就任の御挨拶−地球環境研究センターにおける研究とサービス−
井上 元
地球環境研究センターの設立に係わり,1990年の発足時には西岡総括研究管理官(現地球環境研究グル-プ統括研究官)の下で研究管理官として地球環境モニタリングの立ち上げに携わった経緯があるので,古巣に帰った気もする。しかし,当時とは大きく異なった点も多々あり,私としてはシベリア研究などであっと言う間に過ぎた8年も,実は長かったことに気付く。
さて現在,この8年の間の変化を振り返り,それに対応したセンターの新たな展開を考えねばならない時期に至っている。
当時は研究職二人と行政職二人の大変小さな所帯から出発したわけで,モニタリング,データベース,スーパーコンピュータや研究の総合化など,盛りだくさんの課題に追われていた。大蔵省との予算折衝の場で「こんな小さな組織で何億円もの予算が執行できるのか」と聞かれ,後ろに控える身も忘れて「研究者は予算がなければ自分で旋盤をまわしてでも装置を作って研究する。予算があれば民間の力を使って大きな仕事ができる。予算と組織の大きさは関係ない!」と大きな声で発言してしまったことを思い出す。また,「このモニタリングは研究のためか,行政目的か」と聞かれ,当時の浜田主任研究企画官が一瞬詰まったが直ぐに「研究のためです」と明快に答えて主査が大きく頷いたのを思い出す。モニタリングに関しては実は研究者に全面的に頼らざるを得なかった。当時の市川副所長が民間のシンクタンクに請け負わせていくらかかるかを試算させたところ,予算を10倍規模に膨らませなくては無理と分かったように,極めて高度な知識と技術を必要とする仕事である。当時既に,外国のモニタリングステーションが温室効果気体の変動をデータブックなどで出しているのをみて,これから始めて追いつくのだろうかと気弱になったこともあるが,現在データの蓄積を見るともう出発時期の遅れは気にならないほどになっている。これに係わった研究者の方々に深い敬意を表したい。環境庁に地球環境モニタリングの小委員会ができて「本当に研究者が何十年もモニタリングを続けられるのですか」と聞かれ,「そうです」と自信ありげに答えたこと,所内では「研究者は飽きやすいから続けられないだろう」と陰口をたたかれたことも思い出すが,幸い杞憂であった。
しかし今,行革が行われようとしており,そのような感慨や自己満足に浸っている余裕はない。先日大学時代の友人達に会って近況を報告し合う機会があったが,環境研についてはいくらかは知っている人でも「温暖化ガスをモニタリングしているとは知らなかった」とか,「シベリアに行っているそうだが何をしているんだ」などと聞かれる始末である(航空機モニタリングとしてシベリアで温室効果気体の高度分布を測定している)。環境研究をやっている研究者仲間では重要な橋頭堡を築いたと自負できても,世間一般にはそれほど見えているわけではない。「何だ,マウナロア(ハワイのモニタリングステ-ション)のまねをしているのか。どこでも未だやっていないことをお前はできないのか?」などという辛口の批評もあり,その通りとも言え考え込まされた。
既に地球環境研究センタ-では,地味に言えば「大気,海洋,陸域生態系,人為活動の間の炭素循環」,あるいは「炭素のソース・シンクの問題」に様々な角度からアプローチしている。地上,航空機,船舶による大気のモニタリングは言うまでもなく,NOAAの衛星画像などデータベースの仕事も,また,総合化研究としてあった土地利用変動などの研究も,このコンセプトの中でそれぞれ重要な位置を占めている。これらを総合し欠けている部分を補えばシンクの問題に大きな貢献ができるのではないかと議論を始めているところである。そして例えば「二酸化炭素の増加はこれまでの単なる延長で考えてはならない。波照間で測っているこの上昇がそのまま続くのではなく,20xx年頃から上昇速度が上がってくると予想される」などという推定がセンターから出されるようにならないかなと思う。
もっと基本的なところでは,地球環境研究センターがサービス機関なのか,研究機関なのかという性格の問題もある。しかしサービスを提供するとしても自分のも含めて研究に必要という発想から行うもので,研究者でなくてはできない仕事を行政官の力を借りて行うことになろう。これは研究のあり方,研究者の生き方に係わることなのだが,科学が巨大化すると,測る人,測るための道具を作る人(そのまた草鞋を作る人とは言わないが),測った結果をまとめる人,そのデータを使ってモデルなどで解釈する人など,分業化せざるを得ない。手作りの装置に様々な工夫を凝らし,我慢強くデータを取り,その結果から本質的なことを見抜き,モデル計算などもやって結果を比較してみる,こういう全体を一人でやりきることは自然科学者として素晴らしいことなのだが,そして私もかつてはそのような楽しさを暗室にこもって満喫したのだが,その時代は去りつつあるように思う。ついでに言えばドイツなどの博物館で見る昔の有名な実験装置には飾りまでついており,貴族の趣味として始まった科学のさらに良き時代を垣間みることができる。地球環境研究では自分の観測研究のために開発した装置も,自分だけでは測りきれないのだから積極的に他の人に提供し(サービス),全体として知識を共有する(これもサービス)ことがどうしても必要になる。こうしてみると研究へのサービスと研究自体を峻別することは全く意味がないように思うがどうだろう。
執筆者プロフィール
元々は,レーザー分光と化学反応の研究者。温室効果気体の観測を手掛けるようになってから,フィールド観測で,しばしばシベリアへ行く。陸域での温室効果気体収支を推定するには,高度分布の測定ネットワークを作るべきと考え,現役研究者として日夜努力中。装置作りが趣味。元「子供の科学」愛読者。