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2015年12月28日

PM2.5 モデリングの精緻化に向けた有機エアロゾルの研究

【シリーズ重点研究プログラムの紹介: 「東アジア広域環境研究プログラム」から】

森野 悠

PM2.5 の数値シミュレーションの必要性

 東アジア地域は1980 年代以降で最も発展した地域の一つで、人口・GDP ともに大きく増大しました。その発展に伴って環境汚染が深刻化しましたが、大気汚染も例外ではありません。欧州の研究機関の推計(EDGAR v4.2)によると、東アジアにおける窒素酸化物(NOx)・粒子状物質(エアロゾル)の大気への排出量はここ30 年でそれぞれ2.5 倍・1.5 倍に増大しています(一方、日本ではそれぞれ2 割・6 割ほど減少しています)。日本における微小粒子状物質(PM2.5)の環境基準達成率はいまだ低いままですが、このPM2.5 には国内と国外のいずれの排出源も寄与しています。多額の費用をかけて大気汚染物質の排出抑制対策を実施するにあたり、正確な発生源寄与の把握が不可欠です。

 PM2.5 を含むエアロゾルには、大気中に直接粒子として排出される一次排出粒子、および気体として排出され大気中で粒子化する二次生成粒子があり、それぞれ多種多様な化学成分・大きさ(粒径)から成ります。なかでも二次生成粒子の大気濃度は前駆物質排出量と線形関係になく、また一次粒子と比べて広域的に分布しているため、遠方の発生源の影響がより大きいという特徴があります。そのため、特に二次生成粒子の動態把握においては、物質の排出・移流・拡散・化学反応・粒子化・沈着などの諸過程が大気濃度に与える影響を同時に評価し、かつ近隣での拡散・遠方からの輸送などのマルチスケールの現象を考慮する必要があります。これらの解析においては、数値計算によって大気環境をコンピューター上の仮想空間で模擬する化学輸送モデル(chemical transport model: CTM)が非常に有力なツールとなります。

 一方で、CTM には、計算手法・計算設定や入力データに起因する不確実性が大きく、その活用には様々な課題があります。PM2.5 の主成分は、硫酸塩・硝酸塩・アンモニウム塩・元素状炭素(すすなど)・有機物などですが、なかでもCTM は有機物から成るエアロゾル(有機エアロゾル)の計算に大きな問題を抱えております。

エアロゾル生成のモデリング

 エアロゾルは固体や液体の粒子ですが、大気中の物質が気体とエアロゾルのいずれの形態で存在するかは主に物質の揮発しやすさ(揮発性)によって決まります。例えば0-100℃、1 気圧の条件下でも水の一部は気体の水蒸気として存在しますが、その割合は揮発性によって決まります。ご存知の通り、気温が上がり揮発性が増大するにつれて液体の水が蒸発して気体の割合が高くなります。揮発性は物質によって大きく異なり、大気中において揮発性の低い成分はほとんどが粒子態で存在するのに対して揮発性の高い成分はほとんどが気体で存在します。エアロゾル濃度を数値モデルで計算する際に、扱いが難しいのは、揮発性が高すぎず低すぎない半揮発性の成分です。例えば、PM2.5の主要成分の一つである硝酸アンモニウムは、冬季の低温時には主に粒子態で存在しますが、夏季の高温時には主に気体の硝酸とアンモニアとして存在します。このような半揮発性のエアロゾル成分のモデリングにおいては、粒子生成過程として、化学過程(揮発性の窒素酸化物から半揮発性の硝酸への酸化過程)と、粒子態-気体の交換などの熱力学過程を同時に計算するため、その振る舞いも複雑となります(一方で硫酸アンモニウムは飽和蒸気圧が低くほぼ全量が粒子態で存在するため、その挙動は比較的単純です)。次項で説明する有機化合物には、このような半揮発性成分が多く存在します。

有機エアロゾルのモデリング

図1
図1 有機エアロゾルの化学成分とその生成過程の例
ピンク色の矢印はPOA とVOC の排出過程を、黄色の矢印はSOA の生成過程を表しています。


 有機エアロゾルは数万種以上の有機化合物の集合体であり、発生源や生成過程は多様であります。図1 に化学成分とその生成過程の例を示しました。有機エアロゾルは大きく分けると、燃焼発生源などから直接排出される一次有機エアロゾル(primary organic aerosol: POA)と、発生源から気体(揮発性有機化合物, volatile organic compounds: VOC)として排出されて、大気中で粒子化する二次有機エアロゾル(secondary organic aerosol: SOA)があります。これらの有機化合物を分子レベルで測定すると、その粒子がPOA かSOA であるか、或いはその発生源について情報が得られます。ただ、分子レベルで成分が同定されている有機エアロゾルは、質量ベースでせいぜい20%程度です。そのため、CTM によりPM2.5の質量濃度を精度よく推計するためには、大部分が化学的に同定されていない有機物の全量を数値モデルで再現するという難題に取り組む必要があります。

 1990 年代から2000 年代前半において有機エアロゾルモデルでは、SOA を前駆VOC(例えばベンゼン・トルエンなどの芳香族炭化水素や植物起源のテルペン類)ごとにグループ化し、室内実験で測定された収率などを基にその生成量を計算します。また、POA は大気への排出後に変質しないと計算されていました。一方で、2000 年代前半以降、測定装置が高度化して有機エアロゾルをリアルタイムで測定可能になったことにより、有機エアロゾルの日内変動や空間分布の数値モデルによる再現性検証が世界中で実施されました。その結果、上記のような従来型のSOA モデルは特に日中に光化学的酸化によって生成されるSOA を大きく過小評価することなどが明らかとなりました。また、実際にはPOA は大気条件でも揮発すること、揮発後の半揮発性気体が光化学的酸化によって揮発性が低下して再度粒子化することなども明らかとなりました。つまり、POA もSOAと同様にガス粒子分配を考慮する必要があります。  

