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環境リスク研究再考−新たな推進に向けて−

兜 眞徳

 地域環境研究グループは,組織上「地域環境研究部門」と「環境リスク研究部門」(地域・I,II部とも呼ばれる)に分けられているが,平成2年の組織改変ののち,地域環境研究グループの中に開発途上国の研究プロジェクトが追加されてきたこともあり,初期の「環境リスク研究部門」についての仕切りもいささか曖昧になりつつある。環境リスク研究を担うべき上席研究官に着任してほぼ3カ月の間,我が研究所における環境リスク研究とは何か?について初心に帰って改めて考え直し始めているところである。

 環境リスクとは一般的に,環境やその変化による人間の生活・健康・生存の危機的状況を意味する用語として定義しうるであろう。この環境リスクの内容は,しかし,地球上の各地域における人間の生活・健康・生存の状況に応じて,まさに多様である。精力的な環境開発を進めてきた先進国では,環境破壊や環境汚染,あるいは地球環境全域に及ぶ人為化された環境による健康・生態系リスクの認識が高まっており,地球環境問題を視野に入れた「持続可能な開発」の必要性が強調されている。

 一方,途上国と呼ばれる国々では,現存する環境問題の多くは先進国による激しい開発活動が直接・間接的に引き起こした結果であって,その責任は先進国にあるとする立場が支配的で,そこでは環境への配慮を欠いた開発が盛んに進められている。また地球上には,人口増や各種資源の不足などを背景として,少なくともここしばらくは工業化や産業化に向けた開発シナリオに乗れない低開発状態の国々もある。

 筆者は,締め切りの迫ったこの原稿を,地球環境推進費研究の予備調査のために訪れたパプアニューギニア(PNG)高地の新興地であるゴロカ市の近郊農村で書き始めたが,ここは多様な民族が住む地方として,20世紀前半から徐々に国際的に知られるようになった地域である。1975年のオーストラリアからの独立まではコーヒー・プランテーション等をはじめとした一部開発が進められ,国の東西に走るハイランドウェイと呼ばれる舗装道路(2車線)も作られてきた。それまで山間部に住んでいた部族たちもこの道路付近に新しい土地を求めて移住してきており,現在では人や農作物,日用品などが自動車交通によってゴロカ市と近郊農村との間を行き来している。肥沃な土地,標高1500mの適度な気候を背景として,サツマイモ・タロイモなどの野菜が栽培され,豚・鶏を中心とする家畜も豊富で,比較的豊かな定着した農村社会が形成されてきている。しかし人々の健康状態を見れば,乳児死亡率は60〜70(出生1000対),平均寿命は60歳程度と推定されており,我が国の戦後復興期と同じ状況にある。死因は,肺炎をトップに,母子感染,マラリア,結核,髄膜炎,下痢症,寄生虫や腸チフスなど呼吸器系・消化器系の感染疾患によって占められており,予防接種などの保健医療活動もなお低迷している。家の土間に豚とともに眠る生活,裸足や丸裸の子供たちの姿も珍しくなく,飲料水や生活用水の大半は谷川の水や雨水である。教育や医療施設の整備の遅れ,住民登録,出生・死亡登録等の未整備もあって,自分の年齢が分からない者が多い。炊事・暖房は一部石油,主体は雑木利用の薪であり,屋内の埃や煙にその度に悩まされる。蚊や蝿も日常的である。

 以上のように,比較的豊かなこの地方でも,主要な環境リスクの問題は未だ基本的な衛生環境の整備にあることは明白である。一方,我が国とほぼ同じ国土面積を持つPNGの人口は400万人と極めて少ないが,出生率は依然として高く,上記のような状況に対して急激に衛生環境が整備されるならば,その結果,人口の急上昇により「持続可能な開発」が破綻する可能性も出てくる。ここでは,住民の生活・健康・生存の豊かさや質の向上を基本としつつも,長期的視野に立って現在の主要な環境リスクへの対処方を総合的に模索していくことが肝要であろうと思われる。

 以上,地域での局地汚染などとして始まった環境リスクの問題は現在では地球規模にまで拡大しているのであるが,その影響の評価や対策のための「持続可能な開発」を具体的に考えるためには,地域での人々の生活・健康・生存状況の多様性や特殊性について十分に考慮する必要のあることが再認識される。環境リスク研究としては,ここでは触れなかった各種環境要素による発癌リスク等の各論的研究を推進すべきことは言うまでもないが,果たして,その研究結果は例えばPNGの「持続可能な開発」にとって基本的に有用な情報となりうるであろうか?

 今後,こうした広義の環境リスク研究についても,地域環境研究グループのみならず,地球環境研究グループ,基盤研究部門とも大いに意見交換や議論を進め,環境研究(科学)の新たな推進を考えて行きたいと考えている。

(かぶと みちのり, 地域環境研究グループ上席研究官)