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浅い海の浄化機能

環境問題基礎知識

中村 泰男

 「干潟などの浅い海(浅海域;水深5メートル以浅を本稿では想定)の水質浄化機能は非常に高い」とか「干拓に伴う浅海域の消失が,海の浄化作用を減少させている」という報道記事をよく見かける。それでは,浅海域のどのような機能が水質「浄化」に相当しているのだろうか?そして,なぜ浅海域では,周辺の海域よりも浄化機能が高いのだろうか?

浅海域で何がおきているのか?

 上げ潮に乗って,浅海域には周辺の海から海水が流入する。この海水には植物プランクトンをはじめとする懸濁物が豊富に含まれている。また,河川を通じて,陸からの懸濁物も供給される。こうして浅海域に供給された懸濁物はそこに棲む生物によってさまざまな変化を受ける。ここでは,浅海域にアサリなどの二枚貝が沢山生息しているような場合(例えば東京湾三番瀬,福島県松川浦,有明海)について,周辺から供給される懸濁物の運命を見てみよう。

 懸濁物のかなりの部分は,まず二枚貝に取り込まれる。すなわちホース状の「入水管」を通じて,海水が貝の内部に吸い込まれるが,その際,海水中の懸濁物は貝のエラで漉し分けられ,消化管に取り込まれる(解説図矢印A)。そして,その内のある部分は,体内に吸収され,吸収されなかった部分は糞として排出される(解説図矢印B)。吸収されたもののうち,一部は呼吸活動(燃焼作用)により,酸化されて生活活動のためのエネルギーを発生させる。そして,残りの部分は貝の成長(解説図矢印C)に用いられる。

 貝の呼吸活動に伴い,二酸化炭素とともに窒素,リンの無機イオン(栄養塩)が燃えかすとして発生する(解説図矢印D)。栄養塩は植物の成育に不可欠な肥料でもある。栄養塩は,エラで懸濁物が除かれた後の海水に溶け込んで,貝の「出水管」から海中に放出される。これは,貝が「液体肥料」を浅海域に散布していることに相当する。液体肥料は下げ潮とともに周辺の海に供給され,植物プランクトンの成長に利用される(解説図矢印E)とともに,浅海域で養殖されている海苔や,藻場に生育する海草・海藻の肥料となる(解説図矢印F)。また,液体肥料のうち,無機態窒素(硝酸イオン)の一部は,ある種のバクテリアの作用によって,海底にたまった有機物(貝の糞などに由来する)と反応して有機物の酸化を行い,自身は不活性な窒素ガスとなって大気中に逃げ出してゆく(脱窒作用: 解説図矢印H)。

メカニズムの図
図 浅海域での懸濁物の運命
貝や海苔の成長によって窒素が生物に取り込まれる過程(解説図矢印A, F)は,浅海域にある窒素がその存在形態を変化させるのみで,量が減少するわけではない。彼らが浅海域で死んだり枯れれば,彼らの体内にあった窒素は再び水中に戻って水の濁りの原因になる。従ってこうした過程は直接的な浄化と言えない。

浅海域の浄化機能:どの過程が「浄化」に相当するのだろうか?

 もっとも直接的な浄化作用としては,植物プランクトンなどの懸濁物(水の濁りの原因)の基本的な成分である窒素が,浅海域から直接取り去られる過程が挙げられる。具体的には,1)アサリや海苔の漁獲/収穫の過程(解説図矢印C, G。鳥による摂餌もこれに含まれる:図の説明参照)や,2)脱窒作用による窒素の大気への散逸(解説図矢印H)がこれに相当する。このうち,1)の寄与については,三番瀬では河川から流入する窒素量の7%程度が漁獲などによって除去されていると見積もられている。また,青海苔の養殖支柱が一面に広がる松川浦でも,青海苔・アサリの収穫による窒素の除去は河川からの流入の高々3%程度であるという。これらの値を大きいと見るか小さいと見るかはその人の立場にもよるのだろうが,漁業や鳥の摂餌には,浅海域に流入する窒素を圧倒的に取り去るような力はなさそうである。一方,2)の脱窒作用については,測定法によってばらつきが大きく,あくまで目の子勘定の域を出ないが,三番瀬では河川からの窒素流入量の30%程度が脱窒によって除去されるという。これは1)の過程に比べても大きく,浅海域の重要性を示しているように見える。しかし,脱窒は浅海域に限らず,隣接した海域でも行われているので,脱窒を前面に押し出して浅海域の浄化機能を強調するのは適切でないと筆者は思う。

 浅海域の持つもう一つの浄化機能は「水を澄ませる」作用である。これは,二枚貝が海水をろ過して懸濁物を除去することに相当している(模式図矢印A)。この作用は非常に大きく,数日で浅海域の海水のほとんどすべての懸濁物が二枚貝によって除去されることもある(例えば,松川浦)。そして,サンフランシスコ湾のように,浅海域の占める割合の大きな海域では,そこに生息する多量の二枚貝のろ過作用によって植物プランクトンが速やかに除去されるため,植物プランクトンの量は低く保たれ,赤潮の発生が抑えられているという。

 浅海域でのろ過による浄化機能の高さは,隣接する海に比べて,二枚貝などの生息密度が格段に高い(10倍以上はざら)という点に由来している。それではなぜ,浅海域では貝の量が多いのであろうか?その答えは「浅海域は浅い」という点に集約される。つまり,浅海域では水深が浅いため,酸素が水中に十分供給される。したがって,沢山の二枚貝が呼吸により多量の酸素を消費しても酸素不足に陥ることはほとんどない。一方,浅海域に隣接するより深い海では海水の上下の撹拌が押さえられるため,貝の棲む海底への酸素供給は浅海域に比べ制限されたものとなる。こうした状況で生息しうる貝の量は,貝自身の呼吸によって海底が酸素欠乏にならない程度に押さえられてしまう。つまり浅海域の水深の浅さこそが多量の貝を生息させることを可能にしているのであり,水を澄ませる浄化機能を支えているといってよい。

(なかむら やすお,水土壌圏環境研究領域)

執筆者プロフィール

今年から浅海域の研究を行うことになり,手始めに,小さな水槽(2リットル)でアサリ(1cmくらい)を飼ってみました。1週間に1ミリ以上成長します。すごいなあ。好きなこと:野球観戦(阪神,R.ソックス),婦人用自転車による長距離サイクリング,家庭菜園,鉄道旅行ビールつき,天気予報の評論など。