フロンが解き明かす日本海における温暖化影響の深刻度
【シリーズ先導研究プログラムの紹介:「先端環境計測研究プログラム」から】
荒巻 能史
日本海の海水循環が地球温暖化の影響を受けて変化しつつあることについては、国立環境研究所ニュース26巻4号の研究ノート「地球の変化に敏感に反応する日本海の姿」で紹介しました。今回はその続編として、海水に溶け込んでいるフロンの精密測定とそのデータ解析から明らかになった日本海の温暖化影響に関する最新の研究成果を紹介します。
日本海の海洋構造については前編にて詳しく解説しましたので、ここでは新しい知見を加えておさらいをしておきます。日本海は最大水深3,800m超の太平洋の縁辺海ですが、外海とつながる4つの海峡が200mにも満たないほど浅いために、ちょうど底の深いお椀に水を満たしたかのような海ということになります。表層では、南端の対馬海峡から入ってきた対馬海流が北上して大部分が津軽と宗谷海峡から太平洋やオホーツク海へと流出、一部が北端の間宮海峡から入ってきたアムール川の淡水と混ざってリマン海流を形成して北部域を循環しています。そのため、これら表層海流によってフタをされた形で、水深およそ200mから海底直上には日本海固有水と呼ばれる均質な海水が存在しています。これに似た構造を持つ海として黒海が有名です。黒海の場合は水深200mよりも深い層には酸素がほとんどありません。これは表層のプランクトンや魚などの生物が死滅して海中を沈降していくうちにバクテリアによる分解を受けるときに酸素が消費されるためです。一方、日本海固有水は同緯度、同水深の太平洋水と比べても非常に豊富な酸素を含んでいます。冬季に日本海表層には大陸からの非常に冷たい季節風が吹きつけますが、これによって酸素を豊富に含む表層水が結氷するほどまでに冷やされるために日本海固有水よりも高い密度となって海底付近まで沈み込むことがその要因と考えられています。ところが、日本海固有水の水深2,000mよりも深い層では少なくとも1960年代以降は酸素濃度が1年あたり約0.8μmol/kgの割合で減少していることが分かりました。これは、温暖化によって冬季の表層水の冷却が弱まり、結果として表層の酸素が深海まで十分に供給されなくなり、バクテリアによる酸素消費が供給量を上回っているためだと推測されています。私たちの最近の詳しい調査によって、このバクテリアによる酸素消費速度は1年あたり約2.0μmol/kgと見積もられています。2014年時点での水深2,000m付近の平均的な酸素濃度は約195μmol/kgなので、冬季の表層水の深海への沈み込みが完全に停止してしまうと、今後100年以内には黒海のように日本海深層が無酸素化することになります。
冬季における日本海表層の冷却の弱化、すなわち表層水の深海への沈み込み量の低下は事実なのか? どの程度深刻なのか? この疑問を解き明かすために、私たちは海水中に溶け込んでいるフロンに注目しました。フロンは炭素、フッ素、塩素からなるクロロフルオロカーボン類(CFCs)の日本における俗称で、1920年代に家庭用冷蔵庫の冷媒として米国のメーカーによって開発された分解されにくい人工の化学物質です。開発当時は「夢の化学物質」ともてはやされましたが、オゾン層を破壊する原因物質として1987年のモントリオール議定書により製造及び輸入が禁止されました。図1はCFCsのうち比較的大気への放出量の多いCFC-11、CFC-12、CFC-113の大気中濃度の時間変動を示しています。CFC-11とCFC-12は1950年代後半より急激に濃度を増大させ、1990年代以降は製造停止の影響で横ばいか減少傾向となります。一方、CFC-113は1970年頃から大気への放出が顕著となり、1990年代以降は横ばいとなります。CFCsはそれぞれに固有の溶解度で大気と海洋表面の間のガス交換によって海水に溶け込んだ後、海水の流動とともに挙動します。海水中では分解しないので溶け込んだときの各CFCsの濃度比はその当時の大気濃度比を反映していることになります。したがって海水中の各CFCsの濃度比が分かると、その海水がいつ頃に海洋表面にいたのか、すなわち海水の形成年代を推測することが可能となります。もちろん海水は絶えず混ざっているので、ここで計算される年代は見かけ上の値になりますが、いつの時代に沈み込んだ表層水の影響を色濃く受けているのかを把握することは十分に可能です。
