環境科学と行政
論評
前環境情報センター長 山中 芳夫
私事で恐縮であるが,昭和47年に厚生省から発足後1年目の環境庁に移り種々の環境問題を扱ってきた。例えば,足尾銅山等にみられる旧廃止鉱山の水質汚染,水銀・PCBによる環境汚染,試験研究所,病院の排水規制,水質総量規制,湖沼の窒素・リンの環境基準の設定,湖沼水質保全特別措置法,簡易な水生生物調査の実施,アスベスト対策の要請,国設酸性雨測定所の設置,冬期二酸化窒素濃度予報の実施などを手掛けた。
このような行政経験を通じて環境科学をみると,基準の設定などに際して科学的判断を与えてくれるものとしての環境科学に大いに期待をするとともに,その不確定性に歯痒さを感じることがしばしばであった。とりわけ科学的知見を巡って大論争が生じたとき,数値の根拠,規制等の対策の効果を定量的に明示する必要があり,それらの過程で科学的判断が求められてくる。
例えば,足尾銅山の排水処理,覆土植裁等の鉱害対策をどこでどの程度行えば下流の渡良瀬川の銅の河川水質基準が守れるか,海や川の底質のPCBをどの程度除去すれば魚のPCBの許容基準が守れるか,湖の窒素・リンの濃度をどの程度にすればプランクトンの発生が抑えられるか,湖沼の水際線は水質浄化にどの程度定量的に寄与しているか,河川底質に棲む水生昆虫はどの程度河川水質と相関しているか,アスベストのリスクは労災上の職場の基準と比較してどの程度であるのかなどなど。
これらの中でもとりわけ大論争になり当研究所の知見を利用させていただいたものに湖沼の窒素・リンの環境基準の設定がある。当時湖沼法の制定が行き詰り急遽,法律ができない場合の湖沼保全対策として打ち出したものである。湖沼水質と湖の利水目的については十分な資料が蓄積されていたので湖の利水目的ごとの望ましい窒素・リンの水質レベルを決めることができた。しかしながら,窒素・リンの両方の水質レベルを同時に守る必要があるのかどうか,また,その水質レベルになったとき,プランクトンの発生はどのようになるのかという点が関係省庁との論点となった。前者が建設省の,後者が通商産業省の論点であった。そこで当時の当研究所の合田水質土壌環境部長に相談したところ,霞ケ浦でこれまで蓄積したデータを解析をすることによって対応ができるとのことで,「霞ケ浦富栄養化シミュレーション」を松岡研究員(当時)に短期間(ほとんど徹夜)で行ってもらった。そして昭和57年12月24日の徹夜折衝により最後まで反対していた通商産業省が了承し,25日付けで環境基準の告示を行うことができた。なお,その後建設省の巻き返しがあり水質の富栄養化には窒素・リンのどちらか一方が制限因子となるとの説に基づいて,湖沼ごとに窒素を規制するかリンを規制するかを選ぶこととなってしまった。当時としてはプランクトンの栄養要求は変化するので窒素・リンを同時に削減する必要があるとしていたが,このことを証明する十分なデータが得られなかったことで巻き返しを招いたようである。当研究所の霞ケ浦というフィールドを使った長年にわたっての研究の成果を利用させてもらったことは,とりもなおさず環境科学の成果の活用の一例である。今後とも当研究所が環境科学の発展に果たす役割は極めて大であり,その環境科学の発展なくしては環境行政の進展もないと考える。
目次
- 研究組織とはどんな組織か巻頭言
- 平成6年度国立環境研究所予算案の概要について
- アジア太平洋地域における温暖化対策の研究プロジェクト研究の紹介
- “Zooplankton community responses to chemical stressors: A comparison of results from acidification and pesticide contamination research” Karl E. Havens and Takayuki Hanazato: Environmental Pollution, 82, 277-288 (1993)論文紹介
- 地球環境問題における国家の態度はどのように決まるのだろう?研究ノート
- 春を待つチェサピーク湾のほとりから海外からのたより
- 第9回全国環境・公害研究所交流シンポジウム
- 「第13回地方公害研究所と国立環境研究所との協力に関する検討会」報告
- 国立環境研究所設立20周年記念行事
- 国立環境研究所環境情報ネットワーク(EI−NET)ネットワーク
- 表彰・主要人事異動
- 編集後記