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大井 玄

 長く生きることについては,記憶力や体力の低下,親しい人との別れといった喪失体験の集積過程として語られることが多いようだ。その一方,せわしく働かざるを得ぬ時期を駆け抜けてしまい,初めて経験できる愉しさもある。その一つは,自分の生涯を歴史を測る「物差し」として実感することだ。

 たとえば,私は医学の途を選択したが,半世紀前の医学生時代の臨床医学教科書を読み返すと,疾病の原因は不明,有効な治療法はいまだない,などという記載がザラにある。

 現在,当時に比べ格段に有効な治療法が日常利用されている。胃を切除しなくても胃潰瘍を治す薬が市販され,「尿毒症」として致死的疾病だった腎不全も腎透析により十数年も長生きできる。また私は高血圧をここ十年来薬で管理しているが,効果的な薬剤がない時代だったら,とっくに脳出血で半身不随になるか,死んでいたろう。フランクリン・ルーズベルト大統領もこの病いで死んでいる。

 ルーズベルトは第二次大戦終了直前に死んだが,私は当時九歳だった。その頃,日本人は慢性に飢餓状態の者が多く,必須食物の出所素性といっても理解できない読者もいようが,お米でも,野菜でも,卵でも,肉でも,その生成過程について,直接的知識をもっていた。

 たとえば,私は秋田市に疎開しており,周囲は農村であり,田や畠が平野部のほとんどを占めていた。配給の米ではまったく足りなく,農家が顧みない劣悪な田や畠を借りて稲を植え,野菜を育てた。農家なら馬を使って耕す畠を小学四年生がくわを使って耕すのは大変だったが,一畝耕すごとにご飯一杯増やすなどという甘言に釣られて頑張った。

 冬や春にはサメやニシンが配給になったが,夏秋には動物性タンパクを食べた記憶はない。我が家でもヒヨコをもらってきて,ニワトリを私が育てた。トリは日中家の周囲でえさを探している。暗くなると小さな小屋に入れてやる。卵を産むと母にそれを渡す。彼女はそれをどこかで米に換えていた。なにしろ食べ盛りの六人兄弟である。学校の帰りヨモギの若芽を集めてご飯の量を増やした。

 そんな生活でも,父に大切な客が訪れるとトリ一羽を絞め接待した。家長とはそういう権威の備わった存在である。ただ可愛がって育てたトリを殺すのには,表現しがたい悲痛感があった。それでも肉の一片を口にしたとき,身震いするような鋭いよろこびを経験したことは忘れられない。

 歴史理解とは,私にとっては,人間の営みの諸相を観察・体験し,世界がどのように変化していくかを実感するプロセスである。この半世紀,地球の急激な狭小化により観察できる地点が増えたこと,長生きによる観察期間の延長とが,この僭越な感覚を抱かしめたようだ。

 日本の場合,戦後経済ブームが始まって以来,飢えの感覚は消失した。また,食べるために汗を流し,息を切らすという感覚も体験されなくなった。その肉を食べるために動物を殺すという場を見ることさえもなくなった。スーパーに行けば,トリのささみやもも肉でも,ブタやウシの肉でもきれいに切り分けられて並んでいる。コンビニに行けば,おにぎりでも,料理でも,鮨さえも売っている。

 「便利になった」と老人は思う。「昔を思えば夢みたいだ」と話すかも知れない。しかし彼らは,体験の苦しさが生々しく記憶されることもあり,飢え,寒さ,暑さ,痛みなどの体感的に「不快な感覚」が持つプラスの意味を理解しづらい。その感覚を経験しない世代は,ましてや理解不可能だろう。実際には,これらの不快な感覚は人類の数百万年の歴史を通じて身近なものであり,発育にも成熟にも影響を与えていたはずである。そのまったく消失した状況が人間の成長や世界認識に及ぼすマイナスの意味での影響は調べられていない。医学の場においてもどのような病気が現れてくるのかを予期する知的営みはない。しかし私には,まず「こころ」の側面においてはっきりした変化が認められるように思う。

 さてDSMというこころの病気の診断基準がある。それによれば,いくつかの症状があれば,「○○病」という病名が付けられる。しかも「症状」とは本人の感ずる不快な感覚だ。たとえば,若者が精神科外来を訪れる。「抑えこまれている感じだ」「ストレスがある」「夜ねむれない」などの訴えがいくつかそろうと,精神科医は暫定的に「うつ病」として抗うつ剤を処方する。うつの原因がサラ金に追われている,失恋した,会社の上司にしごかれた,同棲相手とうまくいってない。どんな理由であれ「症状」がそろうとうつ病になってしまう。「うつ病なら診断書書いてください。会社休みますから」という次第になる。人間は,いく晩もの眠れない夜を耐えて成長していく,などという忍耐を説く対応は存在しなくなった。当然「うつ病」の発生頻度は増大するばかりである。

 患者に付添ってきた両親は,このように社会適応が悪くなったときには,圧倒的に学校あるいは職場で「いじめがあったからだ」と表現する。「いじめ」は諸悪の根源だ。しかし,そこには,自己反省はない。ひきこもりの果ての相談に来る親はいう。「四〇歳になっても定職を持たず,家でずっとパソコンをやっていて,好きなときに寝て,好きなときに食事をしています。うつ病だと思うんで,医療で人並みに働けるように治療してもらいたい」。さらに「仕事をするように親がいうと,『自分に合う仕事を見つけてこい』といってとりあわないのです」。親も,実は,立派な「子ども」であるのに気付いていない。

 もし教育の目的が「よく」生きるすべを教えることにあり,親とはそのすべを習得したものであるとすれば,人類史始まって以来経験してきた飢えなどの教育的感覚が突然消失した世界では,教育を行うことは非常に難しくなるだろう。そういう生理的に危険を知らせる感覚がなければ,子どもは学ばないし,心理的に成長することもないだろう。

 また親は,飢えや危険がある世界で生き延びた実績があるからこそ,教育者としての権威があるし,また自信がある。子どもは社会生活を営む高等哺乳動物として,当然群の中の順位に敏感だ。しかし,自信もなく権威もない親は,子どもが意識する階層社会において上位に着くことができない。友だちになり得ても親にはなれない。故に現在の豊かな日本においては,子どもが子どもを育てる現象が遍在する。

 老年のもう一つの利点は,自分を歴史の流れに流される存在と意識し,流れる末を予感しても,若い時分の激しい情動に悩まされなくなることだ。「親しんど,子らく,孫こじき」という諺は,家という最小単位でなくとも,国家という単位でもあてはまるだろう。そしてそれが「歴史」ということの実相かも知れない。

 (おおい げん,元国立環境研究所所長)

執筆者プロフィール:

東京大学医学部卒。内科学,環境保健,老人保健,終末期医療,国際保健などの分野で働いた。1996年から2004年まで国立環境研究所副所長,所長,参与として勤務。東京大学名誉教授。現在,終末期医療に携わるかたわら痴呆状態にある人たちとの交わりを愉しんでいる。近著;「痴呆の哲学」弘文堂2004年,「いのちをもてなす」みすず書房2005年