データ空白域での温室効果ガス観測 −中核プロジェクト1 「温室効果ガスの長期的変動のメカニズムとその地域特性の解明」から−
【シリーズ重点研究プログラム: 「地球温暖化研究プログラム」 から】
向井 人史
1. 温室効果ガスの観測
世界気象機関にある温室効果ガスのデータベース(World Data Center for Greenhouse Gases,(WDCGG))を見ると120ヵ所程度の地点が二酸化炭素(CO2)を観測している場所として登録されていますが,その中でアジアやシベリアなど極東の観測地点はそれほど多くはありません。しかしCO2など大気中の温室効果ガスは,発生源の分布や,吸収または消滅源分布並びにその強度に影響され,緯度や地域毎に濃度や変化パターンが異なることが知られています。したがって,現在データのない場所も含めたより詳細な観測が必要です。
1~2年程度のゆっくりした濃度上昇を,よく空気の混ざった南極や太平洋の真ん中(例えばハワイ)で観測すれば,地球の全体の動きを知ることができますが,どこの地域で発生源や吸収源がその濃度変動に影響しているかを知るためには,地球全体に空気が混ざってしまう前に濃度を観測する必要があります。つまり発生源や吸収源の比較的近傍での地域的分布や垂直方向分布の測定が大切になります。本年1月に温室効果ガスのグローバルな観測のための衛星(GOSAT)「いぶき」が打ち上げられ宇宙から地球全体のCO2濃度を観測するという壮大なプロジェクトが進んでいますが,GOSAT衛星から観測されるCO2濃度の精度検証のためにも,各地での精度の良い観測データが必要になってきています。1地点での観測値の絶対精度を比較すると,実際の空気を測定セルの中に通して基準ガス濃度と比較して濃度を決定するという従来の分析方法が,衛星のように遠隔から基準ガスなしで測定する観測値より1桁以上精度が高いことがわかっていますので,面的に広い情報を与える衛星と,点での精度の高い従来の観測をうまく組み合わせる必要があります。本プロジェクトでは,シベリアも含むアジア地域やオセアニアでの精度の高い観測を観測データの空白域と考えられるところに展開する取り組みを行っています。
2. アジアの重点観測地域
CO2発生量や吸収量変動に大きな影響を与えていると考えられる地域に東南アジアがあります。例えば,エルニーニョが観測される年では,東南アジアで気温が上がり乾燥化するために光合成量が減少し,土壌呼吸(研究ノート「地球温暖化に伴う森林土壌有機炭素の変動を探る」参照)が増加すると考えられます。また森林火災が広い範囲で起こる地域でもあります。この際,地上の森林だけでなく地面の下のピート(泥炭)が燃えることによって,さらに多くのCO2が大気に放出されているのではないかとも考えられています。これらが原因で,インドネシアのCO2発生量は,日本の人為発生量以上かもしれないと考えられています。しかしながら,この地域でのCO2の観測地点の数は限られており,正確な濃度分布や発生量変動が観測できていません。本プロジェクトでは,この地域に毎月航行する貨物船舶(フジトランスワールド号(FTW),トヨフジ海運所属)に協力していただいて,CO2,CO(一酸化炭素),オゾン,粒子状黒色炭素成分などの観測を開始しています(図1)。同時にフラスコによる大気のサンプリングを行い,炭素の安定同位体比や放射性炭素,酸素濃度などの分析を行っています。森林燃焼などによるCO2濃度の増加には,放射性炭素の含量を調べることが有効な手段かもしれません。化石燃料の燃焼によるCO2発生には,放射性炭素の増加を伴いませんが,森林が燃えるとその中に含まれている放射性炭素が出てくるので,その濃度が変化するはずです。また森林燃焼ではメタンも発生するので,CO2と同時観測ができれば森林燃焼と化石燃料の燃焼を見分ける有効な指標になるかもしれません。そこで,レーザーを用いたキャビティリングダウン(CRD)法という長光路の赤外吸収測定法の一種を用いた装置を船舶での観測に導入することにしました。これまでメタンの観測は水素燃焼を伴う検出器を備えたガスクロマトグラフィーを用いないと精度の高い観測ができませんでした。しかし,水素を船内で使うことは危険であることからこのCRD法が従来法に代わる新しい観測法として期待されています。