私たちは、2011~2012年に図2に示す日本海の水深2,000mを超す深い3つの海盆で、表層から海底直上までの海水を水深100~250mの間隔で採取して、CFC-11、CFC-12、CFC-113の精密測定を実施しました。このうち水深の深い日本海盆と大和海盆との間で得た水深1,000m以深のCFCs濃度の鉛直断面図を図3に紹介します。水深およそ2,200mまではCFCsに水平勾配がほとんど見られず、日本海の広範囲において水平的には同じような来歴を持つ海水で占められていると考えられます。一方で、水深2,200mよりも深い層で明らかな濃度勾配が見られました。大和海盆のCFC-11濃度は日本海盆に比べて約1.6倍高く、CFC-12濃度では約1.8倍、CFC-113濃度では約1.2倍高い結果となっています。これは日本海の最も深い層の海水の来歴が海域によって異なっていることを示しています。ここで得られた濃度分布をもとにCFC-12/ CFC-11比を用いて各海水の形成年代を計算しました。その結果、海域によらず水深1,000mから海底直上まで大部分の海水で1960~1970年という値が得られました。大気中のCFC-11とCFC-12濃度は1960~1970年頃に比べて現在の濃度が一桁以上高い(図1)ので、この結果は1970年以降には表層水の深層への沈み込みがほとんど停止していたことを示唆しています。一方、大気濃度が1970年代から急激に増加したCFC-113を用いたCFC-12/CFC-113比による形成年代では1985~1990年という値が得られました。これは1970年以降においても表層水の深層への沈み込みが完全に停止したわけではないことを示しています。海底直上の海水からも微量ながらCFC-113が検出されていることが動かぬ証拠です。従来の研究では比較的濃度の高いCFC-11とCFC-12のみを解析に使用していたために気付くことができなかった海水の動きが、同時にCFC-113をも高精度に測定できるようになったおかげでより正確に描き出せるようになったというわけです。そこで、大気濃度と同じCFCs濃度を持つ表層水が毎年冬季に一定量ずつ水深1,000m以下の海水(水深1,000~2,200mを深層水、水深2,200m以下を底層水と定義)に直接的に沈み込むと仮定して、CFCsの大気への放出が始まった1930年から観測を開始した2011年までの間、深層水と底層水のCFCs濃度がどのように変化するのかをシミュレーション計算しました。そして、私たちの観測結果に最もフィットする「1年あたりの表層水の深層水と底層水それぞれへの寄与率(%/yr)」を海域ごとに求めました。CFC-113の大気中濃度の増加が顕著になった1975年を境に1930~1975年を「過去」、1975~2011年を「現在」と定義して比較すると、「過去」は深層水で1.10~1.48%/yr、底層水で0.31~1.04%/yrであった寄与率が、「現在」ではそれぞれ0.27~0.35%/yr、0.13~0.16%/yrまで低下していることが分かりました。これは、「現在」における表層水の深海への沈み込み量がすべての海域で「過去」の40%以下まで減少していることを示唆しています。海域ごとに比較すると最も南に位置する大和海盆南西部の底層水への影響が最も大きく、約15%にまで激減しているという結果を得ました。
温暖化が叫ばれるようになって久しい昨今、私たち日本人にとって最もなじみ深い海である日本海では確実にその影響が現れています。今回紹介したフロンの解析から、その深刻度を窺い知ることができるでしょう。今後も日本海の変化を追い続けることが重要ですが、同時に温暖化を防ぐために私たちにできることを着実に続けていかなければなりません。
執筆者プロフィール
日本海は4つの国に接する“国境の海”ですので、隣国との共同研究が不可欠です。韓国船による調査機会も数多く、三食すべてで唐辛子を多用する“から~い”料理のオンパレードにはいつまでたっても慣れません。