 そこで、POA とSOA を統一的に扱うフレームワークとして、揮発性(飽和蒸気圧などで規定)ごとに有機成分をグルーピングする計算手法(揮発性基底関数(volatility basis set: VBS)モデル)が2000 年代後半に提案されて、広く使われ始めています。このVBS モデルでは、POA の揮発や半揮発性の気体の酸化反応など従来のモデルで考慮されていなかった過程を計算することが可能となりました。

我々の取り組みと今後の課題

 われわれは、日本におけるPM2.5(特に有機エアロゾル)の動態を明らかとするためにVBS モデルなどの有機エアロゾルモデルの改良と、評価・検証に取り組んでいます。2000 年代以降、VBS モデル以外にも様々な有機エアロゾルモデルが新たに開発されました。従来型のグルーピングモデルやVBS モデルに加えて、SOA 生成に関わる個々の化学反応を明示的に計算する化学メカニズムも開発されて利用され始めております。夏季の東京で実測されたSOA 濃度を基に、これらのモデルによる計算結果を比較検証したところ、VBS モデルは都市域におけるSOA の日中の濃度増大を良好に再現するのに対して、従来型のモデルや化学メカニズムに基づくモデルは実測値を一桁以上過小評価していました。また、我々が実施した放射性同位炭素などの観測により、都市で日中に増大するSOA は生物起源ではなく主に化石燃料であることが明らかとなっていますが、VBS モデルは有機エアロゾルに含まれる炭素の起源を再現しておりました。

 さらに、九州から北海道にかけて日本全国で観測された有機エアロゾル濃度と比較したところ、VBSモデルは春季・夏季における実測値を従来型モデルと比べて顕著に良好に再現しておりました。この再現性向上は、VBS モデルでVOC の多段階酸化を考慮したことに起因していることが分かりました。

 このようにVBS モデルは有機エアロゾル濃度の計算精度を飛躍的に向上させましたが、一方でPOA、SOA の計算ともに大きな課題が残されています。特に燃焼起源のPOA の再現が重要となる冬季に、VBSモデルを含む全てのモデルが有機エアロゾル濃度を過小評価していました。燃焼発生源では排出後の空気塊の希釈に伴って気温と粒子濃度が劇的に変化することにより、半揮発性成分のガス粒子割合が大きく変化します。ところが、燃焼発生源からの有機エアロゾルの排出量を推計するための粒子濃度測定において希釈倍率などの情報がほとんど整理されていないため、有機エアロゾルの排出量データには大きな不確実性があります。今後は、燃焼発生源測定時の希釈倍率と温度の情報を基に、粒子の揮発性を考慮したモデリングが必要となります。また、SOA においては、VOC の酸化生成物の大部分が未同定であり、その化学反応に関する理解も不十分です。また、前述の通りに有機エアロゾルには半揮発性成分が多く含まれるため、粒子濃度を適切に再現するためにはその揮発性の再現がとても重要ですが、そもそも有機エアロゾルの揮発性を正確に測定することは困難です。様々なモデルで計算された揮発性ごとのSOA 濃度を図2 に示しましたが、モデルごとにSOAの濃度だけでなく揮発性分布も大きく異なっていることが分かります。現在、有機エアロゾルの成分測定や、粒子の希釈実験・加熱実験から得られる蒸発特性を基に揮発性分布を推計する研究を進めており、数値モデルで有機エアロゾルの揮発性分布を再現することを目指しております。また、ほとんどのモデルでは気相での酸化反応のみが計算されていますが、近年の実験的研究により粒子相の化学反応が有機エアロゾル生成において重要な寄与を持つことが明らかとなってきました。そのため、我々も実験的研究結果を基に粒子内反応を計算する有機エアロゾルモデルを構築しております。

図:2
図2 夏季の東京において飽和濃度(揮発性の指標)ごとの有機エアロゾル濃度
メカニズムモデル1、2、3 は、SOA 生成に関わる化学反応を明示的に計算するモデルで、それぞれメカニズ ムや飽和蒸気圧の推計手法が異なります。従来型モデルとVBS モデルについては本文を参照してください。

 このように、数値モデルによる有機エアロゾル濃度の再現性は大きく向上してきましたが、有機エアロゾルの生成過程の検証はまだ始まったばかりです。適切なPM2.5の発生源対策に向けて、数値モデルで有機エアロゾルの濃度と生成過程を適切に再現するためにも、観測研究者・実験研究者などと共同で様々な観点から有機エアロゾルの動態を明らかにしていきます。

(もりの ゆう、地域環境研究センター 大気環境モデリング研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール

著者写真:森野 悠

ここ数年、PM2.5や放射性セシウムなどの大気環境問題が社会的関心を集めましたが、筆者は数値モデルを用いてこれらの問題に取り組んでおります。問題解明に向けて、数値モデルは現象の大枠を捉えることは得意なのですが、たびたび痒いところに手が届かない思いをしました。「あと一歩」が実は遠い…地道に精進します。

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