本プロジェクトで,もうひとつ注目しているのがインドや中国での観測です。アジアの中緯度域の内陸部での温室効果ガスの観測データはこれまでありませんでした。一方でインドや中国での経済の発展はここ数年で大きく進んでおり,特に中国でのCO2の発生量はアメリカの発生量とほぼ同じになっていると考えられています(図2)。また,インドのCO2の発生量も日本と同じ程度になっていると考えられ,両者の経済活動の大きさは,アジアでのCO2の地域的な濃度分布に変化をもたらすほど大きなものとなってきています。例えば,ここ数年,波照間で冬季に観測されるCO2の濃度が相対的に大きくなって来ていることがわかってきました(図3)。このことは,アジアでのCO2の濃度分布が変わりつつあることを示唆しています。その一方で,中国では植林も活発化しており,それらが周辺のCO2濃度分布にどのように影響するかを詳しく調査する必要もあります。またCO2以外にも世界の中でも中国で発生量が多い温室効果ガスとしての代替フロン類なども,波照間での観測からそのアジア域での分布の変化への寄与の大きさが示されてきました。
3. 高さ方向のCO2分布の特徴
高さ方向にどのようにCO2が分布しているのかを調べることが,地上の発生源強度を推定するためには非常に有効であることから,航空機での観測も日本航空(JAL)による協力を得ながら行っています。航空機ではアジアばかりでなく,ハワイやヨーロッパ各地の空港上空で高さ方向のCO2濃度分布が観測されています。これによると,アジア付近の中緯度地域の下層のCO2の濃度は,ヨーロッパなどに比べると有意に濃度が高いことがわかってきました。観測の頻度が最も多い成田上空のデータから,日本域でのCO2の発生密度が高いことが読み取れます(図4)。CO2濃度は,ハワイやオーストラリアまでいくとほぼ高さ方向に均質の濃度になることから,高さ方向の混ざり方も意外に早いことがわかりました。一方,フランスのようなヨーロッパ大陸内部では,夏になるとCO2の下層の濃度が上空より低くなり,植物による吸収量が相対的に大きいことが示されてきました。
3000m程度の高さ方向の分布は,飛行機以外に,富士山のような孤立した山を観測タワーとして用いて測ることもできます。しかし,富士山での観測では,冬季に人が近づきがたいので,特別のCO2測定システムが必要となります。このために,電源などを含めた装置の開発研究も行っています。昨年の夏に試験的に動かした観測システムは,夏の間はほぼ期待通りに動くことがわかりましたが,冬の零下20℃の条件下で,運転にどれだけ耐えるのかなどの試験を現在行っている最中です。富士山から毎日CO2のデータが自動的に届く日はそれほど遠くないと期待しています。
4. 観測からモデルへ
このように,各種のデータを広い範囲で高精度に収集することは大変労力と時間がかかる研究ですが,得られたデータを用いてモデル計算を行うことによってCO2などの温室効果ガスの地域的な発生量および吸収量の特徴を抽出することができるようになります。これは,インバースモデルと言われている方法で,ある最初の条件を与えて時間経過後の状態を予測する従来の計算の答えと問題を逆にしたようなものです。つまり観測値から,発生量・吸収量の分布を予測するというものです。この方法の精度を高めることによって,グローバルなCO2の濃度増加速度の年々の変化の原因が,どの地域のどのような循環過程の変動によるものか究明できるものと考えられています。このような本プロジェクトでの地道な研究により,アジア地域での温室効果ガスの動態が明らかになり,この地域の将来の温暖化対策を考える上で有効な情報を与えることを願っています。
炭素循環研究室長)
執筆者プロフィール
温室効果ガスを測定するために機器を組み立てる仕事が多い。小さい時からなにかを組み立てることは大好きである。しかし,このところ近くが見えにくくなってきたので困る。もともと遠くもよく見えないので,しかたなく最近は何事も心眼を駆使するように努力している。
目次
- 環境の研究 —自然・社会との対話—【巻頭言】
- 陽子移動反応−質量分析計を用いた大気中ホルムアルデヒド濃度の決定【研究ノート】
- 地球温暖化に伴う森林土壌有機炭素の変動を探る【研究ノート】
- 東京湾における調査研究 : 着想,準備から実施に至るまで【調査研究日誌】
- 「国立環境研究所創立35周年記念式典」が開催されました【研究所行事紹介】
- 「第24回全国環境研究所交流シンポジウム」報告【研究所行事紹介】
- 「第28回地方環境研究所と国立環境研究所との協力に関する検討会」報告【研究所行事紹介】
- 平成21年度の地方公共団体環境研究機関等と国立環境研究所との共同研究課題について
- 独立行政法人国立環境研究所公開シンポジウム2009 『今そこにあるリスク − 環境リスクの真実を語ろう −』
- 新刊紹介
- 表彰
- 人事異動
- 編集後記
- 国立環境研究所ニュース28巻1号