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2022年12月28日

マングローブ植物の温度順化に関する研究

特集 気候変動と生態系、モニタリング研究の今
【研究ノート】

井上 智美

暖かい場所でしか見つからないマングローブ植物

 マングローブ植物は、熱帯・亜熱帯の干潟にのみ見られる植物です。いつ、マングローブ植物が地球上に誕生し、いつからマングローブ林が熱帯・亜熱帯限定の生態系になったのか、詳しいことは不明です。私が知る限り、18世紀頃の書物にはマングローブ植物に関する記載が見つかります。1971年のBalzer氏とLafond氏の報告には「マングローブ林は熱帯・亜熱帯の森である」と記載されています。しかし、もっと以前からマングローブ植物は熱帯・亜熱帯域を自らの生育地としていたように思います。2013年の向後元彦氏の報告によると、マングローブ植物の最古の化石がエジプトで見つかっており、9700万年前(後期白亜紀)のものだそうです。このころ、地球上では多くの被子植物が誕生・繁栄していたので、マングローブ植物も、その大きな波に乗って誕生したのでしょう。現在のマングローブ植物の分布は、概ね北緯35°と南緯40°の間に限られています。自然林の北端はバミューダ諸島(32°20′N)、南端はオーストラリアのコーナー湾(38°45′S)です。1998年にNorman Duke氏は、マングローブ林は海水の最低温度が20℃を下回らない場所に成立する森である、と整理しました。しかし、なぜ暖かい地域にしか見られないのか、科学的な解は得られていません。

生物の機能を制御する温度

 一般に、温度と化学反応速度との関係を調べると、図1右のグラフに見られるような直線(アレニウスプロットと呼ばれています)が得られることが経験的に分かっています。グラフの傾きは反応によって異なりますが、温度が高いほど反応速度が指数関数的に高くなります。生き物のあらゆる機能は、何かしらの反応によって制御されているため、温度は、生き物の機能を制限する重要因子です。天気予報で、最低気温や最高気温をチェックして、その日の装いを決める人もいらっしゃるでしょう。寒すぎたり暑すぎたりすると、恒温動物の私たちでも、生体機能を維持するのに余分なエネルギーを必要とするので、出来るだけ省エネとなるような装いにして快適に過ごそうとする訳です。植物は、基本的には恒温性を持たず、一度定着すると移動することがないため、その場の温度に対応させて生命機能を維持する必要があります。

図1 温度と化学反応速度との関係。
図1 温度と化学反応速度との関係。

 環境変化に対する生き物の反応は、3つの段階を踏むと言われています。生き物をとりまく環境が変化すると、まず、その変化に対する直接的な反応が起こります。これを「応答」と言います。変化した環境が数日から数週間継続すると、個体の生理機能学的・形態学的変化が起こります。これを「順化」と言います。さらに長い期間続くと、その環境に「適応」して、高い確率で生き残り繁殖できるようになる、またはそのような遺伝的な特性を獲得するようになります。こういった応答・順化・適応に伴う生き物側の変化は、対象となる生き物によって様々であることが分かっています。特に応答や順化特性は、対象とする生物の環境変化に対する反応を短期間の実験で検証することができます。さて、暖かい場所に生育しているマングローブ植物は、温度に対してどのように応答・順化しているのでしょうか?

マングローブ植物の温度順化実験

 マングローブ植物の成長速度や代謝機能(光合成や呼吸)が温度に対してどのように順化しているのか調べるために、栽培実験を行っています。栽培は複数のガラス温室で行いますが、温室ごとに異なる室温に設定し、それぞれの温度下での成長速度や代謝速度を計測しています。成長速度とは、文字通り、成長する速さのことを言います。植物の場合、基本的には、単位時間あたり、重量あたりの重量増減量を「相対成長速度」として算出します。アジア・太平洋地域のマングローブ林に見られる主要な植物であるヒルギ科2種、ヤエヤマヒルギとオヒルギについて、生育温度と相対成長速度との関係を示したのが図2です。それぞれの生育温度下で1か月程度栽培した個体の相対成長速度を計測しているので、各温度下で「順化」した成長速度です。グラフの形が図1左に見られるような指数関数的な変化を示していないのは、複数の反応が植物の成長に関与していることと、温度に対する各反応の順化の影響によります。

