気候変化研究のための陸面過程モデルの開発
江守 正多
産業革命以降,人間活動に伴う炭酸ガス(CO2),メタン(CH4)などの温室効果気体の大気中への放出や,森林伐採などにより,地球の気候システムは目に見える変化を示してきており,今後100年にその変化はさらに大きくなることが危惧されている。このような気候システムの将来起こり得る変化を見通すために,数値モデルによるシミュレーションは有力な手段である。数値モデルはできる限り物理法則にのっとって現実を再現するように作られるが,我々の現象理解の限界,計算機能力の限界,境界条件などの観測データの限界によって,少なからず不確実なものにならざるを得ない宿命を持っている。したがって,でき上がったモデルを使って将来を見通す努力と同時に,モデルを絶えず検証し改良する努力,モデルの不確実性の程度を明らかにするための努力が必要である。筆者の所属する大気物理研究室では,東京大学気候システム研究センターなどと協力して,全球大気海洋気候モデル,東アジア域の地域気候モデル,陸面過程モデルなどの開発,改良,応用的研究を行っている。本稿では,このうち陸面過程モデルの開発について紹介する。
気候システムにおける陸面過程の役割を図1に示す。陸面に入射する太陽および大気からの放射エネルギーは,一部が反射され,残りが地表付近の大気の渦運動による熱輸送(顕熱),水蒸気輸送(潜熱),地表からの赤外放射,地中への熱伝導へと分配される。また,陸面に降り注ぐ降水は,降雪の場合には積雪・融雪という過程を経るが,やがては蒸発および植生の気孔を通した蒸散(まとめて蒸発散という)により大気へと戻るか,河川へと流出する。このようなエネルギーと水の分配は陸面の状態に大きく依存するため,陸面過程は地表面におけるエネルギーバランスと水バランスをコントロールする役割を持つといえる。近年ではこれに加えて炭素バランスという重要な役割が注目されている。すなわち,植生の光合成による大気中CO2の吸収と,植生の呼吸や土壌有機物の分解によるCO2の放出である。ここで,エネルギーバランスにおける潜熱とはすなわち蒸発散の水の相変化エネルギーのことである。また,植生面での蒸発散の大部分は気孔を通した蒸散であり,この気孔の開閉は光合成活動に伴うものである。すなわち,陸面過程の3つの役割は,潜熱-蒸発散-光合成の関係を通じて相互に結び付いている。言わば陸面は,エネルギー循環,水循環,炭素循環の三者をつなぐ重要なインターフェイスである。
気象予報や気候学の分野においては,陸面の水分状態の分布が大気の温度,湿度,循環,降水量に大きな影響を及ぼすことが強く認識され始めたことにより陸面過程研究に大きな注目が集まり,最近10年程の間に陸面過程モデルは大きな進歩を遂げた。しかし,モデルが複雑になるほどその振舞を理解するのは困難になり,複雑なモデルが一人歩きをしがちというジレンマがある。我々のモデルは,本質的な過程をできる限り簡便に表現することに留意して開発され,Minimal Advanced Treatments of Surface Interaction and Run Off (MATSIRO)と命名された。
MATSIROの表現する過程を以下に列挙する。(1)気孔の開閉による蒸散の制御,(2)植生群落内の放射過程と大気の渦運動による熱・水輸送,(3)植生による降水の遮断とその蒸発,(4)植生上・地面上の積雪と融雪,特に積雪内の熱伝導と融雪水の再凍結,雪の変質による日射反射率の変化,(5)斜面の勾配を考慮した地表流出と地中流出,(6)土壌中の熱・水輸送,土壌水分の相変化(凍土過程)。残念ながら現時点では気孔の開閉は経験式によっており,光合成は表現されていないが,近い将来に光合成過程を組み込む予定である。
図2にMATSIROの計算例として1987年の年間蒸発散量の分布を示す。これは,観測データを基に作られた大気側境界条件を入力してMATSIROを単独で実行した例である。図から熱帯雨林や砂漠など気候帯の違いによる蒸発散の違いが再現されていることを大まかに見て取ることができる。
さらに詳細にこの結果を検証するためには,観測データとの比較が必要である。しかし,蒸発量の全球分布の観測データは存在しないため,間接的な方法を採る。すなわち,年間総量では,「蒸発散=降水-流出」の関係がほぼ成り立つことから,降水量と流出量の観測データを用いて蒸発散量が検証できる。MATSIROで計算された河川流出量を大河川の流域ごとに合計し,大河川の河口流量の観測データとの比較を行った。降水量は観測データを基に作成したものを与えた。この結果,MATSIROは各流域の水収支を概ね妥当に再現していることが確認された。今後,さらに様々なデータを用いて検証を行う予定である。また,全球気候モデルや地域気候モデルと結合したテストも開始されており,近い将来に気候変化見通しの精度向上に資することが期待される。
MATSIROの開発は,国立環境研究所,東京大学,森林総合研究所,資源環境技術総合研究所などの研究者の協力の下に行われた。今後も,このモデルが所内,所外を問わず,気候,水文,生態など様々な関連分野の研究者をつなぐインターフェイスになることができれば,望外の幸いである。
執筆者プロフィール:
1997年入所,神奈川県出身,つくば市並木在住
〈趣味〉生ビール 〈特技〉二日酔い
今年は千葉大学にて非常勤講師をやらせていただき,たいへん良い経験になりました。生徒に「佐藤蛾次郎みたいな髭ですね」と言われてしまいました。