多種多用な化学物質評価のための
試験法開発について
特集 生態影響の包括的・効率的な評価体系の構築を目指して
【研究ノート】
山岸 隆博
はじめに
世界で最も利用されている化学物質データベースのChemical Abstracts Service (CAS)は、2015年にその登録件数が1億に達したことを報告しています。2019年にはその件数は1億5千万に達し、この間、1分に約24件のスピードで新たな化学物質が登録された計算になります。今、多種多様な化学物質の開発に伴い、これらの化学物質が環境中に放出された際の安全性評価を目的とした多岐にわたる化学物質の作用解明と、それらを検出・評価するための新たな試験法開発が求められています。例えば、ホルモン(生体の器官でつくられ、代謝や発生、恒常性の維持に関与する生理活性物質)様の作用を有する化学物質は、それが水環境中に放出されると水生生物の内分泌系をかく乱し、個々の生物や生態系に有害な影響を及ぼすことはよく知られた事実です。中でも女性ホルモンの一種、エストロゲンや合成女性ホルモンは、生活排水を介して水生生物のメス化を引き起こすことが知られています。環境中において個体や個体群に有害な影響を及ぼすであろうこれらの化学物質は「内分泌かく乱物質」あるいは「環境ホルモン」と呼ばれ、これまでに様々な観点から科学的な検証がなされると同時に、メダカやカエル、ミジンコなどのモデル生物を利用した内分泌かく乱物質の検出・評価系が複数開発されてきました。例えば、化学物質やその混合物の安全性に関する知見を得るための国際的に合意された試験法コレクションの1つであるOECD(経済協力開発機構)テストガイドラインには、魚類を用いた内分泌かく乱物質の検出試験として、肝臓中ビテロジェニン(女性ホルモンにより誘導される卵黄タンパク質)量と生殖腺の病理を指標とした魚類21日間スクリーニング試験(OECD TG230)や産卵数などを指標とした21日間魚類短期繁殖試験(OECD TG229)などがあります。一方で、TG230やTG229は試験の原理上、テストステロンなどの男性ホルモンの働きを阻害する抗男性ホルモン作用を検出できないことから、近年我々のグループでは、その形成に男性ホルモンが密接に関与している乳頭状小突起(雄のメダカの尻ビレに形成される突起:図1)の形成を指標とした抗男性ホルモン物質のスクリーニング試験を新たに開発してきました。さらに、節足動物に特異的な内分泌かく乱として、ミジンコのオス化を引き起こす幼若ホルモン(昆虫の成長および変態を調節するホルモン)作用を有する物質や脱皮ホルモンをかく乱する物質のスクリーニング試験などを新たに開発しています。また、化学物質種の急速な増加により、種間の感受性差を考慮する必要性は一段と増しており、生態系全体を考慮した信頼性の高いリスク評価のためには、モデル生物のみならず幅広い生物種を用いた試験法の開発も求められています。一方で、安全性評価を目的とした試験を膨大な数の化学物質すべてに実施することは非常に難しいという問題もあり、試験法開発においては試験期間の短縮化や簡易化が求められるのはもちろん、スクリーニング試験の重要性も増しています。
植物ホルモンかく乱作用物質のスクリーニング法の開発
「ホルモン」とは一般的に動物(無脊椎動物および脊椎動物)の体内で生成・分泌され、特定の臓器や細胞で作用する生理活性物質を指しますが、実は植物にも「ホルモン」は存在します。それは「植物ホルモン」と呼ばれ、動物に相当する分泌器官や標的器官が存在しないこと、輸送メカニズムが動物のものとは異なること、同一のホルモンであっても作用部域や濃度の違いにより著しく作用が異なることなどから動物における「ホルモン」とは区別されていますが、「植物ホルモン」も、植物の機能調節に重要な役割を果たす生理活性物質です。これまで、オーキシン、ジベレリン、サイトカイニン、アブシジン酸、エチレンなどの「植物ホルモン」が発見されており、これらはそれぞれが相互作用しながら形態形成や成長、分化を制御しています。