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 よせばいいのにニュースの編集にかかわること3年目。気づいたことは,悪文は簡単にそうと分かるが,良い文章の方はなかなかということ。これは環境についてもいえるだろう。「「文は人なり」と同じように「言葉は人なり」で,人格の反映以外のなにものでもない。普遍的に美しい文章などというものはあるのだろうか。」と,茨木のり子は『言の葉さやげ』で言う。人から環境を分離して,普遍的に良い環境を追求するのも変なものだ。神西清が2行の文章を仕上げるのに10日だか考えたという話が堀辰雄にあったように思う(そこで全集10巻を1時間半ひっくり返したが見つからない)。文章の最後を<だ>にするか<である>にするかで思い悩み,ノイローゼになった批評家のことを多田道太郎は『文章術』に書いている。ポンチ絵1枚で大きな予算を取ることに長けてくると,こういう世界からは無縁になる。それも人格だから仕方がないが,委員が要らぬ苦労をすることになりかねない。(K.O.)