ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

環境研究のフロントとしての国立環境研究所

論評

鷲田伸明

 「イデオロギー」という言葉が死語になったと言われて久しい。しかしイデオロギーが,ある集団の歴史的・社会的立場に基づいて生まれた基本的な思想や理念であるとするならば,イデオロギーは決して死語とはならない。昭和49年に我が国の最初の総合的環境・公害研究を担う場として設立され,すでに四半世紀にわたって日本の環境研究を先導してきた国立環境研究所(旧国立公害研究所)には,独立行政法人化にかかわりなく,確固として根付いてきたイデオロギーがある。研究所発足にあたって作られた「茅レポート」,独立行政法人化を目前にして研究所が作成した「中核的環境研究機関のビジョン」などを見れば明白なように,そこには「国立環境研究所が我が国の環境研究のフロントであり続ける,あり続けねばならない」という一貫したイデオロギーが流れている。このイデオロギーが決して研究所のひとりよがりでないことは,一度研究所を離れ,外部から客観的に我が国の環境研究の現状と国立環境研究所の位地取りを見ればさらに良く分かる。少なくとも我が国において,社会系から理工系さらには医学系にまで拡がる分野の200人近い研究者が日常的に接し合い,四半世紀にわたって環境研究を続けてきたという場は国立環境研究所をおいてほかには無いのであって,この間に行われた知的訓練,蓄積された知的財産は他の追従を全く許さない。その意味において,研究所にかかわっている人達はまず,この環境研究のフロントとしての国立環境研究所を強く,強く意識する必要がある。

 しかしながらフロント意識をエリート意識として将来にわたって強く持ち続けることが易しいことでないのは言うまでもない。なぜならフロントそれ自体がどんどん変化していくからである。かって研究所の創成期にあっては,環境にかかわるプロセス研究そのものが環境・公害研究のフロントであり得た。特に公害研時代は公害などという得体の知れない対象を学問・研究の俎にのせてみること,それ自体が野心的であり,個別の学問分野で教育を受けてきた者にとっては新しい冒険であった。しかし現在は大学などにおいても環境にかかわるプロセス研究が定着しつつあり,学生の関心も高く,プロセス研究は各大学の個別の研究に任せてもよい時代となった。むしろこれらのプロセス研究を包括・統合し,さらなる研究の必要性を開拓することがフロントとしての研究所に課された課題である。その意味において,平成元年の組織見直しで誕生した地球と地域の総合部門や地球環境研究センターは,プロセス研究を乗り越えて環境研究の総合化,体系化を目標とする点で新しいフロントを模索する試みであった。この試みは時期尚早であったのか,我々が最も苦手とする研究アプローチであったのか(我が国の研究者は対象を総合的に捕らえ考える訓練を教育機関において受けていない),未だ十分な成功を見るに至らず,むしろ途上にある。それでも,研究所が我が国の環境研究を先導し,そのフロント性を示していくには,たとえ困難であってもこの総合化,体系化を模索する姿勢を崩してはならない。

 国立環境研究所において,世界にアピールできる優れた研究が生まれるか否かは,そこに居る研究者の資質にかかっている。環境研究のフロントである研究所は優れた資質の研究者が十分にその能力を発揮できる機構を堅持することは当然であるが,と同時に部や室のプロセス研究のお手伝いという安易な考えで人を採用したり,使ったりしないことも極めて重要である。大学に来て知ったことは,優れた能力を持つ学生ほど,各教室で行っている細かいプロセス研究に満足せず,もっと総合的に物事を考え,研究したいとの願望を持っている。現代日本の就業環境の問題点は,「努力してもしなくても,報われている(あるいは,きた)中高年層」と「努力しても報われる見込みのない若者」の併存であるという人も居る。フロントの使命の一つには,優れた若者に希望を与えることがある。

 研究所がフロントであり続けるためには苦しいことも多々ある。現在,貴重な人材を二人もさいている総合科学技術会議への協力も,研究所にフロントとしてのイデオロギーがあるからに外ならない。フロントとしての強い意識が決して研究所の一部の人のものでなく,研究所にかかわる人達全員の志であることを願ってやまない。

 この原稿を書いている最中に元大気圏環境部研究員であった沼口敦君の訃報に接した。沼口君は研究所の大気・海洋結合大循環モデルの構築に尽力し,東京大学に移ってからも大気物理研究室の研究に大いに協力して下さった俊才であった。私は彼にも大気研究の総合化を期待していたが,誠に残念である。心からご冥福を祈る。

(わしだ のぶあき)

執筆者プロフィール

 1940年生まれ,東京工業大学で博士課程終了後,同学助手,西ドイツボン大学,米国カリフォルニア大学(ロスアンゼルス校)で博士研究員を経たのち,昭和49年に国立公害研究所に入所,研究所において一人前の研究者に育てられた。専門はフリーラジカル反応を中心とした大気化学。停年のこともあり,昨年後髪をひかれる思いで独法化をひかえた研究所から,京都大学大学院理学研究科に異動。大学では「反応動力学」という堅い講義を担当している。