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地球温暖化に伴う森林土壌有機炭素の変動を探る

【研究ノート】

梁 乃申

1.はじめに

 現在,全球で約15,500億トンの炭素が有機物として表層深さ1メートルの土壌中に蓄積されています。この有機炭素は,大気中にCO2として存在する炭素(7,600億トン)の2倍におよび,さらに全ての陸上(全陸域)の植物バイオマス含有炭素(5,600億トン)の2.8倍にも相当します。一方,土壌は,土壌微生物や小動物の有機物分解(微生物呼吸)と植物根の呼吸(根呼吸)によって大量のCO2を大気中に放出しています。微生物呼吸と根呼吸は,合わせて「土壌呼吸」と呼ばれています(図1)。これまでに多くの陸域生態系において,土壌呼吸速度は土壌温度の変化とともに指数関数的に変動することが報告されています(図2)。米国アイオワ州立大学のライチらは,25におよぶ文献から導いた土壌呼吸と温度および降水量との関係式と,全球を緯度と経度をそれぞれ0.5度のグリッドに分割して得た月平均気温と月平均降水量から,世界の土壌呼吸速度を概算し,全陸域における土壌呼吸量を年間約804億トン炭素と推定しています。また,米国航空宇宙局のポッターらは,CASAという生物圏炭素循環プロセスモデルを用いて,地球規模の土壌微生物呼吸量を年間約571億トン炭素と推定しています(図1)。これらの推定によると,全陸域生態系の微生物呼吸は,土壌呼吸全体の約71%であることが示唆されます。また,この微生物呼吸量は人為起源の炭素放出量(年間63億トン)の約9倍にも相当し,全陸域生態系の正味の炭素吸収量(年間10億トン)の約57倍に相当する量です。従って,土壌呼吸が地球温暖化によって僅かでも変動すれば,地球上の炭素収支は著しく影響を受けることになります。

概念図
図1 土壌呼吸の概念図
 (数字は全陸域の年間呼吸量を示すものである)
グラフ
図2 苫小牧のカラマツ林における土壌呼吸と土壌温度との関係

2.将来予測

 これまで,ほとんどの炭素循環モデルは,土壌呼吸の季節的な温度変化に対する指数関数的応答に基づいて,将来の温暖化環境下での土壌呼吸の予測を行っています。例えば,日本の地球シミュレータの気温予測に沿って土壌呼吸量を推算すると,土壌呼吸のQ 10(土壌呼吸速度の温度依存性を表す指数であり,温度が10℃上昇したときの土壌呼吸速度の変化率を意味します)を2.0とした場合,土壌有機炭素が2028年の時点で約1,072億トン,2052年で3,411億トン,2100年で7,075億トン失われる計算になります。このように「気温の上昇に伴い微生物呼吸が促進され,さらに気温が上昇するとともにCO2が放出される」という“正のフィードバック効果”により,大気中のCO2濃度が2028年の時点で,従来の予測値より更に27ppm,2052年で78ppm,2100年で196ppm増加する可能性が示唆されます(図3)。しかし,この長期予測を検証できる実測データはほとんどありません。また,生態系によって土壌炭素の蓄積量や分解特性が異なるため,地球温暖化が各生態系の土壌炭素放出に及ぼす影響も異なると考えられます。そこで,土壌呼吸の生態系ごとの,または地域ごとの特性を把握した上で,地球温暖化に伴い土壌呼吸がどのように反応するのか,またはその結果が温暖化にどのような“フィードバック効果”を示すか,を明らかにすることは国際的な急務となっています。

CO2濃度への影響のグラフ
図3 土壌呼吸のQ10を2.0とした場合,気温の上昇に伴う微生物呼吸の促進とそれによる大気中CO2濃度への影響

3.日本の森林土壌有機炭素の蓄積量

 我が国の森林面積は国土面積の約70%を占めるとともに,適切な森林管理によるCO2吸収源として年間約1,300万トン炭素の蓄積能力が国際的に認められました。これは我が国の基準年(1990年)排出量の3.8%に相当します。また,昭和38年から42年にかけて全国で実施された“林地土壌生産力研究”の3,391ヵ所の土壌断面の有機炭素含有量と容積比重のデータを用いると,深さ1メートルまでの森林土壌有機炭素の貯留量は46~54億トンと試算されました。これらの試算から求めた日本の森林土壌の有機炭素貯蔵量(ヘクタールあたり平均188トン)は,世界の温帯林と北方林の土壌(ヘクタールあたり平均117トン)に比べて明らかに多いため,日本の森林における土壌呼吸速度の現状を把握することの意義は大きいと考えられます。

