある濃度以上で流下した時にはかなり数の減少がみとめられるが,これら限られた種類はその後すぐ回復した。このような現象は部分的には世代が短く,増殖力の高いことによっている。河川の底生藻類も農薬の直接影響を受け減少することが見られているが,これを食べる底生動物の減少とその回復が藻類よりも多少遅れることから,むしろ大量発生をみることがある。これを二次的影響と称するが,化学物質の汚染の特徴として注目すべき現象である。
3.渓流の生物相に及ぼす空中散布の影響
渓流の水生昆虫は豊富で通常30~60種類がみられる。松くい虫防除のために散布された殺虫剤か渓流に入った場合,多くの生物は影響を受け流下する。当然生物の種類による感受性に差があることと,生息する場所が岩の上であるか,砂の中であるかの違いも反映して流下のパターンが違ってくる。しかし1ヶ月後に2度目の散布がされたとき,流下する生物の種類も個体数もきわめて少なくなっていることから,その渓流の水生昆虫はほとんど消失していたと考えられる。しかし薬剤散布の3ヶ月後と1年後の調査の結果,カゲロウ類,トビケラ類等は比較的早く回復することが分かった。これは使用された殺虫剤の残留性が少なく生息場所が汚染されていないこと,そして散布されていない上流部等からの補充によると考えられる(現密な意味では種によって違いがある)。いっぽう本来は数種類みられるはずのカワゲラ類は1種類しか認められなかった。その成虫および幼虫の移動あるいは増殖力に限界があるためなのかは今後明らかにされねばならないが,長年の散布の影響が残っていると考えられた。
4.メソコスムによる試験法
湖,池等が化学物質に汚染された場合,その生態系がどのような影響を受けるかを予測するために,その性質を持つあるいは近似した系としてのメソコスム,すなわち湖や池の一部を囲うかたちで作った隔離水界,あるいは陸上に作ったコンクリート水槽についてその有効性を検討した。その結果十分実用に供することが明らかになった。
有害汚染物質は生物に直接影響を与えるだけでなく,生物の相互作用が連鎖的に働いて間接的にも大きく影響する。メソコスムに農薬を投入すると,農薬が直接的影響を及ぼす濃度以下に低下した後にも,この二次的影響が長期にわたって確認できる。生物群集の撹乱は,化学物質の汚染の程度で,上位のものから順次破壊されていくとする過程が受け入れられればきわめて簡単である。群集の最上位を占める捕食者,たとえばフサカ幼虫は比較的感受性が高いので低い濃度で影響をこうむりやすい。この生物の餌となっている種は,群集構造からいえばかなり上位にあってフサカに近い位置を占めるケンミジンコの1種と,大型のミジンコ類である。したがって,捕食者が消滅するとこれらの種類が増加することがある。その結果,小型のミジンコ,ワムシ類は抑制されて減少する。実際はミジンコ類も農薬に弱いので系から消えることが多いため,ワムシ類が増えることが多い。ある種類のケンミジンコは特定の種のワムシを抑制しており,そのケンミジンコを減少させるまで薬剤の濃度を上げると,その特定の種のワムシが増加する。
動物プランクトンの餌となる植物プランクトンも前者が消滅すると全く異なった種類に置き換わることがみいだされ,両者の関係も見かけとはかなり異なり,生態系を維持していくにあってはきびしい種間関係により保たれていることが示された。以上のように生態系の撹乱は,生物の相互作用が関与するために,撹乱の程度によって異なった結果が現われる点に特徴がある。
メソコスムスは化学物質の環境中の挙動の研究にも適しており,ガラスビーカーの試験とは大きく違ってくる。例えば魚への毒性の高いピレスロイド系の殺虫剤も系から早く消えることから,むしろ水系で使用可能かもしれない。CNPのような底質中に残る物質は底生動物に大きく影響した。このようなことを考慮すれば将来メソコスムによる方法は各種の化学物質の生態系影響のリスクを評価するのに活用されるべきであることが理解されよう。
この研究の紹介のタイトルとした生態系は壊れやすいか? に対しては問題の観点によって答えは違ってくる。より高次の生物群集を含む系は壊れやすいことは確かである。重金属汚染,農薬の長期汚染の調査から,代替として,普通見られない生物群集が形成されることが明らかになった。またそのように汚染が続いている場合には代替の生態系はそれなりに安定しているので,その観点からは壊れやすいとはいえないのである。