図2 温度とヒルギ科2種の相対成長速度との関係
図2 温度とヒルギ科2種の相対成長速度との関係 (Inoue et al., 2022を改編)。
破線は相対成長速度=ゼロを示す。

 まず、相対成長速度がゼロになる(成長しなくなる)温度を比べてみると、表1のようになりました。どちらの樹種も生育限界温度が10℃より高くなっており、暖かい場所にしかマングローブ植物が見られないことと合致します。さらに詳しく見てみると、オヒルギは12.2℃、ヤエヤマヒルギは18.1℃で個体全体の相対成長速度がゼロになるので、オヒルギの方がヤエヤマヒルギよりも寒さに強いと言えそうです。この傾向は葉でも根でも変わりません。そして、葉と根を比べてみると、根の方が葉よりも高い温度で相対成長速度がゼロになります。このことから、2つの樹種の低温側の生育限界は、地下部にある根の周りの温度に律速されていることがうかがえます。つまり、気温よりも土壌の温度に着目する必要がありそうです。

表1 相対成長速度がゼロになる温度

 さて、生育温度が高くなるとどうでしょうか?図2から、どちらの樹種も、生育温度の上昇に伴って相対成長速度が速くなっているのが分かりますが、樹種によってグラフの形(傾き)が異なっています。個体全体および根の相対成長速度のグラフの傾きはオヒルギの方がヤエヤマヒルギより大きく、温度の上昇に伴って、オヒルギが相対成長速度を大きく上昇させていることが分かります。一方で、ヤエヤマヒルギは、25℃以上の温度下では、個体全体および根の相対成長速度の上昇が抑制されていました。葉の相対成長速度は2つの樹種間でそれほど違いはないように見えますが、高温側でピークとなる温度を算出してみると、オヒルギでは34.5℃、ヤエヤマヒルギでは29.3℃となることから、オヒルギの葉の方が、より高温まで相対成長速度を上げていけることが分かります。35℃を超えてくると、暑すぎて生体機能に障害が起こるようで、2樹種とも枯死してしまいます。ヒートショックと呼ばれる、かなり速い反応です。ヤエヤマヒルギの方がオヒルギより速く枯死してしまうので、高温耐性はオヒルギの方が高いのかもしれないと考えています(図3)。

図3 35℃におけるヒルギ科2種の生残曲線
図3 35℃におけるヒルギ科2種の生残曲線(井上 2018を改編)。

 栽培実験の結果から、オヒルギの方がヤエヤマヒルギより、低温・高温の双方向に生育温度範囲が広いことが分かってきました。2つの樹種の、現在の分布域を比べてみると、オヒルギの方がヤエヤマヒルギよりも広範囲に分布していることが分かります(図4)。このような分布パターンの違いは、2つの樹種の温度順化特性の違いによるのかもしれません。世界のマングローブ林には、およそ20科28属74種の植物種が見つかっています。植物種ごとの分布パターンや温度順化特性、そういった種間差を生み出している生理学的なメカニズムを調べていくことで、マングローブ林が暖かい地域に限定されている理由や、温暖化によって今よりさらに暖かくなった場合にマングローブ林がどのように順化・適応していくのか、明らかにしていきたいと考えています。

図4 オヒルギとヤエヤマヒルギの分布域
図4 オヒルギとヤエヤマヒルギの分布域(Inoue et al., 2022を改編)。
緑色の部分が分布域を示す。オヒルギはヤエヤマヒルギより広範囲に分布する。

(いのうえ ともみ、生物多様性領域 ストレス機構研究室 主幹研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の井上智美の写真

休日はのんびり過ごしています。百日紅の花が咲いて、空の青色が濃くなってきました。じきに涼しい風にのって金木犀の香りが漂ってくるはず。