ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

南極レポート(第6回:「越冬交代」)(2008年度 27巻1号)

【海外調査研究日誌】

中島 英彰

 前回の南極レポートでは,昭和基地における廃棄物・汚水処理の現状と,基地の発電コジェネレーションシステム,アデリーペンギンのルッカリー観察についてお話しました。今回は,今年2月1日に行われた第48次南極地域観測隊から第49次隊への越冬交代にまつわる話題について紹介したいと思います。

<1.昭和基地への第1便到着>

 今回の隊では,昨年末の12月17日に,「しらせ」から昭和基地へヘリコプターの第1便が飛んできました。一昨年の場合は12月19日でしたが,例年このくらいの時期に,まだ昭和基地からは50海里(約90km)ほども離れている「しらせ」から,第1便が昭和基地に向けて飛び立ちます。第1便には観測隊長と「しらせ」艦長,報道関係者,艦の記録係(写真長)の他に,我々が心待ちにしていた家族からの手紙などが入った託送品(一人あたり3kgまで!)と,新鮮な野菜(キャベツ,玉ねぎ等)や果物(すいか,りんご),生卵や新しいビールなどが届けられます。その夜の食卓には,これら新鮮な食材が並ぶのですが,ビフテキやお刺身などは食べ飽きている我々も,キャベツのしゃきしゃきとした歯ごたえや,すいかのみずみずしさに,「世の中にはこんな美味しい食べ物があったんだ」,と改めて感激しました。また,夕食の後はみなそそくさと自室に戻り,家族からの手紙や写真などを繰り返し繰り返し読みふけります。最近でこそインターネットや衛星電話の普及で昔ほどではなくなりましたが,それでもなお,家族からの生の手紙や写真を見ると,懐かしさもひとしお盛り上がってきます。あと,越冬中にこわれたメガネや時計を送ってもらった隊員もいたようです。

<2.夏作業(荷受・持ち帰り輸送)>

 南極レポートの第1回「プロローグ」で,基地管理・維持のための過酷な夏作業について紹介いたしました。今回の夏作業の中心となるのは,新たに昭和基地入りした第49次隊員です。その中には,1年前に帰った第48次夏隊員も4名ほど含まれていて,ヘリポートでほぼ1年ぶりの再会を喜び合いました。

 さて我々第48次越冬隊員の仕事はというと,そりによって氷上輸送されてきた物資,もしくはヘリコプターでヘリポートに運ばれてきた物資の荷受作業というのがあります。具体的には,トラックやクレーン車を使って,観測物資や建築資材などを,次の隊が仕分けして使いやすいよう,何箇所かある集積場所まで運搬します。運んだ物資の合計量は,「しらせ」とパイプラインで結んで運んだ発電燃料用軽油450トンをのぞいても,合計420トンにもなりました。あと,前回の南極レポートで紹介した,合計240トンほどの廃棄物の持ち帰り輸送があります。これら,ヘリコプターの運行スケジュールによってさまざまに変化する複雑なオペレーションも,1年間培ってきたチームワークで,てきぱきとこなすことができました。あと,第49次隊に基地を引き継ぐための,基地のさまざまな場所の大掃除も実施しました。

<3.観測等の引継ぎ作業>

 昭和基地の気象・電離層・オーロラ・大気・雪氷・生物・地震・重力・潮汐等,多岐に渡る観測項目は,伝統的にこれまでの観測の継続性などから,定常・モニタリング・(重点/一般)プロジェクト研究・萌芽研究等の観測項目に分類されています。これら各観測項目は,1957年に第1次隊が昭和基地を開設して以来,1962~1964年までの3年間の中断はあるものの,それぞれ長期間に亘る貴重な観測データの蓄積があります。このような長期観測データの中から,「オゾンホール」や「温室効果ガスの増加率の変化」など,重要な発見がなされてきています。この昭和基地における観測を担当する各研究系隊員は,約1ヵ月間のオーバーラップ期間に,観測の引継ぎを行います。とはいっても,昼間は夏作業を行っていることが多いので,引継ぎは夕食後に行うことがしばしばとなります。また,新聞係やレクリエーション係,バー,図書,漁協,農協,理髪係,ソフトクリーム係,ビール工房など,生活系の係についても,それぞれの隊の担当係長が引継ぎを行いました。

