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独立行政法人国立環境研究所の研究業績とその評価研究の効率性

参与 大井 玄

 行政改革に基づく第1期中期計画が始まった。当研究所も研究成果の評価を受け,評価結果に応じた予算配慮がなされることになる。とすれば,問題の一つはどのような評価が妥当であるかということだろう。

 日本が手本としたとされるニュージーランドの行政改革では,人間は利己的経済主体であり,研究も経済行為と措定されている。法人化された国立研究所の研究成果は,効率よく,短期間に経済利益に結びつくことを最重視した基準で評価される。具体的には末端利用者(企業)の要望に応える度合いで評価が決まる(大井玄・大塚柳太郎「ニュージーランド行政改革と高等教育および科学研究への影響予備調査報告2000年」参照)。日本でも総合科学技術会議がとりあげた重点プロジェクト諸研究の目標は,短期の経済利益を重視する姿勢が明らかである。ニュージーランドとは重点分野が異なるものの,評価者に企業人が加わる割合が増えるものと予期される。

 しかし環境分野で,短期経済利益を重視する視点からの評価が,どれほど幅広い妥当性を持つかは今後批判的に検討する必要がある。なぜなら,第一に環境保全は,防衛,医療福祉などと同様,国家が国民に保証すべき最も基本的なサービスという性格を持つ。経済利潤を目指す市場での競争にはそぐわない場合が多い。当研究所に国立の名称を残した理由は,経済利益よりも公正で中立な研究成果を産むことが要請されるからである。

 第二に,環境研究は広義の応用研究であるとしても,その研究成果は実効性ある環境政策に翻訳されて初めて十分な価値が生ずるという性格がある。国立環境研究所が環境省と運命共同体とも云うべき関係にある理由もここにある。とすれば,研究者を超えた政治等の次元の理由で研究成果が政策として生かされない場合,どのように評価するのか。

 第三に,環境問題は多くの地域で一国だけでは対応できないほど深刻化しており,複数の国々による共同研究が必須になっている。その一例として中国の水資源不足があり,これには対国家的研究遂行責任が求められる。つまり大学や企業の環境研究機関では担いがたい任務も評価要因に入ってこよう。

 いずれにせよ環境研究のユニークな点は,政策転化の必要性とそのタイミングの適切さにある。人間活動は地球環境の平衡保持力の限界を超え,地球温暖化や化学物質による全地球的汚染として現れ,その影響は不可逆的である可能性がある。この状況下,研究の評価責任は極めて大きい。評価者の問題認識の切実さ,経済利益か環境かという価値観の方向性によって生か死の違いが生じよう。

 たとえば地球温暖化の将来について,研究者たちは複数のシナリオを描いている。最悪のシナリオは高度経済成長・化石燃料消費型モデルの選択であり,今後10年ごとに20世紀が体験した程度の気温上昇が起こるという。この際,モデルの選択そして同時に研究評価は,評価者の価値観の方向性により全く異なることはいうまでもない。事実,アメリカは高度経済成長・化石燃料重視型モデルをそのエネルギー戦略の基本に置いた。ニュージーランド型評価でいうならば,研究成果である環境重視型シナリオは,末端利用者(政治家)の意向に合致しなかった。そして,採択されなければ研究への支払は減額をまぬがれない。

 当研究所の研究評価に,このような悪夢に似た事態が起こらないよう望むこと切である。

(おおい げん,参与)

執筆者プロフィール

 本年四月より国立環境研究所参与。荒廃しつつある日本のこころの問題を扱う一環として都立松沢病院にも通っている。自分よりも桁の違う変人たちに囲まれて,身を小さくしてしかも快適に学ばさせてもらっている。