ナノトキシコロジー - 毒性学における新たな課題 -
研究をめぐって
ナノテクノロジーは、私たちの生活に計り知れないメリットをもたらすといわれていますが、本当にナノマテリアルをこのまま使い続けても、私たちの健康や環境に影響がないのでしょうか。
ナノ粒子やナノマテリアルに対する妥当な毒性試験方法が確立されていない状況が続いています。
ナノ粒子・ナノマテリアルの生体影響に関する研究は、10年ほど前から急速に進展し、今や「ナノトキシコロジー」として毒性学における重要な研究領域になっています。毒性学の国内外の学会でも、「ナノトキシコロジー」のセッションが必ず設けられており、さらに関連する発表演題数も年々増えてきています。ナノ粒子・ナノマテリアルの毒性学的研究は、化学物質としての影響ではなく、物質がもつ物性の毒性を調べることが基本となっており、この点が従来の毒性学と根本的に異なる点です。
世界では
ナノテクノロジーは、カリフォルニア工科大学のファインマン教授が、1959年の演説の中で“There is plenty of room at the bottom.”(訳しにくいのですが、物質の本質には十分な余地があり、非常に小さなスケールで物性が制御されうるということを意味しています)と述べたことに端を発しているといわれています。その後、1985年にはフラーレン、1991年にはカーボンナノチューブが発見されました。また、2010年には、炭素のグラフェン構造の性質を明らかにした研究者に、ノーベル物理学賞が授与されました。
ナノテクノロジーの発展に伴い、開発された様々なナノマテリアルが、私たちの生活に使われ始めましたが、その生体影響についてはほとんど知られていません。そのため、ナノマテリアルの生体影響に関する研究を早急に開始することが求められました。経済協力開発機構(Organization for Economic Co-operation and Development、OECD)や国際標準化機構(International Organization for Standardization、ISO)において、世界標準となる安全性テストのガイドラインを策定するための作業が進められています(図8)。最初は、既存の安全性に関するテストガイドラインをナノ粒子・ナノマテリアルに適用することが可能かどうかについて議論が進められましたが、ナノ粒子・ナノマテリアルの中には、不溶性で水中での懸濁状態も安定でないものが多く、既存の試験方法では毒性試験を行うことが難しいのではないかと考えられています。そのため、不溶性の粒子を水溶液になじませるために助剤を適用し、安定な粒子懸濁試料を作製する方法も検討されています。
図8 国内外におけるナノマテリアルの安全性に関する基準策定
日本では
10トン以上も、製造・輸入される新規化学物質について、国内では化学物質審査法に基づき、分解性・蓄積性、ヒト健康影響、生態毒性に関する試験をするように義務づけられています(図8)。しかし、化学物質審査法をはじめとした新規有害物質を規制する法律では、あくまで化学物質として試験することになっていますので、同じ化学物質なら粒径や形状が違うことで新たな規制を受けることはありません。化学物質審査法は、経産省、厚労省、環境省が共同で管理・運営することになっているので、ナノマテリアルの安全性評価に関する研究も各省関連の研究機関を中心に進められています。一方、大学の研究室でも、毒性メカニズムなど基礎研究を中心に進められています。
国立環境研究所では
2005年に、国立環境研究所内にナノ粒子健康影響実験棟が完成し、ナノ粒子・ナノマテリアルの安全性に関する高度な実験を行うことができるようになりました。この実験棟を中心に、「環境中におけるナノ粒子等の体内動態と健康影響評価」(2010年終了、図9)と「ナノマテリアルの毒性評価手法の開発と安全性に関する研究」(2011年開始)の2つのプロジェクトが進められており、ナノ粒子・ナノマテリアルの生体影響に関する成果が出ています。特に、吸入曝露実験に関しては、慢性的影響も調べられる大型の装置を用いた実験が行われています。また、細胞を用いた研究は動物実験の代替法としても注目されているほか、ナノマテリアルの魚毒性に関する実験も進めています。
海外との共同研究も積極的に行っています。ヨーロッパの研究グループやカナダを中心とする研究グループとは、それぞれ、NanoBRIDGESやTITNTという国際コンソーシアムを立ち上げて、お互いに協力しながらナノマテリアルの安全性に関する意見交換や共同研究を行っています。
図9 国立環境研究所におけるナノ粒子・ナノマテリアルの研究プロジェクト