ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

衛星と地上モニタリング及びモデルによる陸域生態系の水・物質循環機能のシミュレーション

シリーズ重点特別研究プロジェクト:「東アジアの流域圏における生態系機能のモデル化と持続可能な環境管理」から

王 勤学

研究の背景

 近年,東アジア地域では急激な人口増加に伴う大規模な農業開発,急速な工業化と大規模な都市化などにより,自然環境と人間活動とのバランスが急速に崩れつつある。このような状況下において,東アジア地域の持続的発展を支えるためのツールとして,大陸スケールでの陸域生態系のモニタリングとモニタリングデータを主とする膨大なデータを集約した環境情報システムの構築,さらには環境情報を活用した水・物質の動態モデリングに関して,それぞれ高度な技術開発を行う必要がある。さらに,これら技術の統合的な利用によって,大規模な土地利用改変や地球温暖化等が陸域生態系に及ぼす影響の評価手法を開発することが急務となっている。

 一般に,陸域生態系は海域と比べて空間的に大変不均一で,さらに複雑な地形の影響を受けるため,生態系が有する様々な機能の評価は難しい。特に,広域でこれらの機能を計測することは,これまで非常に困難であった。しかし,最近,衛星データを用いた解析結果を,大気-植生-土壌間での水・物質移動に関する相互作用を表す陸面過程モデルや生態系モデルへの入力データとして用いることにより,広域においてもより精度の高い生態系機能の推定や将来予測が可能になりつつある。

 本プロジェクトでは現在,衛星データとしてMODISデータを利用し,そのデータ解析によって陸域における様々な環境情報(例えば,地表面温度や,植生指数等)の算定と,地上での生態系観測データを用いた算定結果の検証を通じて解析手法の改良を行っている。さらに,陸域生態系における水・物質循環を詳細に表すモデルの入力データとして,これら解析結果を用いることによって,広域での生態系の機能,例えば水や熱循環とともに,植生による炭素・窒素の固定量や穀物生産量などのシミュレーションを実施している(図1)。以下に,これまでの研究の進捗状況を報告する。

図1.研究のフレームワーク

 2001年から環境省が推進している「アジア・太平洋環境イノベーション戦略(APEIS)」プロジェクトにおいて,アジア全域をカバーするMODIS衛星データ受信ステーションと地上生態系観測サイトならびにデータ解析センターより構成される統合環境モニタリングネットワークを構築した(参照:国立環境研究所ニュース Vol.22, No.4)。この中で,地上生態系観測については,中国における様々な陸域生態系の中から代表的な草地(青海省,37.48N,101.20E,3200m),灌漑農地(山東省,36.95N, 116.60E, 20m),水田(湖南省,28.92N, 111.50E, 20m),森林(江西省,26.73N,115.07E, 115m),砂漠化地域(新疆自治区,43.75N,87.75E,1600m)の5つの生態系について観測サイトを設置し,気象,水文,土壌水分,植生等に関する基礎データを観測・収集し,包括的なデータベースを構築している。図2は,2003年の様々な生態系における水蒸気・熱・CO2フラックスの観測データ例である。

図2.2003年の様々な生態系の水蒸気(LE),顕熱(H)とCO2フラックスの季節変化(30分平均の観測データ)

 また,データ解析センターでは,アメリカ航空宇宙局(NASA)が開発した解析アルゴリズムを用いて,受信したMODIS衛星データから東アジア地域の土地被覆分布や植生の純一次生産量(NPP)など陸域生態系に関する高度な解析データセットの作成を行っている。さらに上記の地上ステーションでの観測データを用いてこれらの高次プロダクトの検証を行い,必要に応じて解析アルゴリズムの改良を進めている。

生態系モデルの改良と適用

 陸域生態系における水・物質循環を明らかにするため,本研究では米国モンタナ大学で開発されたBiome-BGCモデルを選択した。本モデルは,気象データの入力によって水・エネルギー・炭素・窒素の循環を素過程から詳細に再現するプロセスモデルであることから,植物による炭素や窒素の固定量を始めとした多くの生態学的要素のシミュレーションができる。このような点からBiome-BGCモデルは,現在,陸域生態数値モデルのスタンダードの一つとなっている。しかし,本モデルは,これまでの適用事例を見ると,北米大陸以外での計算結果の検証が余りなされていないという問題点を有している。また,これまでに本モデルが適用されてきた生態系は,森林や草地などの自然生態系がほとんどであり,人為活動の影響を強く受ける農業生態系へ適用した計算結果の検証は不十分である。東アジア地域は,北米大陸と比較して人為的土地改変が大きく,生態系の断片化が進んでいる。また,南部の湿潤な地域での水稲栽培から北部の乾燥地域での灌漑農業まで,多様な農業形態を有している。このため,アジア地域においてこのモデルの検証が必要であると同時に,農業生態系への適用には,モデルの改良が必要と考えられた。

