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「国民に頼りにされる環境研究」を

石井 吉徳

石井 吉徳の写真

 いま日本では,科学技術についての議論が盛んである。日本の活力は科学技術にあるというわけだが,これは別に目新しいことではない。しかし,昨今の議論は従来と違うようである。近年,国民は科学技術のみならず,日本社会の閉塞性にも漠然とした不安を持っている。

 科学技術についても,従来から日本では基礎研究,独創性が不足している,研究費が足りないなどと様々な問題点が指摘されてきた。幸い最近はかなり積極的な改善策がとられ,予算も増え始めた。大変喜ばしいことである。

 しかし,同時に研究者の能力が問われ始めたが,ここにも問題は山積している。むしろこの方が難問かも知れない。学問の閉塞性も,かなりのものと言うべきかも知れない。だが,一見複雑に見える諸々の問題も,原理原則的に見ればそれなりに整理できる。すなわち,

 (1)日本は明治以来,西欧の科学技術を,輸入改良することで成長しており,これが今までは発展の原動力となった。しかしこのやり方は,フロントランナーには通用しない。ここで憂慮すべき現象は,自分でものを考えないことである。日本の閉塞性の原点はここにあるのであろう。

 (2)いま人類は,地球規模の多くの問題を抱えている。これは煎じ詰めれば,西欧型の工業化社会が作った。この意味でも日本にとって手本がなくなった。

 (3)昨今,西太平洋,アジア諸国は高度成長路線を走っている。しかし人口も急増し,自然環境は悪化している。これはかつて日本が歩んだ道でもあり,日本がアジアの一員として,何をするかが問われている。

 (4)さらに本質的な悩みは,地球の有限性である。有限の中に,物質的な意味ではあるが,無限は収められない。これは「人類の閉塞性」とも言うべきであろう。答えはまだ無い。

 以上が,私なりの問題提起,整理であるが,これについて私の主張は単純で,「自分で見て,自分で考えよう」ということであり,「素朴な深い疑問を持とう」ということである。物事の本質は,常に足元,目の前にある。正面から問題を見ようという主張である。これからは,国民の素朴な疑問,不安に応える「国民に頼りにされる環境研究」を育てたいものである。

(いしい よしのり)

執筆者プロフィール:

東京大学理学部物理学科で地球物理学を専攻後,エネルギー論,リモートセンシング,そして地球学