4.土壌呼吸速度の測定方法

 土壌呼吸速度の代表的な測定法は,密閉チャンバー法です。筆者らは,森林炭素収支におけるプロセスの相互作用と時空間変動,および土壌に対する根呼吸と微生物呼吸の寄与を明らかにすることを目的として,土壌呼吸を多地点で連続測定できる「マルチ自動開閉チャンバー式土壌呼吸測定システム」の開発を進めてきました。チャンバーは,透明な塩化ビニール板を用いて製作され,自動開閉できる箱です。このシステムの特長は,a.チャンバーが大型である(標準タイプで縦90cm×横90cm×高さ50cm),b.チャンバーが透明である(土壌および植物周辺の環境に影響を与えない。草本や幼樹の光合成速度の測定も可能),c.1台の分析計で多数のチャンバーの測定ができる(赤外線CO2分析計はシーケンス制御され,標準システムは8基から24基までのチャンバーを駆動することが可能),d.測定方式が密閉循環法であるため,測定時間が短い,等です。本チャンバーシステムは,世界のフラックス観測ネットワーク(FLUXNET)に高く評価され,現在ユーラシア大陸に広く分布するカラマツ林を始め,アラスカや西シベリアの北方生態系から,日本や韓国,中国の冷温帯林と温帯林,または東南アジアの熱帯季節林と熱帯雨林において,標準的な手法として土壌呼吸の連続観測を展開し続けています(図4)。

観測網の図
図4 チャンバーネットワークによる土壌呼吸の観測
 (青の丸と矢印は通常の土壌呼吸観測地点,赤の星と矢印は温暖化操作実験を行っている土壌呼吸観測地点を示すものである)

5.土壌呼吸の温暖化操作実験

 温暖化に伴う我が国の森林生態系における土壌炭素放出の応答特性を解明することを目的として,環境省地球環境研究総合推進費「土壌呼吸に及ぼす温暖化影響の実験的評価(平成19~21年)」により,典型的な森林生態系である,最北域の針広混交林(北海道大学天塩研究林),東北地方の冷温帯ミズナラ林(青森県岩木山南麓),日本海側のブナ林(新潟県苗場山),関東地方のアカマツ林(茨城県つくば市国立環境研究所構内),西日本のアラカシ優占林(広島県東広島市鏡山)および九州地方のイタジイ林(宮崎大学田野フィールド)を対象に,温暖化操作実験を展開しています(図5)。各サイトには,15基の自動開閉式の土壌呼吸測定チャンバーを設置しました。土壌微生物呼吸のみを測定するため,15基のチャンバーのうち10基のチャンバーについては,チェーンソーを用いて底面の1メートル四方に沿って深さ40センチメートルの“根切り”を行った後に,塩ビ板で深さ25センチメートルまで土壌を仕切ること(トレンチ処理)により根呼吸の影響を排除しました。また根切り処理を施したチャンバー10基のうち5基のチャンバーについては,棒状赤外線ヒーターを高さ約1.6メートルに設置し,チャンバー周辺の深さ5センチメートルの地温を人工的に約2.5℃上昇させました。土壌呼吸速度の測定は,15基あるチャンバーの蓋を順に閉じた後の中のCO2と水蒸気の濃度の時間変化を測定して計算します。その間,他のチャンバーは開放して土壌条件を自然状態にしています。2007年と2008年の結果より,ヒーターを設置していない対照区に比べて,温暖化区における土壌呼吸速度は,森林による昇温1℃あたり3.5%から19%増加したことが観測されました。

分布図
図5 土壌呼吸の温暖化操作実験サイトの分布

6.今後の展望

 温暖化に伴って,森林生態系がCO2の吸収源として機能し続けるのか,放出源になるのかに関する知見は,依然憶測の域を出ていません。そこで,今後も多様な生態系や環境条件下で実験を継続し,土壌炭素放出の温度応答メカニズムを生態系や地域ごとに解明したうえ,温暖化した際に我が国のような湿潤な森林土壌が,今まで以上により吸収源として機能するのか,逆にどれほど放出源に転換するのかについて,定量的な評価を行うことが必要だと考えられます。また,本研究で得られたパラメータを気候-炭素循環結合モデルに組み込むことにより,将来の陸域生態系炭素循環とその影響をより正確に評価できるようになると期待できます。

 

(りゃん ないしん,地球環境研究センター 
炭素循環研究室主任研究員)

執筆者プロフィール

筆者の梁乃申の写真

 1991年から当時文部省の国費留学生として新潟に来日してから,また1997年に当時の科技庁科学技術特別研究員として入所した後も,バトミントンやバレーボール,スキーのクラブで楽しんでいます。最近,小学校2年生の息子はアジアチャンピオンのもとで柔道を始めました。