故江上信雄先生のご霊前へ
所長 不和 敬一郎 ほか
前所長 江上信雄先生を偲んで
前所長の江上信雄先生は,病気御療養中のところ,去る10月17日にお亡くなりになりました。亡き先生といろいろな出会いをされた方々の先生への思い記していただきました。
環境庁国立公害研究所職員を代表して,謹んで江上信雄先生のご霊前にお別れのご挨拶を申し上げます。
先生には環境科学の一層の発展のため,これまで以上のご指導を仰ぎたいと切に願っておりました矢先,突然のご逝去の報に接し,驚きとともにまことに痛惜の念に耐えません。
生物学の分野における世界的なご功績については,ご参列の皆様方も既にご承知のことと存じますが,現在社会の大きな関心事となっております環境問題につきましても,その研究の発展に多大なご尽力をいただいたことに,心から謝意を表したいと存じます。昭和60年6月より昭和63年6月まで3年以上にわたって公害研究所の副所長,所長を歴任され,文字どおり日本の環境研究の先端に立ってご活躍されました。特に研究所は,ご専門とされた生物学はもちろんのこと,物理学,科学,工学,経済学,薬学,医学,農学など,自然科学のみならず社会科学も含めた多様な研究者で構成され,その研究対象は極めて広範にわたっております。ご専門とされた動物学の分野で培われた科学に対する並々ならぬ情熱と深い見識をもとに,専門領域を越えて,文字どおり研究所のリーダーとして,環境研究発展のために,研究所の力を結集することにご努力を傾注されました。
また,現在地球規模の環境問題が国際的にも大きな関心事になっておりますが,先生はこれらの問題にもいち早く着目され,米国をはじめとする国外の研究機関との協力関係を確立されるとともに,地球環境研究を先導的に取り組む体制を築かれました。さらに,先生の生物学の研究に関連して,研究所の新しい研究分野としてバイオテクノロジーや自然環境保全,環境放射能等の取組みにつきましても先鞭をつけられたのであります。
研究所をご退官された後に,ご体調が思わしく無いことを存じ上げておりながら,ご無理をお願いして研究所の研究組織の改革のための検討会の座長をお引き受け願い,今後の研究所が進むべき方向の道標となる報告書をおまとめいただきました。
そのご尽力に対し,深く感謝申し上げる一方,私どもがお願いしたご無理も,先生のご健康にご支障を与えた一因かと思うと誠に後悔の念に耐えません。
先生のご逝去に際し,ご遺族の方々のお嘆きはいかばかりかとお察し申し上げますが,私どもと致しましても,主要なリーダーを失った空洞感は言葉に尽くせないものがございます。先生が築かれた環境科学研究の基礎を土台に,国立公害研究所が世界に誇れる研究を行うために精一杯努力することが,私共が先生のご意志にお報いするせめてもの道であると考えております。
悲しいお別れに際しまして,改めて先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
(平成元年10月20日の告別式,寂円寺における弔辞)
故江上信雄先生の著書,「メダカに学ぶ生物学」(中公新書刊)は,先生が既に悪性の病に冒されていることを告知された後に著されたものであることを,拝読して知りました。ご在任中は,早朝出所が先生の常でしたが,激務の中にあっても,わずかな一時,所長室の片隅の小さな水槽の住人との対話を続けておられたものと思われます。真理の探究に余念のない先生でしたが,一面,研究者をはじめ職員の処遇などへの細心の気配りもさることながら,ご闘病中も研究所の将来を気にかけておられたと漏れ聞き,頭が下がりました。なにとぞ,安らかなご冥福を。
毎朝卵を産むメダカの生殖生理を調べていた大学院時代に,メダカを材料として多くの先駆的仕事をなさっていた江上先生を東京大学理学部に訪ねた。先生は建物の外にまで出迎えて下さり,理学部屋上に何十個もの陶器に大切に飼育されてこられたメダカを見せて下さった。忙しい公務の間にも小さな「いきもの」に対する愛情を持ち続けておられる姿を拝見し,先生の素直なやさしさを知った。先生どうか安らかにおやすみ下さい。
江上先生は,偉大な研究業績の数々と,研究所や環境科学の発展に対する多くのご功績を遺されましたが,私にとってはそればかりではありませんでした。中日ドラゴンズのファンでいらした先生は,ご着任後まもなく,ファンクラブを作りましょうと呼びかけてくださり,どちらかと言えば控え目だった私達ドラゴンズファンはここに初めて集うことができたのでした。ご多忙の中,所員一人一人と親しくお話しようとなさるお人柄が強く印象に残っています。昨年秋の退官記念講演会に続くパーティで,お身体が本調子でないご様子なのに,「ドラゴンズの優勝良かったね」と声をかけて下さったことが忘れられません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
1985年に公害研に来られたときに沢山の系統のメダカを持参された。当時,水生生物実験棟では実験動物としての魚の種類を整理する方向にあったので,これらを受け入れるのに大変戸惑った思いがある。先生のメダカへの愛着は強く,系統別の科学物資に対する感受性の違いを明らかにする事を望んでおられた。ごく一部を除いてまだ調べられずにメダカだけが先生の遺産として残されている。先生はしばしば,実験棟を訪れメダカの飼育について御自身気を遣われた。また,御自分で実験をなさりたい気持ちが強かったけれども,時間がとれず,残念な思いをなさっていたと思われる。
私の研究企画官当時,弘前での学会に行かれている江上先生から,地元の銘酒が送られてきた。新聞を読んだ知人から,ある特別研究の成果についてお褒めいただいたとのことであった。これは,学際的な総合研究を行う国公研として誇れる成果に対するお祝いであったと思っている。外部から,様々な評価を受けていた時期,やっと本来の国公研らしさが見え始めたときであった。学際性,国際性,総合性が求められる地球環境問題に対し,先生のいち早い先導的な取組みへの決断は,これまでの総合研究の実績と研究環境によりなされたものと思われる。今日,この問題がクローズアップされているおり,先見性を持った良き理解者を喪ったことは大きな損失である。心よりご冥福をお祈りします。