求められる水環境とは
巻頭言
木幡 邦男
本年6月に湖沼水質保全特別措置法(湖沼法)と下水道法が相次いで改正されました。新聞・TVなどで大きくは報道されなかったため,ご存じでない方が多いのではないでしょうか。改正の背景には,湾や湖沼などの閉鎖性水域において,水質改善が進んでいないとの指摘があります。改正された湖沼法では,湖沼に流入する汚濁負荷を一層削減するための方策や,自然の持つ水質浄化機能を確保する方策について定められています。また,改正された下水道法では,窒素及び燐の流入負荷量を一層削減するため,高度処理を積極的に推進することとされています。
水質の善し悪しを判断するためには目的により様々な手法が用いられますが,環境行政上の政策目標であり維持されることが望ましい基準として定められている環境基準も重要な基準です。公共用水域の水質汚濁に係る環境基準には,人の健康の保護に関する基準と生活環境の保全に関する基準があります。前者には,主に重金属や有害な化学物質が含まれ,制定の当初は深刻な被害が見られましたが,現在では,基準を超過する件数は少なくなっています。後者の生活環境の保全に関する基準では,主に有機汚濁が問題となります。当初は,流入する汚濁負荷が問題となりましたが,排水処理技術が進歩したことや下水道の整備が進んだことで,河川では水質改善が進みました。ところが,湖や湾では水質改善が十分には進んでいません。
湖や湾など閉鎖性の高い水域では内部生産といわれる植物プランクトンの増殖が盛んであり,これが有機汚濁源となることがあります。これを減少させるためには,内部生産を引き起こす元となる窒素や燐の流入負荷を削減する必要があります。これが,冒頭で述べた2つの法律改正の目的の一つです。東京湾・伊勢湾・瀬戸内海など,汚濁が著しい閉鎖性水域について,汚濁負荷量の総量を一定量以下に削減するため,水質総量規制制度が導入されています。平成16年度を目標年度とする第5次総量規制で,有機汚濁に加え,窒素・リンの削減計画が作成されたのも同様の理由です。
最近では,水質改善が進まない原因として,湖水・海水中に微生物による分解を受け難い難分解性有機物が増加している点が指摘されています。琵琶湖や霞ヶ浦で難分解性有機物濃度が増加していることが報告され,盛んに研究されていますが,その発生源や挙動など未解明の部分が多く残されています。
現在,湖沼・海域を対象とした環境基準では過マンガン酸カリウムを酸化剤とした化学的酸素要求量(COD)が使用されていますが,この酸化剤の酸化力が十分には大きくないため,反応温度や時間,有機物の種類などによって値が異なることなどが数十年にわたり問題視されてきました。内部生産の機構や難分解性有機物の挙動につき科学的な検討を行う際に,このCODでは限界があるとされています。このため,CODに替えて再現性の高い溶存有機炭素(DOC)や全有機炭素(TOC)を採用すべきだと考える研究者が多くなっています。この点については,国会環境委員会や中央環境審議会水環境部会でも議論され,早急な改善が要求されています。一方,水道法に基づき厚生労働省令で定められる水質基準では,従前,有機物等(過マンガン酸カリウム消費量)とされていたものが,平成15年5月に改正され,全有機炭素(TOC)になりました。改正にいたる審議の過程で,過マンガン酸カリウムを用いた値の有機物の指標としての問題点や,国際比較が不可能な点などが議論されたようです。
近年,水利用の形態が変化してきていることも考慮する必要があるでしょう。さらに,陸域からの負荷削減に取り組むだけでなく,自然の持つ水質浄化能を積極的に利用することも考えなければなりません。改正された湖沼法でも,自然の持つ水質浄化能に注目していますし,本年5月に中央環境審議会から環境大臣に対し答申がなされた「第6次水質総量規制の在り方について」でも,対策の在り方として汚濁負荷削減と並び,干潟の保全・再生を推進することが採り上げられています。
環境基準が制定されて30年以上が経過し,この間に分析技術が進歩し,生態系の理解が深まった反面,新たな問題点も顕在化しました。求められる水環境とはどのようなものか,また,望ましい水環境を実現するにはどのような施策が適切なのか,さらに,これらの基になる水質を評価する指標は何が最善なのか,今,これらを最新の科学的知見に基づき再検討する必要に迫られています。
私事で恐縮ですが,本年4月に水土壌圏環境研究領域長を拝命し,この問題に,国立環境研究所として積極的に取り組む際の幹事役となりました。多くの研究分野で活動する専門家の集団としての当研究所の長所を発揮できるよう,微力ですが全力で臨む所存ですし,また,水土壌系を中心とした優秀なスタッフと共に,本問題に取り組む機会を与えられたことを幸せに思います。
執筆者プロフィール:
本年3月まで,海域環境管理研究チームの一員として,東京湾を主なフィールドとして調査をしていました。現在も,幸い,同チームを併任しており,月に一度程度,海岸に出かけるのが最大の楽しみになっています。