中でもオーキシンは細胞伸長や細胞分裂の制御に関与する「植物ホルモン」であり、アゴニスト(類似作用を示す物質)やアンタゴニスト(拮抗物質)によるオーキシンのかく乱は、動物で問題視されている内分泌かく乱と同様に、植物においても有害作用として重大なインパクトになると考えています。実際、2,4-DやMCPAなどのオーキシンアナログはホルモン(オーキシン)型除草剤として利用されていますし、その作用は明らかになっていないものの、オーキシンと類似構造を有する化学物質は多数存在しています。
オーキシンは、二重結合を有する環構造とそれから1または2個の炭素原子を隔てたカルボキシル基をもつ構造が特徴で、環構造およびそれに隣接した側鎖の存在がオーキシンの活性中心であることが報告されています(表1)。最近、我々は複数の非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)が陸上植物の発芽・発根を阻害することを明らかにしました。NSAIDsは体内で痛みや炎症などを引き起こすプロスタグランジン(PG)の生成を抑えるよう作用するもので、近年、処方薬から市販薬まで幅広く活用されています。実は、NSAIDsの中にはインドール構造(ベンゼン環とピロール環の縮合構造)をはじめ、オーキシンと類似構造を有するものが多数存在しています(表1)。阻害作用が認められたNSAIDsは側鎖にカルボキシル基をもつなどオーキシンと何らかの類似構造を有しており、NSAIDsの発芽・発根に対する阻害作用はそれらが有するオーキシンかく乱作用によるものであると推測されました。
このことを検証する目的で、ニンジン(学名:Daucus carota L.)のカルス(未分化細胞塊)を利用した組織誘導試験とタバコ(学名:Nicotiana tabacum L.)BY-2培養細胞を用いた増殖試験を開発しました。ニンジンカルスは、オーキシン存在下でのみ増殖するのですが、外部のオーキシン濃度低下はシュート(植物の地上部)や根への分化を誘導します。したがって、カルスにおける被験物質の組織誘導作用を見ればオーキシンのかく乱作用を検証できると考えました。結果は、オーキシンと類似構造を有するNSAIDsは、ニンジンカルスの組織誘導を大きく促進するというものであり、つまり、NASIDsのオーキシン拮抗物質としての作用が示唆されました。また、タバコBY-2細胞は、オーキシン合成能を失った細胞で、外部オーキシンの存在下でのみ増殖できるという特殊な細胞です。オーキシン無添加培地へのNSAIDsの添加がBY-2細胞の成長を促進しないことや、オーキシン添加培地へのNSAIDsの添加がBY-2細胞の成長を抑制したことなどの結果から、組織誘導試験と同様にNASIDsのオーキシン拮抗物質としての作用が示唆されました。
まとめ
インドール構造は、天然オーキシンの基本構造でありますが、2003年以降、インドール構造を有する化学物質は医薬品で400種以上、さらにその誘導体を含めると数千の記載があります。植物ホルモンのかく乱作用は、花芽の形成や結実、形態の異常などに現れる場合が多く、その影響評価には世代をまたぐ長期試験が必要となります。本試験で開発した2つの試験法は、短期間かつ省スペースで行えることから、植物ホルモンかく乱物質のスクリーニング試験として非常に有用であると考えています。また、カルス細胞の植物ホルモンに対する反応性は非常に高く、今後、オーキシンのみならず他の植物ホルモンかく乱物質のスクリーニング法としても利用できると考えています。
執筆者プロフィール:
戦後の高度経済成長期に深刻化した日本の環境汚染問題も、法整備や行政機関の様々な取り組みにより大きく改善しました。しかし本当にそうでしょうか。今、真に環境で何が起きているのかを知り、後世に豊かな環境を引き継ぐための研究を進めています。