環境中に存在する有害性を総合的に評価する毒性試験系の開発を目指して
研究プロジェクトの紹介(平成10年度開始特別研究)
国本 学
重篤な公害病を引き起こしたような典型的な環境汚染はみられなくなったものの,現実には汚染の実態はますます複雑化,深刻化している。多くは微量ではあるが無数の化学物質による複合汚染であり,ダイオキシン類のように非意図的に生成されたもの,さらには環境中で変換されたものも存在しうる。従って,化学分析によってこれらすべてを検出,同定し,定量するのは事実上不可能であり,現実には環境基準,要監視項目等に指定された一部の化学物質が化学分析によってモニタリングされているのみである。このため,極めて重大な毒性を持つ物質が見過ごされてしまっている可能性も存在しうるわけである(例えば図の化学物質α,β等)。それらを検出・評価できる試験系として,バイオアッセイ・生物学的評価試験法の開発が待たれている。環境基本計画に示されているように,環境を汚染しヒトの健康や生態系への有害な影響を及ぼすおそれのある化学物質のリスク評価は環境リスク対策の重要な柱である。
比較的早くから環境モニタリングに使われてきている変異原性試験は,実際の生体内での発がんとの相関がかなり明らかにされている上,試料中に存在する化学物質の種類に関係なく変異原性という指標で判定し,通常の化学分析では漏れてしまうものまで網羅しうる。また最近では,内分泌撹乱化学物質の一部を対象に,エストロジェン受容体への結合親和性という生物学的活性を指標として,スクリーニング試験さらには環境モニタリングが実施されようとしている。平成10年度より始まった特別研究「環境中の化学物質総リスク評価のための毒性試験系の開発に関する研究」では,これらの試験法に並ぶような,試料中に存在する有害性の総量を反映しうる新たな毒性評価指標の確立を目指して,試験法の有用性評価と標準化を行う予定である。
これまでに,ヒトを含むほ乳動物由来の培養細胞を用いた毒性試験が開発・提案されてきているが,OECD毒性試験ガイドラインでは遺伝毒性試験としていくつか取り上げられているだけで,遺伝毒性以外の毒性(急性・亜慢性毒性,生殖毒性,神経毒性等)についての試験法は皆無である。これは生体内での吸収,分布,代謝等の毒物動態学的過程までも取り入れた試験系がまだ確立されていないためである。さらに,現在のところ試験方法に統一的な基準がなく,試験結果の相互比較が不可能に近いという問題もあり,環境モニタリング系として利用しうる培養細胞を用いた毒性試験系は,現段階では確立されてはいない。しかし,いつまでも手をこまねいているわけにもいかないし,各研究者が個別に単発的に毒性試験を行ってもその利用価値は決して高いものとはなり得ない。有害化学物質のリスク評価指標として利用されるためには,何らかの基準の設定と組織的な取り組みが必須である。
培養細胞を用いた毒性試験を環境評価に利用するための必要条件としては,実際の生体内(特にヒト)での毒性影響を反映しうること,安価に且つ迅速に再現性のよいデータが得られること,環境試料の実際の姿である未知物質を含む混合物試料にも対応可能であること,等があげられる。これらの解決のため,本特別研究では以下の課題を設定している。
1.培養細胞を用いた毒性試験法の標準化と簡便化に関する研究
環境汚染が問題となっている化学物質を参照物質として選定し,現行の培養細胞を用いた毒性試験の標準化を行うとともに,毒性試験法の簡便化を進める。
2.培養細胞を用いた毒性試験の毒性学的意義付けに関する研究
培養細胞を用いた毒性試験で得られる毒性値と実際の生体内(ヒト並びに実験生物)での急性毒性発現用量との関連づけを行う。
3.環境試料を対象とする際の技術的問題点への対応に関する研究
未知物質を含む混合物試料という環境試料の特性に起因する技術的な問題点の洗い出しとそれらの解決方法を探る。
4.低毒性試料の評価のための試験法の高感度化に関する研究
環境試料の大部分がそうであると考えられる低毒性試料の評価を正確に行うため,培養細胞を用いた毒性試験法の高感度化を試みる。同様に毒性発現の初期段階を検出する高感度バイオマーカーの開発も試みる。
本特別研究によって,この分野に関わる研究者による組織的な試験法の有用性評価と標準化が達成されれば,暫定的ではあっても新たな毒性評価指標を用いた信頼性,再現性のあるデータの蓄積を始めることも可能である。そう遠くない将来これらのデータが,例えば水質に関して言えばBOD,CODと並ぶような指標値として規制を含む様々な分野で利用されるようになることが期待される。