 そこで,まず,上述したそれぞれ固有の生態系を有する5つの地上観測ステーションで測定されている気象データを,Biome-BGCモデルの入力データとして用いて計算を行った。次いで,各ステーションで測定された植生(農作物)の葉面積指数(LAI)や表面温度(LST)を始めとする生態学的なデータと計算結果の比較作業を通じて,測定結果に対するモデル計算結果の再現性をできるだけ高めるよう,モデルパラメータ値の設定を行った。加えて,農業生態系を有するステーションへの適用にあたっては,作物生育期間,C/N(炭素/窒素)比,光合成率など生理・生態学的パラメータをモデルにおいて新たに設定した。最後に,MODIS衛星データを基に作成された土地利用やLST等の高次プロダクトを改良したモデルへ取り込むことで,1kmメッシュの単位の空間分布モデルとしてシミュレーションを行い,東アジア地域における水・炭素・窒素など物質の時間的・空間的な変動の推定を行った。

 モデルの適用結果として,まず,本研究における改良によって,灌漑やCO2濃度の増加,施肥など人為活動の影響を考慮した水・熱と炭素(CO2)フラックスのシミュレーションの一例として,図3に2003年の禹城ステーションでのコムギとトウモロコシを対象とした,計算結果と観測値との比較結果を示している。この結果に示されるように,農業生態系を含めた東アジアの様々な生態系における水・炭素・窒素循環機能およびLAIやNPPで表される作物成長状態を,改良されたBiome-BGCモデルが精度良く再現することを確認した。

図3.人為活動の影響を考慮した場合の水蒸気(E)と炭素(Fc)フラックスのシミュレーション結果と観測データとの比較

 図4は同じく禹城ステーションでのコムギとトウモロコシの生産量を対象とした,人為活動の影響ある場合とない場合のシミュレーション結果の比較を示している。それによると,光合成生産量(GPP),とエコシステム純生産量(NEP)は人為的影響で大きく増大する一方で,農作物による呼吸量(RmとRg)も増大する。しかし,土壌呼吸(Rh)はむしろ化学肥料の大量使用によって減少する結果となった。これにより,施肥を主とする人為活動が水・熱と炭素(CO2)フラックス及び吸収固定量に大きな影響を与えていることが定量的に分かった。

図4.人為活動の影響あり(Disturbed)と影響なし(Undisturbed)の場合のシミュレーション結果の比較:NPP:純一次生産量,NEP:エコシステム純生産量,GPP:光合成生産量,RmとRg:植生の呼吸,Rh:土壌呼吸

 また,改良されたモデルを用いて,様々の植物の葉,根,リター(落葉落枝)など各構成部分の炭素・窒素濃度のシミュレーションも行った。さらに,異なる生態系間での炭素・窒素の固定能力を定量的に比較したところ,NPPの場合,トウモロコシ>イネ>コムギ>草地>砂漠の順となった。土壌呼吸の場合,イネ>草地>コムギ>トウモロコシ>砂漠の順となった。その結果,生態系によるCO2の固定能力を表す指標であるNEPは,トウモロコシ>コムギ>草地>イネ>砂漠の順となることが明らかになった。

 最後に,図5に,図1に示したMODIS衛星データから作成された各種高次プロダクトを,改良したBiome-BGCモデルに入力データとして取り込み,アジア全域1kmメッシュ単位で生態系の炭素固定能力を推定した結果を示した。これによると,南アジア,日本の南部,中国東北部などの地域では,植生による炭素固定能力は大きく,これらの地域は炭素の主な吸収源であることが明らかになった。

図5.アジア全域における植生による年間炭素固定量の分布図

後は,観測,調査,解析などによる得られたデータをデータベース化し,共有シス テムを構築するとともに,モデルの改良や高度化を行っていきたい。また,過去から将来に渡る大規模シミュレーションを行うことによって,各種シナリオの下でのアジア地域における多様な生態系機能及び水・熱・物質循環機構の解明,及び環境脆弱性の診断も行いたい。さらに,将来予測の結果を持続的な水・物質管理の政策決定に活用する仕組みを整備しながら,政策決定に貢献していきたいと考えている。

 なお,本研究は渡辺正孝前プロジェクトリーダーの指導の下に進められたものである。

執筆者プロフィール:

シルクロードのオアシスに生まれ,砂漠・ゴビ・砂塵あらしの真中に成長し,それから,大都市の蘭州,首都の北京そして日本へ,段々と緑に囲まれてきました。しかし,ふるさとの深刻な水不足の実情が常に頭に働きをかけ,そのため,北大でWDIという水不足指数の新アルゴリズムを開発し地球環境博士号を取得しました。その後,国環研でアジア地域における水・熱・物質循環に関する国際共同研究に夢中,おそらく私の一生は,水環境の研究との縁が切れないと思います。