 1日中太陽の沈まないこの時期,昭和基地では明るいことをいいことに「残業」が当たり前となり,それをとがめる労働組合も労働基準監督署も存在しません。それでいて夜は夜で,隊次を越えた交流会が「しらせ」乗組員を含めて夜(昼?)遅くまで各所で開催され,各隊次間の友好親善に役立っていました。

<4.昭和基地越冬交代>

 約1ヵ月間にわたる,夏作業期間,引継ぎ期間を経て,毎年2月1日に前次隊から次の隊への越冬交代が行われます。朝一番で布団を片付け,部屋を清掃し,午前9時から基地中央広場(一九広場)にて越冬交代式が執り行われます。越冬交代式では,観測隊の中でも越冬隊のみが,それぞれ両越冬隊長を筆頭に相手の隊に向かって整列します。

 両隊長の挨拶の後,越冬終了する隊員が1名ずつ,宮岡第48次越冬隊長から名前を呼び上げられ,大きな声で返事をします。みな,越冬を無事に終了したという満足感と自負からか,いつもにはない大きな声で返事をしているのが印象的でした。次に,これから越冬を開始する第49次越冬隊員が1名ずつ,牛尾第49次越冬隊長から名前を呼び上げられ,返事をします。この返事には,これからの1年間の越冬を承認するという意味も込められています。

 その後両次隊員は,サッカーの選手が試合前に相手チームの全員と握手するような要領で,一人一人握手をして進み,越冬交代の思いをそれぞれ告げていきます。例年越冬終了する隊員は,この場面で自然と涙ぐんでしまう隊員もいるようです。

 この瞬間から基地の運営は新49次隊員にバトンタッチされ,式の司会進行も第48次隊庶務隊員から第49次隊庶務隊員に引き継がれます。

 その後,隊長らによる鏡割り,乾杯,しばしの歓談の後,両隊,各隊,同じ観測部門の隊員などがそろっての記念写真撮影(写真1)が行われました。その後は,第48次隊員は引継ぎの残務作業等で基地に残る必要のある一部の隊員を除き,「しらせ」へとヘリコプターでピックアップされていきます。この時は,基地に残る第49次隊員が総出で,ヘリポートで見送ってくれます。ヘリポートでの涙の別れを経験した後,ヘリコプターで「しらせ」へと運ばれた我々は,今度は「しらせ」飛行甲板にて,「しらせ」艦長はじめ幹部総出での越冬慰労の拍手に浴することとなりました(写真2)。これは我々をちょっと誇らしい気分にさせてくれました。これから,オーストラリアのシドニーまで,海洋観測を実施しながら,約50日間の船旅が待っています。

写真1 (クリックで拡大表示)
写真1 第48次越冬隊(青ヘルメット),第49次越冬・夏隊(黄ヘルメット),「しらせ」幹部乗組員(オレンジヘルメット)そろっての記念写真
 この時昭和基地を訪れていた,内陸トラバース旅行を終えたばかりのスウェーデンからの交換科学者と,今年一杯で退役する「しらせ」にかわって来年の昭和基地への輸送を担当するため,昭和基地へ視察に来ていた,オーストラリア砕氷船のアイスパイロットの分も含め,国旗が掲揚された。(拡大表示)
写真
写真2 「しらせ」へ降り立ったときの歓迎風景
 中央で我々越冬隊一人一人に握手をしてくれているのが品川「しらせ」艦長。後ろに並んでいるのは,「しらせ」幹部士官。

 次回の南極レポートは,帰国後に南極行きのまとめとして,おそらく最終回となる「エピローグ」を書く予定です。お楽しみに。

(なかじま ひであき,大気圏環境研究領域
主席研究員)

執筆者プロフィール

 国立環境研究所に来て丁度10年目の年に,つくばから南極に脱走計画を企て,1年間の南極昭和基地での越冬生活を終え,現在今回が最後の南極航海となる「しらせ」の船室内にてくつろぎ中。昭和基地ではインテルサット衛星経由の,1Mbps常時接続のインターネット三昧の生活でありましたが,ここ「しらせ」ではインマルサット衛星による,1日6回,最大500kBのメールのみが使える生活(しかも,公用メール以外は¥3.3/kBの課金つき!)。2ヵ月間のインターネットのない生活は,久々に世界の情報源から隔離されているような気分です。